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すこし前と今日のこと



中学のときはクラスで一番絵が上手かった、修学旅行のしおりの表紙の絵を描いた。なんもないちゃんは絵が上手いね、絶対将来画家とか漫画家になれるよ、その言葉ってずっと今でも呪いになってる。
水彩画が好きだった。紙がふやけるくらいたっぷり水を含んだ筆で何度もいろを重ねて描くわたしの絵はあなたみたいに優しくて素敵だと幽霊部員なわたしによくしてくれた美術部の先生は言っていた。
美術に特化した高校に入った。クラスで一番絵が上手かったひとが集まった高校だった。わたしの大好きな絵はすぐに大好きだったものに変わった。好きなものを周りと比べるなんて自分勝手だったけど、そんなことに気がつけないくらい幼かったわたしは高校ではあんなに大好きだった絵を放り出し恋と勉強に熱中することになった
絵を描くと未だに苦しくなって、未だに水彩の筆中学以来ほとんど握っていない。

今日は「ノルウェイの森」の上巻を読んだ。恥ずかしながら村上春樹はほぼ初めて読んだけど思ったよりまろやかな文章で情景描写がすこし多いけどちゃんと頭の中にすいすいと入ってくる小説だった 
それがきっかけでほぼ半年くらいぶりに本を読むようになった 本はよかった、本を読むのは得意だったことを思い出した。
最初はソワソワしてなかなか読み進められないけど30ページくらい読めば本の中に入れる、たとえばわたしが鬱で薬漬けで休学をしていて将来どうなるかわからないこととか、そういうところから逃げられるんだった。わたしは本を読むのが得意だった、思い出した。

あとはBUMPのロッキンのセトリを聴いたら1年ぶりくらいにまたしっかりとBUMPを聴くようになった。BUMPはずっと好きで、聴けば必ず助けてもらえることはわかっていたんだけど、ここ1年間くらいわたしはBUMPに助けられていい身分じゃない。聴くべきなのはandymoriやsyrup16gや銀杏BOYZだと思っていた。(アーティストを貶しているわけじゃない。BUMP OF CHICKENとsyrup16gを聞き比べたらなんとなくあなたもわかるはず)
だけどやっぱりまたBUMPに助けてもらってしまった。わたしなんかが、って思いは消えないけど、syrup16gやandymoriとは違ってBUMPはいつか大事だった誰かが絡んでくる悲しい思い出はないから、だから聴くっていうのも失礼だけど、なんだかわたしは藤原基央を神様だと思っているんだな。わたしにとって峯田和伸だって神様だけど、それとは違う、神様。変われないのに変わりたいままだから苦しくて、って、これはわたしのことを歌ってくれてるって思っていいのかな。わたしなんかのために歌ってくれてるのかな、やっぱりBUMPを聴いていい身分じゃないのかもなぁ おおきい感情を抱きすぎているのかなぁ、音楽なんて聴きたい時に聴いていいのかなぁ、だれかわかって欲しい

最近はこんな感じです。みなさんは元気にしていますか、きっと元気ではないでしょう。そうだったらわたしは嬉しい

死のうと思っていても水分補給をしてしまう。

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