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菩薩、それは空洞 テーラワーダ仏教の「ほつれ目」②

パーリ三蔵読破への道 連載第九回
佐藤哲朗

菩薩はただの呼び名

 ここで、ジャータカの主人公たる「菩薩」について、もう一度考えてみたいと思います。大胆なことを言いますと、パーリ経蔵のうち、小部に最終的に入った三つを除くパーリ経蔵の古い文献では、「菩薩」という言葉はただの呼び名にすぎないのです。ジャータカの菩薩も、註釈書部分で補足されている物語を通さなければ、(1)釈尊がまだ正覚を得てない時のことを回想するくだり、(2)如来の稀有未曾有法として、(最後身の)菩薩が兜率天に入ること・降誕することなどを説明するくだり、(3)讃仏の偈で修行中の釈尊を称するくだり、で使われているだけです。経(スッタ)のみならず論(アビダンマ)を見ても、菩薩という存在が問題になるのは、七論中で、あきらかに後代の作品である『論事(カターワットゥ)』のみです。
 しかし、単に覚る前のブッダを指すにすぎなかった「菩薩」は、仏教の発展と共にどんどん意味が膨張していったのです。杉本卓洲『菩薩 ジャータカからの探求』(平楽寺書店、1993)によれば、仏典などにおける「菩薩」の定義は二十種類にものぼるそうです。

①悟り、すなわち完全な智慧をその本質として持つ人
②悟りを有する有情、悟りを得ると定まった有情、悟りを求める有情
③その心・意図・考え、もしくは希望が悟りに向けられた人
④その人においては知識が潜在的で未発展な人
⑤悟りのサットヴァ(潜在的知性?)を所有していて、存在のきずなの中に一時的に留められている、未来の仏陀。潜在的知性の人格化
⑥悟りに献身し、あるいは執着している人
⑦彼の精力や力が悟りに向けられている人
⑧悟りと有情との両方を対象とする人
⑨勇士的有情、精神的戦士
⑩執着しないということにおいて悟りを得る者
⑪自ら覚り、またよく他を覚らしめる者
⑫必ずまさに仏となるべき者
⑬智慧より生じ、智慧の人に護られ養われる者
⑭不退転の心を発した者
⑮仏陀となり得る素質が自己に備わることを自覚する人
⑯悟りの世界からあらわれ出た有情、悟りから降りて来た衆生(有情)
⑰菩提(悟り)における衆生
⑱菩提には薩埵(衆生)はないと知る者
⑲悟りが有情の形をとっているもの
⑳菩提心をもった衆生(193-195p)

 このうち、パーリ経典の四ニカーヤに出てくる菩薩は④とされます。もっと簡単に言えば、「覚る以前の未熟な釈尊(その他過去仏)」ということです。
 菩薩とは、パーリ経蔵に滑り込みで入った「菩薩文献」を除けば、「覚る前の釈尊(及び覚る前の過去仏)」の呼び名にすぎません。「私が昔、覚る以前に菩薩(という未熟者)だった頃、こんなことがあったんだよ」というくらいのニュアンスで使われています。しかし未熟者といっても、覚る直前の人ですから、菩薩人生の節目節目には、稀有未曾有法という数々の奇瑞(スマナサーラ『日本人が知らないブッダの話』学研、2010 で詳しく解説)があるともされています。

本生(ジャータカ)も波羅蜜(パーラミー)も影が薄い

 パーリ経典の中でも、長部十四『大譬喩経』は最古のブッダ神話というべき内容になっています。釈尊は、過去の六人のブッダの詳しい来歴について自らの超越的な智慧で記憶し、寿命の長い天界の神々もそれを記憶していると繰り返し言明します。でも「記憶する」というだけで、直接会ってこんなことを話したとか、「お前は未来にブッダになれと言われた(記別された)」とか、一言も語っていません。
『大譬喩経』は釈尊の言葉として長部経典に入っていますので、当然テーラワーダ仏教の世界で尊重されています。しかし、ここでも菩薩は「修行中の身」というくらいの意味しかありません。釈尊が過去六仏の履歴をすべて記憶したという経典の記述に尾ひれがついて、菩薩ははるか過去生で他のブッダから授記されて、「将来、ブッダとなるべき身」として輪廻転生を繰り返して修行し続けたのだ、と話が発展していったのでしょう(こういう記述こそ、ぶっ飛んだ神話的な喩えを通して釈尊が何を仰りたかったのか、という「法性」を分析して理解したほうがいいと思うんですけどねぇ。ディテールを細々と埋めていくのは、ちょっと方向性が違うんじゃ……)。
 菩薩の物語はインドでどんどん発達したので、インドから継続して仏教を受け入れてきたスリランカのテーラワーダ仏教にも入り込んでいます。しかしそれでも、過去七仏を四倍して数を増やした過去二十八仏などは、注釈書と成立が遅い小部(クッダカ・ニカーヤ)の三つの文献にしか現れません。ブッダゴーサ長老も当然、過去二十八仏の物語やディーパンカラ仏からの授記、四阿僧祇十万劫の修行、といったブッダの設定を信じていたのでしょう。しかし、それらの後付けの物語を四ニカーヤの本文に混ぜ込むことはなかったのです。
 すでに指摘したとおり、ジャータカ(本生)のうち、経典(ニカーヤ)に入れられているのは偈(ガーター)のみです。私たちがよく知っているジャータカ物語は、あくまで注釈書にすぎません。「本生(ジャータカ)」は四ニカーヤでは、経典の形式(九分法)の一つとして列記されるだけ。特に定義はありません。過去生の因縁に事寄せた説法の方式、というくらいだったでしょう。ちなみに、菩薩の修行を示す波羅蜜(パーラミー)という単語も、後世に付加された律蔵付属と、小部の譬喩(アパダーナ)にしか出てきません。論(アビダンマ)でもまったく問題になっていません。

菩薩仏教を真に受けない

 繰り返しになりますが、古い経典における「菩薩」は、単に「覚る前の如来を指す一般名詞」にすぎなかったのです。ジャータカという形式に載せて語られた菩薩の物語は、はじめから「三蔵の外」で展開されました。それが、やがて仏教の本筋にも影響を与えたのです。もともと意味がないキーワードだから、逆に言えば、そこには何でも好きな意味が盛り込めます。妄想のリゾームをどこまでも膨らませられます。「菩薩の仏教」は、菩薩という意味のない空洞を、仏教徒たちの「願い」を集めて埋めることでできあがった宗教なのです。
 菩薩について、私たちはもっと素直に考えた方がいいと思います。仮に、十波羅蜜とか六波羅蜜とか呼ばれる過去生の修行の積み重ねがあったとしても、ブッダとなったその方は、その生その生その時その時を真剣に、全力で無上正覚に向かって精進したはずです。それでも覚りに至らなかったから、「私が菩薩だった頃」と未熟だった過去を振り返ったのでしょう。あらかじめ、四阿僧祇十万劫修行したらブッダになるとか、計画して修行するはずがありません。ブッダを賛嘆する物語を面白くするために作られた後付けの設定集に、後代の人々が引っかかってしまったにすぎないでしょう。
 はっきり言って、釈尊の教えを実践するにあたって、菩薩はまったくどうでもいい存在です。例えば、無量寿経で説かれる「法蔵菩薩の四十八願」は、もしそれを信じなかったら浄土教の信仰が成り立たないほど「大切な虚構」でしょう。しかし、過去仏の伝承も、四阿僧祇十万劫の釈尊の菩薩行も、釈尊の教えを実践する上では、信じようが信じまいが「どうでもいい虚構」なのです。ただ、信じる場合も「ああそうですか」と受け流すくらいにして、勝手に設定資料を膨らませないことが大切です。如来の語る不思議な話に、凡夫が語る不思議な話を混ぜ込んでも、結局は頭が悪くなる珍妙な信仰体系ができあがるだけですから。
 少々思い切った言い方をすれば、菩薩というキーワードにどれだけ依存しているかということで、その宗派の「仏教濃度」が測れるのではないかと思います。

「菩薩」という仏教文化は遊びで楽しむ

 ざっくり言えば、パーリ経蔵のうち長部・中部・相応部・増支部の四ニカーヤと小部の古い伝承に保存された教えは、釈尊のことばに基づいた「仏教」として真剣に向き合うべきものでしょう。それ以外はたとえ「聖典(正典)」と銘打ってあっても、「菩薩」という単なる名前にかこつけて皆が宗教的な想像や願望を詰め込んだ、凡夫(とびきり敬虔な凡夫)の作品と割りきって構わないと思います。ブッダに着想を得ているのだから、他の宗教の文献よりははるかに上等かもしれませんが、「超人法(uttarimanussadhamma)」とまでは言えません。ただの人間の文化であり、ただの人間の宗教です。そのような類のテキストとは、大乗であれ、テーラワーダであれ、ほどほどに付き合えばいいでしょう。文化だから、好き嫌い・好みの問題です。でも、真剣にやったところで、それで解脱できるなどと考えない方がいいです。輪廻の中の遊びです。遊ぶなら、楽しく遊びましょう。
 貪瞋痴に覆われて生きる私たちは、修行するよりも神話・物語に浸るのが好きです。意味のある修行よりは、むしろ意味のない修行(苦行・快楽行)が好きです。理性を育てるよりは、むしろ妄想に耽ったり頭ボワーンとしたりする方が好きです。そうやって、現象と遊んで生きるのが好きです。しかし、現象の世界を乗り越える「解脱への道」は、テーラワーダ仏教がたまたま、成り行きで保存することになった、釈迦牟尼ブッダの本来の教えの中にしかないでしょう。学ぶというなら、私たちはその教えこそ真剣に学ぶべきでしょう。

《追記》

 いま読み返すと、「これは少し言い過ぎではないか」と感じます。いわゆる菩薩の物語として伝えられるエピソードはほぼ「仏説」ではないにせよ、テーラワーダを含めて「仏教」には欠かせない血肉となっているからです。また自らを勘定に入れず他に貢献するという菩薩の理想は、いまなお人々を鼓舞し続けており、善なるものの系譜を今に繋ぐ縁になっているからです。「菩薩という意味のない空洞を、仏教徒たちの「願い」を集めて埋めることでできあがった宗教」は、あまりにも魅力的なのですね。というわけで理屈のうえではイマイチ整合性が取れませんが、以前から心に響いている、菩薩にまつわる一つのエピソードを附論として添えたいと思います。

附論:南方熊楠と「ハチドリのひとしずく」

あるとき森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は私にできることをしているの」

 辻信一氏監修の『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』光文社、二〇〇五より引用しました。この掌編は、「南アメリカの先住民に伝わるハチドリの物語」だそうです。環境問題をテーマにしたイベントなどで朗読され、一人ひとりの力は小さくても、諦めたり悲観したりすることなく、地球のため世界平和のために「私ができること」を続けていこうというメッセージが多くの人々の心を打ちました。ところで、この『ハチドリのひとしずく』に酷似した仏教説話をひいて、日本ではじめて環境保護運動に立ち上がった男がいるのをご存知でしょうか?

 彼の名は、南方熊楠(ルビ:みなかたくまぐす)でです。「神社合祀反対運動は、南方熊楠の学問一筋の生涯の中で、その学力と精力のすべてを傾けた、そして唯一つの、実践活動であった」(鶴見和子『南方熊楠』)明治三十九年(一九〇六)末、内務省は日露戦争の戦後経営策の一環として「神社合祀令」を布告しました。
 この政策によって、明治三十九年に一九万を数えた全国の神社は、わずか三年の間に一四万七千まで減少し、鎮守の森として守られてきた貴重な自然、そして文化遺産の多くが消滅したのです。特に合祀が猖獗を極めたのは熊野三山と伊勢神宮を擁する和歌山県と三重県でした。
 神社合祀はのちに、神道国教化と天皇制国家主義の確立に向けた地域信仰の弾圧等と評されていいますが、実際に和歌山などで行われた神社合祀はもっとデタラメなもので、皇室に縁のある神社であっても容赦なく、地方官吏や神官らの私利私欲のために潰されていったのです。南方熊楠は神社合祀の弊害を八箇条にわたってあげ、論難しています。

「神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。
 当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓舞し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫(ルビ:くら)うに異ならん。」(白井光太郎宛 明治四十五年二月九日)

 熊楠の神社合祀反対運動は明治四十二年秋、田辺のローカル新聞『牟婁新報』社主・毛利清雅に宛てて送られた長文の書簡によって開始されます。熊楠の運動は、中央で柳田國男、杉村楚人冠、中村啓次郎(衆院議員)らの協力を得、大正九年、神社合祀政策が正式に撤回されるまで続きました。田辺周辺には、彼の奔走によって残された神社叢林もいくつか残されています。
 熊楠が「神社合祀反対運動」の思想的根拠を示す宣言として上梓したいわゆる『南方ニ書』(松村任三宛書簡)には、次の一文が引かれています。

「玄奘三蔵の『大唐西域記』に、むかし雉の王あり、大林に火を失せるを見、清流の水を羽にひたし幾回となく飛び行きてこれを消さんとす。天帝釈これを見て笑うていわく、汝何ぞ愚を守りいたずらに羽を労するや、大火まさに起こり、林野を焚く、あに汝、微躯のよく滅すところならんや、と。雉いわく、汝は天中の天帝たるゆえ大福力あり、しかるにこの災難を拯(ルビ:すく)うに意なし、まとこに力甲斐なきことなり。多言するなかれ、われただ火を救うがために死して已まんのみ、と。」

菩薩がキジの王として生まれた時の物語である。
ある日、キジの王が仲間とともに住まう森で火事が起きた。
乾燥した風にのって火は燃え上がり、森を覆いつくさんとした。
森の生きもの達が逃げ惑う中、キジの王は大火を消そうと決意した。
彼は自らの羽を清流の水をひたし、森に注ぎ続けた。
神々の王たる帝釈天は、その様子を見て、笑った。
「おまえは愚かなやつだ。すでに火事はゴウゴウ広まって森を焼いているではないか。お前のような小さな鳥にこの火事が消せるものか」と。
キジの王は、帝釈天に向かってこう答えた。
「貴殿は神々の王として偉大なる力を持ちながら、この災難を黙って見ている。助ける気もないのに、他人の揚げ足をとりなさるな。私はキジの王として、仲間の暮らす森を守るため、死力を尽くすのみです」と。
キジの王(菩薩)の言葉に感じいった帝釈天は、威神力をもって火事を消した。

 出典は『大唐西域記』で玄奘三蔵が再録した形になっています。クシナガラにはこの菩薩にちなむストゥーパが残っていたそうで、インドでよく知られていたジャータカ物語だったのでしょう。残念ながらパーリ経典のジャータカからは漏れています。漢訳仏典の『雑宝蔵経』にも同様のジャータカが掲載されていますが、こちらは雉ではなく、ヒマラヤ山麓の竹林に棲む鸚鵡が菩薩です。熊楠が引いたこのジャータカ物語は、菩薩の一途な献身を説くとともに、権力に安住して国民を守る責任を果たさない為政者たちへの痛烈な風刺にもなっています。また「あなたは自分にできることを精一杯やっているのか? 自らの責任を果たしているのか?」という現代日本人への鋭い問いかけにもなっていると思います。
 日本における環境保護のパイオニアであり、もっとも深い思想性を備えていたとされる巨人・南方熊楠が「神社合祀反対運動」の宣言書にこの物語をひいたことは、熊楠の後継者たる現代のエコロジストたち、そして反原発・脱原発を実現するために活動を続けるすべての人々が記憶しておいてもいい故事ではないでしょうか。

(初出:サンガジャパン Vol.9(2012Spring) ,サンガ,2012/3/22、単行本『日本「再仏教化」宣言!』サンガ,2013/12/27収録時に大幅に加筆修正)

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