お茶出しを「雑用」にしたのは誰か

久々にブログ書きます。

先日、ふとしたことから、

何事も視点が変わると、意味も意義も変わると思って、ちょっとnoteにしてみます。

私が所長を務める埼玉の事務所はメンバーみんな男です。

しかも、29歳、44歳、64歳、・・・と70直前まで・・・。44歳の私が2番目に若いというw

私は基本都内で客先まわるのですが、先日珍しく埼玉に来ていただける来客があったのですが、当然うちは中年以上の男しかいないので、お茶はその時手が空いているオッサンが出しますw

その時に思ったんですが、私はいつもお茶を出される側だったし、基本的には女性が出してくれます。

なんかそれと比べた時に。なんかうちってどうなの?って思いました。

会社って看板やイメージって大事な要素だと思うんです。

お茶出しを女性がするのと男(うちはみんなオッサンw)がするのとじゃなんか全然違うと思うんですよね。そもそも所作からして違う。男がどんなに丁寧にやっても所作は女性にかなわないと思います。歌舞伎の女形とかの人ならいいかもしれません。そりゃ男でもジャニーズ系の若い子とかだったら、また違うかもしれないですがw

私は以前とあるIT系のデカい会社にいましたが、そこは受付も、会議室への案内も、お茶を出してくれる方も、専用のモデルみたいな女性を派遣してもらっていたと思います。

その時はやはり取引先の人を圧倒できるというか
①綺麗なオフィス
②しっかり研修を受けた女性スタッフの受付
③清潔な会議室

ってだけで、商談が有利になるみたいな。与信的な意味でも(逆にやりすぎてるとこは怪しいのですがw)

よく女性で「お茶出しみたいな雑用を女の仕事にして差別だ」って言う方いますが、お茶出しという会社の看板の要素の大事な仕事を雑用として貶める時点で、プロ失格だと思います。

豊臣秀吉は信長の草履を懐で暖めていて、信長の目に留まりました。石田三成はまさにお茶出しの工夫で、豊臣秀吉に召し抱えられました。でも、それを雑用だと決めつけ、「秀吉が草履を普通にだしていたら」おそらく歴史では名もなき小姓で終わっていたかもしれません。「三成がお茶を普通に出していたら」普通に名もなき小姓かもしれません。

質の高い仕事とは、「人に名を与える」ものかもしれません。

どんなに小さな仕事でも、自分の力でやれる最高の質でやる。それが名をあげるということかもと思います。

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