夢追う子供をやめた○○へ(らくがき)
友人Aが言った。
全員が全員なりたいものになれるわけがない、という社会構造を無視して、
夢とか希望とか、個性を追いかけることを推奨したら、
○○になりたかった人という謎の肩書きの無能が増えるだけだ、と。
友人Bが言った。
やりたいことをやればいい、好きなことをやればいい、は、無責任だ。
やりたいことは、やらなきゃいけないことをやった先に手が届くものだ、と。
好きなことを好きなだけやるにも、同じくやらなきゃいけないことがあるのだと。
彼らは言った。
プランBを模索しながら、夢を追うべきだ。
それは、逃げではなく、プランBがあってのビジョンなのだ。
彼らは言った。高らかに言った。
とある先生が、政治はであることとであるべきことを衡量しながら、できることを探っていく活動だと言っていた。
それは、人間一般に敷衍できることだ。
人間は、欲望と必要を調整する小さな政治を体内で行っている。
欲望と、必要を調整する、小さな政治。
そんなもの、いつの間に私の中に生まれたのか。
ああ、
もうあの時の私たちはいないのだ、と、私のどこからか声がする。
15分間、ドッチボールのためだけに外に出た休み時間。
渡せなかったチョコレート。
40人のクラスメイトの前で、20年後の自分の在り処を言う私たち。
未来は明るいと。絶対的だと。
「必要」「プランB」「やらなきゃいけないこと」
そんな言葉を知る由もなかった私たち。
色々なことを知って、言葉を知って。
これは、成長と呼べるのでしょうか。
拝啓、夢追う子供をやめた○○へ。拝啓、現実を知らない○○へ。
今年の夏休み、私はカブトムシを追いかけ、山に入っているのでしょうか。
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