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祝日

この2日間は町田で「関東パラ陸上」の取材に出向いたが、大変うれしい出来事があったので記録に残しておこうと思います。

トップの写真に写っている2人は、私がライター業やパラスポーツ(障がい者スポーツ)の取材に取り組むきっかけになった人です。

左の三宅修司は中央大学の同級生で、在学時は陸上部で400mHの選手(インターハイ、インターカレッジ入賞者)。私は大学新聞の記者をしていたので、取材をする側でした。次の彼との接点は自分が勤め先を退職した2016年。今も付き合いのある編集者を紹介してもらい、翌年からライターとしての一歩を踏み出すきっかけになりました。三宅の方も、同時期にパーソナルトレーナーとして起業したので、「お互い頑張ろう」と話したのを覚えています。

右の池田樹生くんは、パラ陸上の国内トップスプリンターで、先天的に右手足がないため、競技用にカスタマイズした義足と義手を装着して走っています。彼との出会いは2017年2月にメルボルンであった「ニトロアスレチックス」という大会。「エンターテインメント×陸上競技」をコンセプトに据えた、なかなかに画期的な大会だったものの、この時が最初で最後の開催となっています。

ウサイン・ボルトが豪州の陸連と共催したこの大会に、日本代表の一員として出場していたのが池田くんでした。日本から出向いたライターはおそらく私だけだったと記憶していますが、私にとって人生で初めてパラスポーツの選手と会って話したのがこの時。さらに、池田くんを紹介してくれたのが、他ならぬミヤシューでした。

池田くんとの出会いをきっかけにパラスポーツの取材に取り組むようになり、彼の義手や義足をつくる義肢装具士の沖野敦郎さんと知り合い、当時通っていた宣伝会議の「編集・ライター講座」では池田くんや沖野さんとの間で交わされる義肢製作の対話を修了作品としてまとめ、2017年のロンドン世界パラ陸上選手権にも追っかけていきました。

その池田くんは今春、愛知県の中京大学を出て、競技環境の整った都内の企業に所属しています。会社に陸上部はないため、同時に正式にコーチをつけて練習に励んでいますが、そのコーチが、ミヤシューその人(笑)。彼は、これまでの経験や、パーソナルトレーナーとしての知見を池田くんのコーチングにも注入しているというわけです。

冒頭の「うれしい出来事」。それは、池田くんが今日(2019年7月7日)初めて100mで11秒台を記録したこと(11秒97/+1.5)。降雨に断続的な強風という決して良いとは言えないコンディションの中で。日本では、義足のスプリンターで100m12秒を切った選手はこれまで3人しかいませんでした。すんでのところで12秒を切れずにいた彼でしたが、6月頭、昨日と、ポジティブな発言が続いており、「もしかすると…」と期待していましたが、本日4人目の11秒台選手となりました。

ちょっと大げさに書いていますが、私の人生の恩人である2人がこうしてタッグを組み、出そうで出なかった記録が出た。これ以上の喜びはありません。

「パーソナルトレーナーとしての知見を注入」と書いているものの、この2人の関係性の源泉は「フィーリング」にあるように思います。それは池田くんが6月頭の日本選手権で発した言葉に表れています。

「ミヤシュー(=三宅)さんとは感覚があっている気がします。“野生の勘”というか(笑)」

池田くんの競技クラス(パラスポーツの陸上競技は障がいの種類・程度に応じて「クラス分け」というものがある)では、世界レベルは10秒台中盤の域。1秒強という厳然たる溝がありますが、良い意味でオプティミストなのが池田くんのいい所。現在は走り幅跳びにも挑戦し、自身の可能性を模索しています。

東京パラリンピック出場までは険しい道程かもしれませんが、ひとまず今日は心からおめでとうと言いたいと思います。


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