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映画【simplife】

【あらすじ】
 アメリカのtiny houseを実践している人達のロードムービー。tinyhouseとは、直訳すると「狭い家」必要最低限の空間で本当に必要なモノを選択して生活する。トレーラハウスのように移動可能なタイニーハウスもあれば一定のスペースを確保して生活するタイニーハウスもある。定義や決まりはない。個々人が必要最低限なスペースで必要最低限なモノのみを残して大切な人たちと暮らす。
日本人がプロデューサー。

http://simp.life/

【感想】
最初は「ああ、いま流行のロハス的な、ナチュラル志向的な、ヒッピー的なやつ?」と思ったけれどこの映画のタッチはちょっと違っていた。この文章だとそれを伝えられないかも知れないけれど伝えたい笑。どの人たちもあたりまえだけれど自分達の家をデザインすることを大切にしている。それは自分を、自分の価値観を、表現しているように感じた。自分が生活する家をデザインするためには、ーそれも、一定期間、限られたスペースでー 自分が何を大切にし、何が必要ないか、自分の感覚にフォーカスする必要がある。そうすると、自分にとって本当に何が大切か、が分かる。わたしはお金が十分に稼げない時期があったのでよく分かる。限りがあると本当に何が大切か、が分かるのだ。というか、必然的にそうなる笑。そして、誰もが居心地の良い生活をするために、限られたスペースを活用して機能的になるように工夫をしていた。で、それをやるためにもやっぱり自分はどういう生活、もっと言えば所作をどういうふうにしていて、どうしたら機能的か、生活しやすいか、自分の感覚にフォーカスすることになる。
タイニーハウスを創るとは、実はとても自分に向き合わないと実現しないものだったのだと映画を観て感じた。
そして、多くの人は、そこでのコミュニティを大切にしていた。というか、どこにタイニーハウスを設置するかなど問題があるから、一人ではできない。法的な側面や社会的な側面で阻害されるのではないか、という恐れがつきまとう。そして、そのマイノリティー感が繋がりを生む。技術的にも情報交換が必要だから繋がりが生まれる。のだと思う。
一方でその繋がりが、それまでの生活にはない充足感を生んでいる。
パートナーがいる場合はまた違う繋がりを産む。パーソナルスペースもないような狭い空間で生活するためには相応の関係性が必要なる。例え家族であっても。その中で、今まで以上にお互いを知り、自分を知り、適切な距離感、関係を構築する。
全体として、自分が何が必要か、どれだけコミュニティが必要か、一緒に生活する人が必要か(めんどうくさいけど)を体験することになる。
私は、今、多くの人達は自分を表現すること、自分の好きなことや世界観を表現すること、もっと言えば自分の好きなことさえ気づかずにると思う。
その意味で、タイニーハウスで住むということは、自分の世界観を表現し、自分を生きることに他ならないのではと感じる。そして、人は関係性無くしては生きて行けない、ということを体感するのではないか。
そして、とても印象的だったのは、出演者の一人が言っていた「大切なのは、タイニーハウスで生活するかどうかではなく、どう生きるか、どう心の声に従うか、ということ。タイニーハウスではなくても、大きな家でもタイニーハウス的な生き方はできる」(意訳ね)というメッセージ。これが刺さった。これがこの映画の全てだと思う。
家、生活空間、とは生きる「場」であり、逆に場とは生きる事、関係性も規定する。
タイニーハウスで生活するとは、自分の生き方を自分で創る、表現することであると感じた。

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