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青天の霹靂

7月29日(月) 休職26日目

明け方4時半目が覚める。ブロチゾラム1錠服用で様子をみたが1時間くらいで効き始め、約5時間で目が覚めた。一度トイレに行こうと立ち上がるが眠気とふらつきはある。薬が抜けておらずまだ眠れそうなので二度寝する。二度目は5時半頃に目が覚めた。

今日は検査結果を聞きに病院へ行かなければならない。

無意識にも気になっていたのだろう。気分は落ち着かないし身体が重い。休み始めた当初くらいの体調の悪さ。食欲もなく、朝は珈琲一杯、稲荷寿司2つとお吸い物のみ頑張って食べた。

一人で大丈夫だと言ったが検査結果を聞きに行く私に母が付き添ってくれると言った。「あなたは昔から大丈夫、大丈夫って言うしあまり親に何も話してくれないけど、今が大丈夫じゃない状態なの自覚ないでしょ?身体ボロボロなのよ?私が心配だから付いていく。」と言って隣にいてくれた。

病院に着き、受付を通して産婦人科外来へ。待合室の椅子に座って3分も経たず呼ばれ、診察室に入る。

担当医は明るい雰囲気のハキハキとした女医さんなのだが、いつもどおりの笑顔の傍ら「先日の結果がでました。それでですね…」と手元の検査結果の書類を何枚かめくりながら次のセリフを発するまでに少しの間をおいた。
その瞬間、「病変部位が悪性だったんだな」と悟ってしまった。

「まず、細胞診で疑陽性が出て、異型の細胞が見つかった為、うちに来て頂き、より詳しい組織診というのをさせてもらったんですね。そこで、異型細胞が癌化しているかいないかを今回の検査で調べたんですが…検査の結果で子宮内膜も、子宮頸部の方も癌に進行していることが分かりました…」

そこまで聞いただけで「まさか」という気持ちよりも「予想しなかったわけじゃないけど、やっぱりそうなんだ…」という心境。
良いのか悪いのか分からないが、昔から自分の中での「嫌な予感」「悪い予感」というのはかなりの高確率で的中する。

そもそも子宮内膜増殖症と診断された時点で、それがどんな病気で、どういう症状なのか散々調べてしまった。異型細胞が認められる場合、約30%の確率で癌に進行することも知っていた。約三分の一の確率。ロシアンルーレットよりも当たる確率は高い。出産経験のない自分はそれだけでもリスク因子を含んでいる。

子宮体癌は50代以降に多いとあるが、40代から罹患率は急激に右肩上がりのグラフをたどっている。
もし癌だったなら若い分進行も早い。
嫌でも色々なことを考えてしまう。
…覚悟はできていたつもりだった。

先生はゆっくり言葉を選びながら、子宮内膜の癌と子宮頸部の癌は別物の癌であること、今の時点では両方の癌が子宮内で留まっているか、他の臓器に浸潤していないか、リンパなどに転移がないかを造影剤を使ってMRIで検査をする必要があり、その結果次第で医局で一旦話し合い治療方針を決めようと思う、と話された。場合によってはより治療、手術がしやすいように大学病院への転院を勧める場合もあるが、検査の結果次第でまたお伝えしたいとの話だった。

そのうえで「明日、MRIの検査枠が空いてますが、午後から来れそうですか?」と確認され、30日の15時からMRIの検査が入った。そして今週金曜日に検査結果がわかり、具体的な治療方針が決まる。

診察室を出て力なく待合室の長椅子に腰かけた。母もかける言葉が見つからないのだろう。無言のまま隣に座った。婦人科外来の看護師さんから、会計前に血液検査をするから処置室に寄るよう指示され、一階の処置室に向かい血液を採取される。今月血を採られるのももう6回目。そろそろ貧血になりそうだ。

処置室を出て、会計前のソファーで待つ。横でポツリと「まさか癌だとは…母は思わなかったよ」と呟いた。

母自身、今まで一度も大病したことがないから娘の私も丈夫だろうと勝手に思っていたんだそうだ。
でも私の考えは逆で、体質や体型は亡くなった父方の祖母に似ており、今存命の父含めて全員内臓疾患を患っている。あと高血圧の家系なので気をつけないとと思っていた。

「お母さん、ごめんね」

待合室で横並びに腰かけたまま母に謝った。
健康な体に産んでくれたのに、一人も子供を産まないまま子宮を取る事になり、ただただ申し訳無い気持ちになった。

「何でよ、謝ることなんてないじゃない。病気なんだから。今見つからなかったらあなたこの先しばらく検診にも行かなかったでしょ?」

「うん…多分忙しさにかまけて行ってない。痛みとか、もっとわかりやすい自覚症状が出るまで放置してたと思う。」

本来なら不正出血が何ヶ月も続いている時点で十分異常なのに、若い頃から不正出血やらホルモンバランスの乱れからくる卵巣肥大になったりで、その都度受診して血液検査やら内視鏡検査やら癌検診やらしてもらっても病的な異常がなく、ストレスかな?と薬物療法や対処的な処置で終わっていたので今回もそんなもんだろう、くらいにしか考えていなかった。

そう、だから癌になったのは自分のせい。
病院に行かなかった自分のせいだ。
自己判断と自分の怠慢が招いた結果だ。

「思ったんだけどさ、母はね、うつ病が先に診断されて結果的に長いお休みが確保できたことで本当に良いタイミングで見つかったと思うの。婦人科の方も、元々は更年期障害を疑って受診した訳だから、がん検診はついでだったじゃない?神様のお告げじゃないけどさ、体の病気が見つかったのは色んな偶然が重なった結果で、一度ちゃんと休みなさいって言われてるんだと思ってるよ。」

「そうだね、私もそう思う。」

「…なっちゃったもんはしょうがないんだからさ、休みながら治そう。」

「うん、だね。」

改めて思ったけれど、私と母は性格こそあまり似ていないが、「最悪な状況からのポジティブ思考」な点は似ているなと思う。基本的思考はネガティブな癖に、どん底まで落ちた時の気持ちの切り替え方は想像できないくらいポジティブだ。5年生存率の懸念はあるが、何もまだ余命宣告された訳じゃない、手術だけで留まるかも知れない。経験した人にしか分からない辛さや苦しみは乗り越えられた先に必ず自分の糧になることを私は知っている。

大きな病気はできるなら経験しないに越したことはないけど、それが避けられないならせめて誰かの、何かの役に立てるものにしたい。

いつもは食欲がないのに、今日は夕方「お腹が空いた」とはっきり思えた。
体が病気と闘うための力をつけろ、と言っているようだ。
このまま食欲が回復するといいな。
明日も検査だ。まずは食べないと。

※実はこの日の日記の後半は翌日の30日に記録している。こう気持ちを切り替えられるまでに一日かかったからだ。

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