真の後継者
オマル マン氏との対談、第42回目。
K「オマル マンさん、こんにちは。フランシス・ピカビアについて。対談・ゴッホを語った回に、オマル マンさんから「ゴッホの(最晩年に至るまでの)真面目さ」が、日本で人気のある理由ではないかという話がありました。私は、1888年頃から色を妙に強調すると同時に(「ビカー」byオマル マン)、社会を意識して「キリッ」となり墓穴を掘っていった、というように。その後のピカビアの、「非ー真面目」、この切断はすごい。」
Francis PICABIA
https://www.invaluable.com/auction-lot/francis-picabia-183-c-okst8cgecb
「しかし、ピカビアは前期(印象派〜機械・ダダ)はちゃんとしている。後期は恐ろしく落ちていくが。「非ー真面目」で、ちゃんとしているという点が、私は関心がある。」
L'église de Montigny, effet d'automne, 1908
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-leglise-de-montigny-effet-dautomne-2
Paysage de la Creuse , 1912
https://www.invaluable.com/auction-lot/francis-picabia-1879-1953-paysage-de-la-creuse-ci-5-c-06d42b68e8
Udnie (Jeune fille américaine; danse) , 1913
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-udnie-jeune-fille-americaine-danse-udnie-young-american-girl-dance
C'est Ici Stieglitz Foit et Amour, 1915
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-ici-cest-ici-stieglitz-foit-et-amour
「その後も、突然思い出したように、風景画を描く。ここにも「非ー真面目」は感じられる。」
PAYSAGE, circa 1937
https://www.invaluable.com/auction-lot/francis-picabia-paris-1879-paris-1953-paysage-cir-13-c-a7a26461cf
「この人、基本的に「上品」さはありますね。」
Le chat, 1938
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-le-chat
Mécanique, ca. 1916-1918
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-mecanique-1
Study for “Danseuse Jasmine” (antipyrine), ca. 1920
https://www.artsy.net/artwork/francis-picabia-study-for-danseuse-jasmine-antipyrine-1
「マイク・ケリーまで直結。」
"JE VAIS DONNER DES INVITATIONS AU BAL NEGRE", CORRESPONDANCE ILLUSTREE, 8 FEVRIER 1949
https://www.invaluable.com/auction-lot/francis-picabia-paris-1879-paris-1953-je-vais-don-212-c-2f49d273cb
https://www.invaluable.com/auction-lot/francis-picabia-1878-1953-203-c-d1636a3d4d
https://www.invaluable.com/auction-lot/picabia-francis-et-divers-176-c-adb0157f97
「ちなみに私がゴッホに「非ー真面目」を感じるのは、1887年。」
Vincent van Gogh Park at Asnieres in Spring, 1887
https://twitter.com/vangoghartist/status/1507547763856322562/photo/1
Vincent van Gogh Self-Portrait with a Japanese Print, 1887
https://twitter.com/vangoghartist/status/1489275125442752513
「1888年から、「ビカー」となっていく。」
Vincent van Gogh Self Portrait, 1888
https://twitter.com/vangoghartist/status/1490612932199305217
「「死」へ一直線。」
「真面目。」
Vincent van Gogh Portrait of Dr. Felix Rey, 1889
https://twitter.com/vangoghartist/status/1503185860115709952
「非ー真面目。」
Vincent van Gogh Vase with White and Red Carnations, 1887
https://twitter.com/vangoghartist/status/1502119907076591619
O「加藤さん、こんばんは! ピカビアとゴッホの遷移の比較。こう眺めていくと、ゴッホの1888年から、あきらかに切断があります。」
「ピカビアの、透徹もすごい。」
K「オマルマンさんが、前回最後に語った「異世界」のオリジネーターとは、ピカビアでは?と。」
O「新人類。」
「ゴッホのとき、「女」の話が出た。プロヴァンスの情熱的な女。びっくりするくらい大胆な性質と聞く。ゴッホは、やられた。」
K「ゴッホの対象であったその女性について、私は詳しくは知りませんでした。」
O「プロヴァンス地方というと、ゴッホが描いたような明るさ。あと魚料理が絶品。あと女の解放性、大胆さ。」
K「ピカビアの顔にも、私は興味を持つ。ピカビアの女性の描き方も。もしかしたら、ピカビアは全くの「無痛」人間なのか(?)と。」
O「(プロヴァンスの女性に対して)最初は、男も恥じ入って、正視できないとか。ちょっとだけ話が出たじゃないですか。ゴッホも娼婦にやられて、「キリっ」が全開になって、暴走。1888年の自画像は、エロ本の裏広告の自己啓発にのめり込んだみたいな顔をしている。」
K「そうですね「キリッと変貌する息子」の背後にある、「狂った母」の話。」
「マイク・ケリーには、私はそこまでの「無痛」は感じ取ることはできない。むしろ普通。」
O「ピカビアの「無痛」というのは、そうですね。ジャストな表現という感じがします。」
K「マイク・ケリーの生前の、恋人とのデレデレのプライベート写真を、私はネットで目にしていた。」
O「ピカビアの、ずーっと「保持」している感じって、珍しいですね。」
K「ピカビアは、「無痛」そのものの顔。「ピカビアとかね。」と語っていた、「未来派野郎」の時の坂本龍一等の文化人から、「無痛」の模倣が始まったのでは。なんちゃって「無痛」の。」
O「坂本龍一かあ。たしかに。」
K「ピカビアの「透徹」「保持」。」
O「坂本龍一が「自分がコンピューターを使うのは、自分を消したいから」とか。これも、たしかに模倣っぽい。」
K「ピカビアは水平移動的に、「風景」が変わっていくという、「近代」的ではないのかもしれない。」
「坂本。「偽装」のモデルですね。」
O「ええ。基本、ジョンケージの言ってることをパクってる。」
K「「透徹」ではなく、「平板」。」
O「イデア(伝統)へのアンチという「仕草」。」
K「そうですね。(左翼)業界仕草は、現在に至るまで。」
O「ピカビアの場合、「保持」っていうのが、いかにも、手が付けようがない。手が付けられない。」
K「「手がつけようがない」か。真性の異物のようなものか。近代以後の。触れない対象。」
「デュシャンとコラボをしているが、分離が激しい。」
L'Équilibre (The Balance) (S. 559), 1958
https://www.artsy.net/artwork/marcel-duchamp-lequilibre-the-balance-s-559?fbclid=IwAR3KfFZdqYUtkBBLETAJPZ3dIIOq8HU6TqyXKJK40kapTX6N_kUA0drYdO0
O「無自覚なんでしょうか。ピカビアは。どうなのだろうか。」
K「そうですね。「敢えて」とか、何も無いと思う。」
O「1920年代から20世紀の後半まで、アメリカだと「特例」の時代で。対して、ヨーロッパだと、基本的にはそのような「自由の喜び」は、赦されないですよね。むしろ、世界大戦が起こって、やばくなっていく。ピカビアみたいなのしか、成立しない、という面は想像してしまいますね。ここまで「無痛」が際立ったのも、そういう時代背景を考えてしまう。ヨーロッパだと、大戦後もむしろ「伝統」回帰一色に。」
K「大戦後は、ヨーロッパの革新性はなくなり、アメリカに移行していきますね。」
O「アメリカだと、戦前にすでにジョンケージや、ラウシェンバーグが登場している。ヨーロッパって、大戦後も、基本は古いんですよね。ラウシェンバーグが1950年にホワイトペインティング、ですか。戦後すぐでしたね。」
K「もう一つ、ピカビアの同時代人、バタイユの過剰な「痛み」の表現との対比。」
「ピカソの「無痛」も、模倣っぽい。女を泣かして「無痛」のピカソ、という流布されたイメージ。」
O「ピカビアだけが、やっぱり、ちょっと、やばいですね(笑)。いかれ方が。」
K「そうそう。非難できないぐらいの、本物。突出している。「多様性」も、偽装ではない。」
O「ゴッホの「キリ」というのが、いかにも平凡の二流なものなんですね。」
K「それなんですね。日本人の「共感」の意味が。」
O「ゴッホの場合、印象派ですが、フランスを描いたものは二流とされている。代表作とはみなされない。あの自己啓発的「キリ」が、いいのだと。」
K「ピカビアは、バランス感覚が優れている。「身体性」(中学から喧嘩好きで、スポーツマンだったようです)。」
O「プロバンスでエロい女と暮らした、短い日々が。」
K「何か。痛ましい。「共感」の不自由さはここに。だから、多くが「なんちゃって無痛」に走る。」
O「ピカビアの展開は多様ですが、多動ではない。とっちらかってない。」
K「そうですね。そこもポイント。車に乗ってよく写っているが、多動(どこ行っちゃうの?)というところは無い。」
「見ていて、妙に解放感をこちらに与えるんですよね。」
O「困った存在ですよね...(笑)。才能がありすぎて。」
K「そうですね。単純に。後期の落ち方の潔さも(笑)。」
O「こう語ってみると、井上長三郎の「質」と共通している。」
K「デザイン的にも、面白いし。」
Le double monde, 1919
https://www.centrepompidou.fr/fr/ressources/oeuvre/AH3tiUL
O「やっぱ、才能あるなあ...。凡百のオプアートのはるか上。」
K「「デザイン性」「芸術性」「身体性」「多様性」すべてが兼ね備わっている。「笑い」も。」
O「「笑い」の元祖かも。」
K「ピカビアークーンズーマイク・ケリー。」
Magnéto anglaise
https://www.christies.com/en/lot/lot-6059220
O「知らないふりをして、ピカソの焦りもあったでしょう。」
「改めて、ピカソの後期はピカビアの偽装だった気がしてきた。」
K「ピカソが、平凡に見える。ピカビアが持っているものを、持っていない。」
「ピカソは、偽装ですね。」
O「偽装ですね。」
K「すごく大胆そうにやっているが。」
O「石橋叩いてる。」
K「そうですね。笑っていない。「真面目」な息子。」
O「やはり、そこも、「女」か。」
K「私はそう思う。」
O「加藤さんの見事な考察です。てか、ゴッホにいたっては、おこぼ、が過ぎますね。いくらなんでも。あらためて、並べてみると。」
K「ありがとうございます。ここ2、3日。いや特に、ロシアーウクライナの戦争が始まってから、私はピカビアが急遽中心的に気になり始めた。ゴッホについてオマル マンさんと語っていたのは、その前だったんですよね。「第一次世界大戦」との、主観的な類似の感覚も、作用していたのかもしれない。「類似」というか、「延長性」というか。ヨーロッパ大陸の。ピカビアは、精神医学でいう「解離」なのかな、現実逃避なのかなとも、一度考えてみたが、やはり・・。今、オマル マンさんと語っていて、違うなと。」
O「私も今日はたまたま、なんだか、画像の列を見て、直感的に分かった感じがあった。ピカビアは英雄。」
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