俵の風 第三話”新たな冒険” #漫画原作部門

第十節
まだ薄暗い夜明けの頃、鶏の鳴き声が遠くから聞こえてきた。

風は、頬にかかる冷たい風を感じ目を覚ました。いつの間にか、小屋の扉に背を傾け、あぐらをかいたまま、寝ていたようだ。
空を見上げると、鳶がぐるぐると周囲を迂回していた。

小屋の扉を開け、紅を起こそうとした。
微かに入ってきた夜明けの光が、紅の顔にかかった。
紅は、どうやらまだ寝ているらしい。

起きて来るまで、寝かせておこうと風は静かに扉を閉めた。

自然の中の生物が一日の活動を始めようと、動きはじめていた。

しばらくすると、小屋の中から物音が聞こえてきた。
どうやら、紅が目を覚ましたようだった。
紅は、小屋の扉を開け、外に出てきた。

「おお、風、おはよ。」
紅は、入り口に立ったまま、山から覗き初めている太陽の方を向き、大きくあくびをした。

風に、支度するよう促され、朝早く、紅たちはその村を後にした。
馬の歩くリズムに合わせ、紅はまだ完全に夢から覚めていない体を風に委ねていた。

風に背負われている玄もすやすや眠っていた。
昨日、ポンポン菓子を食べたのを最後に、紅たちは何も口にしていなかった。

お腹が空いたのと同時に、紅は母様とばば様の無事について風に言えないままでいたため、不満が溜まっていた。

紅は、二人の無事を心配していた。

紅は、二人の無事を確認するため、紅たちの上を飛んでいるとんびのトビに手紙を括り付け、その手紙を母様たちの元へ届けてもらうことを思いついた。

風には、言わず、休憩の時に、着ていた服の端を引きちぎり、木の棒の先に泥を付け、引きちぎったその布に簡単な手紙を書いた。

トビの足に手紙を強く結び付け、母と老婆やのところまで届けておくれと、トビに願いをこめた。

数日しても、トビは戻らなかった。

紅たちは、どこを走っているのか分からない程、深い山の奥へと進んで行った。

山の中を進み続けた。

紅と風は、何も食べないまま、山の奥地で力尽きていた。
玄の体調も崩れ、顔が赤く火照り、玄が熱を出した。

紅は、「もう、いやよ!
母様とババ様はどこなの?
村へ帰りましょ!」と、風に言った。

これだから姫様は、と風は呆れた様子で言い、紅と口論になった。
そんな二人に構うことなく、紅の横にいた玄が、てくてくと二人から離れて行った。
そんな玄に二人は気づくことなく、口論を続けていた。

玄が歩いて行った方向には、畑があり、一人の腰を曲げた老婆が畑仕事をしていた。
その農民は、どことなく、ばば様に似ていた。
玄はその農民の足元まで行き、足にしがみ付いた。

「まんま、まんま」
と、お腹のすいた玄はおねだりした。

ようやく気がついた紅は、風との口論を止め、その畑の方に風と下って行った。手拭いをかぶったその農民の名は、秋(あき)である。

「かわいい子だねえ、どこからきたんだい?」
いきなり足にしがみ付かれた秋は、一瞬何が起こったのか分からず驚いたが、足元にはあどけない小さな子供がいたため、目尻を下げ、玄に問いかけた。

すると、玄は紅たちの方を指差した。
顔を上げた秋を見て、紅ははっとした。
そこには、老婆やにそっくりな人が目の前にいたためである。
風も、秋を見て目を丸くした。
秋は、二人が自分の顔を見てなぜ驚いているのか分からなかった。

不思議に思いながらも、二人の後ろから、畦道にいる馬が見えた。
おそらく、あの馬に乗って遠くからここまで来たのだろうか。

「あんたたち、こんな夕暮れ時に、どこから来たんだい。」
秋が紅たちに尋ねた。

紅は、美の国の殿である父が、反逆者に殺され逃げてきたとは言えず、口ごもった。

すると、横にいた風がとっさに、どこから来たとも言わず、道に迷い、お腹が空いていることを迷わず伝えた。

見ず知らずの若い男女二人が、まだ小さな子供を連れお腹が空いたと訴えているのを見て、秋は戸惑った。
見るからには悪い者ではなさそうだと判断し、秋は困っているのならと、夕食を共にしないかと紅たちに申し出た。

秋は、快く家に三人のどこから来たか分からない若者たちを招き入れた。
一人暮らしで、農家を一人で営んでいるようだった。

秋は紅たちに季節の野菜がたっぷり入った味噌汁を作ってくれた。

こんなにも美味しい味噌汁を口にしたのは初めてだと、紅は秋に伝えた。

秋は、大袈裟だと言ったが、紅は本当にこんなにも具沢山の野菜に味噌の味が詰まった味噌汁を口にしたことはなかった。

秋との会話の中でも、無謀にも何も知らず殿様の娘として生きてきた紅は、自分が世間のことを何も知らないことを自覚した。

紅は、ここへ来て初めて自分が世間知らずであることを自覚し、恥ずかしくなった。

もっと、ばば様にいろんなことを聞いておけば良かったと、紅は後悔した。

そして、母上とばば様のことを思い出し、二人がここへ居ればと、もう取り戻すことのできない幸せの中にずっといたんだと感じ、虚しくなった。

その後、秋と会話を続けたが、紅は心にぽっかり開いた穴を塞ぐことはできず、なんの会話をしたか分からない程、紅の心はここにあらずという様子だった。

秋が、今日はもう遅いためここに泊まりなさいと、三人のことを見かね優しく受け入れてくれた。
他に行くところがないのなら、ここに居れば良いとも言ってくれた。

第十一節
その夜、紅はなかなか寝付けず、玄の手を握りながら静かに布団に入っていた。

玄の眠る横顔を眺めながら、目の前で起こっている事は夢なのかと自分に問いかけた。

紅は、もっと強くならなければ、玄のためにも強くなる!と、心に決めた。

風も同じように、その夜、二人を守ると神に誓い目を閉じた。

紅は次の日から、風に剣術を習うようになった。
日々、風を相手に紅は一心に剣を振るった。

そんな二人を、秋は見守った。

紅たちが、自ら自分たちの事を語ることはかったが、あの時途方にくれた様子で秋に出会った事は、何かの縁だと思い、見ず知らずの若者を秋は自然と受け入れていた。

日々、剣術を習う紅の様子を見て、秋は昔の血が騒いだ。
今はもう秋は、腰を曲げた老婆になってしまったが、昔は宮中に使える忍であった。

ある日、秋は紅たちに尋ねる。
「お前たち、そんなに剣術を鍛え、どこか戦いにでも行くのか。」

秋は、若者が微力な力で何かを倒そうとしているなんて思いもせず、冗談混じりで聞いた。
秋の笑みを含んだ問いに対し、紅は肩に力を入れ強張った様子を見せた。
秋が思っていた反応とは違う紅の様子に秋は眉をひそめた。

秋は、一瞬聞いてはならぬことを聞いたのかと思った。

紅の代わりに、風が答えた。
「ああ、我らはこれから行かなくてはならぬ場所がある。その道中で何があるか分からない。剣術を紅が習っているのはそのためだ。」

この二人は、何を抱えここまで来たのかと、秋はますます突然の訪問者を不思議に思った。
「いったい、何があったのだい。」
秋は、まだ幼い子を連れた不思議な若者二人に、率直な疑問を投げかけた。

紅は、一切話そうとはしなかった。
風が話すことに紅は、秋と一緒に耳を傾けていただけだった。

風は、自分たちが美の国から来たこと、紅と玄は殿様の子供であること、収穫祭に反逆者が謀叛を起こし殿様が討たれたこと、藤田家の命を守るためここまで逃げてきたこと、全てを正直に秋に話した。

「そうかい。」
風が話し終わるまで、秋は終始、驚きを隠せない表情を見せていたが、風が話し終わると静かに頷いた。
「それであんたたち、あの時途方にくれていたんだね。」
納得したように、秋は言った。

あの時何も問わず、自分たちを受け入れてくれたことに感謝していると、風は秋に伝えた。

「それで、行かなければならない場所があると言っていたが、いったいどこに行くつもりなんだ?」
秋は、単純に浮かんだ疑問を風に聞いた。

「京の国です。藤田領主は京の国との交友がありました。美の国の殿様が信頼していた京の国の殿様に直接、今回の出来事を報告するため、そして助言を貰うために京の国へ上るのです。」

「あら、あんたたち京の国へ行くのかい。ここからだと随分と遠いよ、覚悟して行かないと。」

「ええ、承知しております。」風が答えた。

「え?」それまで、風の横に座り、静かに二人の会話を聞いていた紅が初めて口を割った。

不安そうに、
「まだまだ京は先なの?」と、風に尋ねた。

「知らなかったのかね、紅よ。」今度は、秋が尋ねた。

「世間、知らずなもので。」と、紅は答えた。

「そうかい、お節介は焼きたくないんだが、もし良ければ、わしが武術を教えようかい。」と秋は言った。

「え?」紅と風には、秋がどういう意味でそう申し出てきたのか、分からなかった。

「今じゃ、こんな婆さんになってしまったが、わしは若い頃忍びだったのじゃ。」

紅と風は、きょとんとした。

「これでも、この国で一、二を競う忍だったと自負しておる。」

「ぜひ、その武術教えてください!」風が、勢いよく言った。
幼い頃から、武術を習ってきた風にとって、こんなにも頼もしい師匠はいなかった。

秋は、風の返事にニヤッと笑い、
「しかし、覚悟しておけ、わしは優しくないぞ。」と言った。

次の日から、毎朝水汲みに行った。
自然の中での暮らし方を秋はまず教えた。

二人は、今を生きること、そして、幼い玄を育てることに必死だった。

秋は、玄が大きくなるまでここに居れば良いと言ってくれた。

秋と山奥で生活をしながら、いつの日か紅と風は京に行くことを夢見た。

(続く)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?