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君も囚われてるんじゃないのかい

こんばんは。 
なーたんですー。

さて、今思ったことを記してみようかな。

毎週楽しみにしていたドラマが最終回を迎えました。
罠の戦争というドラマです。
この類いのドラマがタイプなのです。

どのような内容かは記しませんが、
ビッシビシくる台詞の数々。
その中でも
(言い回しが違う所もあると思いますが、ご了承ください)

「君も囚われてるんじゃないのかい。権力という魔物に」

「そうなんだよ、気持ちいいんだ。人を救うということは」

「沢山の人を救うためには力が必要になる」

もー、目と耳と心とガッツリ見開きで釘付けになりまして。


「囚われる」

日常でも目にすることだよなぁ、と。
客観的に(自身にも言えることなのですが)
私から見て、

どうして、あの人はそこまでするんだろう。
どうして、あの人にそこまで注ぐのだろう。
どうして、身を削る真似するんだろう。
どうして、そこまで気を遣うのだろう。

きっと、この「どうして」には理由がある。
ドラマでいうところの
「人を救うのが気持ちがいい」
この部分。

この部分が核だと思っていて、

ここが
なに目線なのか
誰に、どこへ向けたもので
どんな展望があるのか
それは執着ではないか
ときに手放すことができるか
自分本位に比重が大きく傾いていないか
など。
この核が、おかしな方向へ向かうと
おかしなことになるよね。
(ドラマでは一旦おかしな方向へ行っていました)

目の前に集中しすぎると
ひとつに集中しすぎると
特定に集中しすぎると

誰かやどこかへ対する
目や耳、心が乏しくなることがある。
そして、いずれ
誤解や歪み、妬みなんかが生じる。

難しいことなのかもしれないけれど
どんなときも、どんな状況であっても
たまには、
立ち止まったり
右みたり左みたり上みたり下みたり。
“集中するをやめる”
大事なんじゃないかなーって。

ドラマを見終えて思いました。


さぁ、明日は年度最終日!
はやいのう。
新年度も、積み上げたものをベースに新しい目線をもってスタートしよう。

そんなかんじー
またねー。




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