見出し画像

映画「生きる-LIVING-」感想(★★★☆☆)

※ネタバレに配慮していません。

アマプラで次に見る映画を探していたところ、高評価だったので見てみました。

あらすじとしては、余命を宣告されたおじいちゃんが、今までの"ゾンビのような"生き方を見直して、周囲の人達に影響を与えるというお話。
余命宣告系といえば有名なものに「最高の人生の見つけ方」がありますが、それと比べると主人公の出で立ちなども相まって終始レトロな雰囲気で、静かに物語が進んでいきます。
どちらかといえば私は「最高の人生の見つけ方」みたいにはっちゃけちゃおうぜ的な雰囲気のほうが好みではありますが、どちらかというとこの作品のおじいちゃんははっちゃけ方すら分からないタイプの人です。
つまらない仕事。妻とは死別。息子夫婦とは微妙な関係。部下の女の子からのあだ名は「ゾンビ」。
途中、そんな部下の女の子を映画に誘ったり引き止めたりするシーンで、まさか身の程をわかってないタイプのおじさんなのか?と一瞬疑ってしまいましたが、流石にそこまでではなくて安心しました。
部下の女の子があまりにもエネルギッシュで、1日でもそんなふうに生きてみたかったと言うシーンは、なんだかジーンと来てしまいました。

その後、突如として仕事に目覚めた主人公は後回しにされ続けてきた公園の整備に尽力しますが、完成後まもなく死去します。(ここの描写のスピード感すごかった)
その後は、残された人のエピソードになるのですが、ここは少し疑問が残る点もありました。
なにせ主人公が持ち上げられすぎる。
葬儀の帰りの鉄道の中で同僚たちが亡き主人公について語り合う中で、どんどんと主人公の公園整備への貢献が明らかになり「俺たちも変わろう」と話すんですが、流石にちょっとクサい。
そして案の定、同僚のほとんどの人はすぐに元通りになってしまう一方、新人だけが彼の仕事ぶりを忘れないっていうオチなんですが、ちょっと納得行かない部分がありまして。

というのも、実は主人公は新人の彼にだけ手紙を残しているわけですが、まぁそこでなぜ彼だけなのかという話なんですよね。
同僚はほとんど自分と同じ「ゾンビ」なわけで、過去の自分と一緒なのだからそこを区別する必要は無くないか?
新人ととてもフィーリングが合ったとかならまだしも、主人公と新人は劇中そこまで絡んでないんですよね。
なぜ、自分と同じ道に進もうとしている(新人以外の)同僚には伝えてあげないのかと考えると、映画のシナリオとして「伝える必要のある人」と「ない人」を区別している感じがして、それを主人公の考え方として表現しているのが嫌だなぁと思いました。

そして気になったもう一つは息子の描写ですね。
結局主人公は余命について息子に打ち明けられないまま死んでしまったし、息子はどういうわけか主人公の部下の女性が主人公の余命について知っていたことを察しています。
息子が、なぜ自分に話してくれなかったのだろうと嘆くシーンはあるのですが、その先特にオチも伏線回収もなにもないんですよね。
主人公は息子のためを思って打ち明けなかったのかもしれませんが、私は割と身内の死の準備をする時間(尽くしてあげられる時間)は、死んだあとの家族のために必要だと思っている派なので、
一体何を描写したかったのか、私にはあまり良く分かりませんでした。

と、ここまで来て他の方の感想などなどを読んでいたら、この映画昔の名作のリメイクなのですね(無知なのが恥ずかしい…)
そうであるならば、オリジナルの脚本があってのことだと思うので、私の感じた疑問はオリジナル版を見れば解ける謎なのかもしれません。

まぁ多少疑問が残る部分はあったにせよ、レトロな雰囲気や作品のテーマ自体は結構好きな作品だったので、オリジナル版も機会があれば見てみようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?