ストリートの美学化の問題
一言で言えば、ストリートを売りにしている風な人は、ストリートに実際には弱いということでしょうね、多分に直感的に言えば。
これは私が関わりがある所の「現代アート」業界にも、おそらく同様に言える。
以下、昨日Xで目に入った、衆議院議員・米山隆一氏とひろゆき氏の、ビジネス動画メディア・ReHacQのYoutubeチャンネルでの会話内容についての話題。
ストリートと呼ぶには、衆議院議員・米山隆一氏の方が相応しい。この動画を私は昨日全編見たが、米山氏は自身の新潟県知事時代の(辞任の原因になった)女性スキャンダルについて、巷の雑踏で自分の顔を見てその場で検索され人同士が嘲笑する様に出くわすと鬱になったという、自身のベースとしての現実的な経験から語っている。それでも自分は「政治が好きだ」から、自分のスタイルをそこから作ったと。同時に、自分は論理で戦うことが好きだと。政治家としての自身の姿勢を「合理主義」と説明している。
かたや、ひろゆき氏はアベマやReHacQなどの(頭の悪いスタッフによる)メディアに守られて出てきている存在であり、そのような「ストリート風」が、このような米山隆一氏のひろゆき氏的・すり抜け、ごまかしを全てを後ろからまくっていくような(エネルギッシュそのものの)スタイルが出てくると、メディア・ひろゆき氏の長年続いた虚構性と虚弱性が痛くも顕になるという今日的図式。
私自身はひろゆき氏のような存在の本質を(明確に)認識したのは割と最近で、以下のような動画でですね。
ここで語られているのは、路上で人と殴り合いなどの喧嘩になった時に、自分がやられた場合には「警察に通報して慰謝料を取る」、逆に「相手が警察に行けないような形で痛めつける」ひろゆき的やり方。相手が警察に行けないというのは、自分の素性や顔を隠して殴るとかでしょうね。
こういう悪逆的=支配的「文化」が終わっていくということでしょう。論理性も無い、その虚弱性だけが露呈されて。
参照。
上記動画全編についても、米山氏自身が紹介をしている。
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