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2015年2月1日 小湊鉄道・養老渓谷の旅part1

今回の旅の記録は、大学時代に友人と小湊鉄道に乗り、養老渓谷を散策してきたときのものです。

朝早く、武蔵小杉から横須賀・総武快速線に乗り込み、五井に到着。
五井で小湊鉄道に乗り換え、養老渓谷駅まで向かいます。

五井駅の写真は無く、最初の写真は里見駅でした。

車掌気分?
養老川だと思います

養老渓谷駅に着きました!

猫がお出迎えしてくれていますので探してみてください。
乗ってきた気動車をお見送り
素敵な駅舎です

バスに乗り換え、まずは粟又の滝(養老の滝)へ向かいます。

川へ降りていく道の入口です。不思議な像が多く少し不気味でした。
滝が見えてきました
滝つぼの様子

この後下まで降りていきました。

下からの眺め
逆光なので撮影が難しかったです
少し下流から

この後は上に戻り、展望台から滝を俯瞰しました。

なかなか立派な滝です

さて、少し下流から撮影した写真のように、基本的に流れが穏やかな養老川に粟又の滝がどうしてできたのかを考えてみました。

この辺りは上総丘陵と呼ばれ、海底で堆積して固まった砂や泥の岩が交互に重なっている地層(上総層群)がメインとなっています。砂岩や泥岩はもろく削られやすいので、河川による浸食を受けやすく、渓谷を形成する要因になります。そして、このあたり山は標高がそこまで高くないため、河川勾配は緩やかになり、川は蛇行しやすくなります。そのため、養老川の中・上流域ではかなり蛇行した流れとなっています。

カシミール3D・スーパー地形を引用させていいただきます。
オレンジの線が現在の粟又の滝の部分で、赤線がかつて川が蛇行していたと思われる経路です。
※地図の下側が上流側です。画面右上の方位はこの地図とは無関係です。

アプリ「スーパー地形」より引用し自ら加工

地形図を見ると滝ができる前、川はかなり蛇行していたと推測できます。
元から多少の高低差はあったものの、養老川は我慢して蛇行していましたが、ある時を境に川岸が崩れ、まっすぐ流れ落ちるようになり、滝が生まれたのだと推測します。
※粟又の滝東側の蛇行跡は、滝南側の蛇行跡より古い年代のものだと思いますので、必ずしも赤線のように流れていたとは限らないと思います。

千葉房総半島の一番山深いエリアです

この後はまた路線バスに乗り、少し下流の養老渓谷を散策します。

part2へつづきます。

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