初めにイデオロギーありき

何故、アーネスト・フェノロサという美術の素人が東京美術学校(東京藝術大学美術学部・大学院美術研究科の前身)の設立に関して、多大な影響と関与を持ったのか?ということですね。今日に至る継続してある問題としては。どのような政治が具体的な固有名により実際に動いたのかという、歴史の現在からの検証が必要。

「フェノロサの専門は政治学や哲学であり、美術が専門ではなかったが、来日前にはボストン美術館付属の美術学校で油絵とデッサンを学んだことがあり、美術への関心はもっていた。来日後は日本美術に深い関心を寄せ、助手の岡倉天心とともに古寺の美術品を訪ね、天心とともに東京美術学校の設立に尽力した。
フェノロサが美術に公式に関わるのは1882年(明治15年)のことで、同年の第1回内国絵画共進会で審査官を務めた。同年には狩野芳崖の作品に注目し、2人は以後親交を結ぶことになる[注釈 1]。芳崖の遺作であり代表作でもある『悲母観音像』(重要文化財、東京藝術大学大学美術館蔵)は、フェノロサの指導で、唐代仏画のモチーフに近代様式を加味して制作したものである。フェノロサは狩野派絵画に心酔し、狩野永悳(えいとく)という当時の狩野派の画家に師事して、「狩野永探理信」という画名を名乗ることを許されている。同じ1882年には龍池会(財団法人日本美術協会の前身)にて「美術真説」という講演を行い、日本画と洋画の特色を比較して、日本画の優秀性を説いた。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/アーネスト・フェノロサ

私の感覚だと、「悲母観音像」とか訳の分からないものを恭しく展示しているような大学に(芸術を学べると思って)入った学生が、病気にならないわけがない。

狩野芳崖 悲母観音への軌跡 ─ 東京藝術大学所蔵品を中心に ─ 展
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2008/08/hogai.html

日本の固有性に注目するなら、日本の伝統に正統的に学ぶべきであり、その際に外せないのは、俵屋宗達・狩野元信・雪舟・葛飾北斎、また運慶らであり、東京藝大はその正統な流れを悉く外してきている。

初めにイデオロギーありき。

参照。Yudai Deguchi氏との会話。

Yudai Deguchi@nas740·8月28日
高橋由一の「鮭」ってどうして藝大が持っているのだろう(「花魁」も)。由一と藝大(東京美術学校)との関係の薄さを思うと不思議だ。

加藤 豪@_5925263769112·8月28日
返信先: @nas70さん
東京藝大は高橋由一を「近代洋画の開拓者」と言っているんですね。改めて驚きますが。イデオロギーははっきりしている。私が在学中も大講義室での高橋を論じるシンポジウムで「日本人がここまで西洋画に迫った」という類の驚嘆の語り口は紋切り型でした。
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2012/04/yuichi.html

加藤 豪@_5925263769112·8月28日
返信先: @_5925263769112さん, @nas70さん
「表面」をこぞって集団で褒めているんですね。「空間」や「存在」を全く問うていない。

Yudai Deguchi@nas740·8月28日
返信先: @_592526376912さん
とりあえず「起源」を押さえてるという印象を持ちます。内実は問わないという。非常に政治的なものを感じます。

Yudai Deguchi@nas740·8月28日
返信先: @nas740さん, @_5925263769112さん
「近代洋画の開拓者」というのはもっともらしいですけれど、由一は先鞭をつけたとはいえても開拓ということはしてないと思います。由一によって「基盤」が出来たわけではないですから。
https://twitter.com/nas740/status/1696101554145927217

参照。

Yudai Deguchi@nas740·8月26日
フォンタネージ=浅井忠(旧派)の不遇と黒田清輝/外光派への過大評価が、基礎(正統派)をないがしろにしつつ見た目の斬新を追い求めてゆく(目立てばいい)日本の近現代美術、あるいは受験絵画の原形質になっていることは間違いないと思われる。
https://twitter.com/nas740/status/1695255172723909035

加藤 豪@_5925263769112·8月25日
日本の共産主義系アート(言説)者は、結局、その本質は浅薄な「国粋主義者」の群れだよなあ。

加藤 豪@_5925263769112·8月25日
返信先: @_5925263769112さん
フェノロサに唆された岡倉天心による東京美術学校(東京藝大美術学部・大学院美術研究科の前身)は最初から、「高度成長」後、バブル期の受験体制の中心に位置した野見山暁治、そしてもの派の榎倉康二を経由し(そこに外部から転移して来る者も含め)、90年代以後まさに今日に至るまで。
https://twitter.com/_5925263769112/status/1694826429572157862

加藤 豪@_5925263769112·8月29日
これは至言。日本の美術界を表している。一番分かりやすいのは「左翼現代アート業界」。
引用

Yudai Deguchi@nas740·8月29日
誰もが美術に参入できるということ自体はよい。しかし、その平等性の名において、能力のある者が能力のないものに迫害されなければならないいわれはない。

Yudai Deguchi@nas740·8月29日
返信先: @_5925263769112さん
もともと異質においてある差を平等に(フラットに)してしまうことで生じる不平等、逆差別に対しては顧みることがないという。

加藤 豪@_5925263769112·8月29日
=(国粋主義的)

Yudai Deguchi@nas740·1時間
返信先: @_592526376912さん
国粋主義の西洋画科という不思議な在り方。疎外されるのは西洋。
https://twitter.com/_5925263769112/status/169623313931057581

参照。

工部美術学校という美術教育の真の正統|加藤 豪 #note https://note.com/naar/n/n7b13f8f53a67

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