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「変わらない事」が幸せだと思っていた私の話


健康診断の再検査待ちに持ってきたPCで思い出したことをポンポン話してみようと思う。ここ最近はNOTEをエッセイのように文章を書いているものを見かけることが多いので140文字でまとめられない思考をここに吐き出す。



3月になって思い出したこと


今は出会いと別れの季節である。

施設を早く出て自由な生活をすることにうずうずした年もあれば、9年慣れ親しんだ地元を出ることに不安を感じたり友達と離れてしまう事が心配な年もあり、様々な3月を過ごしたが、22歳くらいまでは割と出会ったり別れたりの「変化」が嫌いな方だった。むしろ交友関係は変わらない方が幸せだと思っていたのだ。

一番初めに変化を嫌がったのは7歳くらいの時、利用していた学童保育で遠足に行った、楽しすぎて家に帰ることを嫌がり、帰った後もなぜ公園から離れなければいけないのかと泣いた。

そもそも周りの友達は家に帰っている、という事を置き去りにして、寝る前にあの楽しかった公園に戻ればずっとみんなで楽しくいられるという事を勘違いしていた気がする。

「いやいや、真夜中にひとりで公園行っても楽しいわけないじゃん」と突っ込んでほしい笑い話なのだが、その次に感じたきっかけがある。

専門学生時代に同級生よりも一つ上の学年の先輩とつるんでおり、深夜のファミレスで勉強したり、週末は夜通しドライブであてもなく走ったりゲームをしている時期があった。先輩たちは当然一年早く卒業する。その別れが本当に嫌だった。「このままずっと馬鹿やって遊んでいれば笑っていて幸せなのに」そう思っていた。

私が就職を考える時に時遊んでいた先輩達が働いている会社に見学して、安心して働ける、楽しいという理由をつけて大して他も見ずに内定をもらった。就職してもまた学生の時のように笑って過ごせると思っていたのだ。

でも、人は変わっていく


就職したらそれぞれ勤務地は違い、シフト制なので、同じように全員が集まれることはなかった。会社の行事で会えたとしても先輩たちは1年先に社会に出たことで、「上司・後輩・同期からどう見られたいか」を気にするようになり、同じ会社に所属する人との関わり方を変えていた。以前なら人をあざ笑ったり相手のとの違いをいじったりするような人ではなかったのに、後輩にはそんな対応が増えていた。なめてんじゃねーぞ、と髪の毛を引っ張ったりすることも日常茶飯事だ。

この時はそれでも本質はまだ変わらないと思っていた。

私は先輩を慕っていたので、話したいことがあると電話をした。異性だったので「付き合わないの?」と言われていたが親友のようなポジションだった。直属の上司の愚痴ややり方に納得がいかず愚痴をこぼしたら、後日先輩から上司へ告げ口をされていて呼び出され割と問題になった。

先輩が上司の事が好きで、私の言い分が気に食わないなら1対1で対話をすれば、こんなに話が大きくこじれることがなかったはずなのに、先輩はその作業を諦めたのだ。 その先輩とは心に距離を置いた。

その時に気づいた。もう、あんなに楽しかったメンバーで集まっても昔のように笑えないのだと。環境や考えが変わった事で何も考えないで楽しめなくなってしまった事がただただ悲しかった。


複数の「私の場所」が必要だと思うきっかけに


その後に趣味でアカウントを作り、音楽の仲間ができた。ライブでしか会わない仲間だったが私の事をよく理解してくれて、ぶっ飛んだ事をしていても「面白いね!」というリアクションだったのが本当にありがたい。もう4年になり、ライブ会場で会えなくなった今でも交流は続いている。

「変わらないものなんでないけど、色んな自分の場所があれば何かあっても楽しくいられる」

これを今は大事にしている。

失ったものに縋る必要はない。今の瞬間を大事に、変わることを楽しもうと今は思う


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