その線は水平線 (くるり)

久しぶりに打ちのめされた。心が震えた。

割れた心のひびの中にすっと染み入っていって、やさしくじんわり温め照らし寄り添ってくれるような曲。こんな曲をずっと求めていた。


正直、くるりの新曲でもうこんな感覚を体験することがあるとは思っていなかった。私のくるりとのかかわり方もずいぶん変わってしまったし、くるり自体もかなり変わった。

NOW AND THENチミの名は。ツアーは最高だった。やっぱり私はくるりからは離れられないと思った。けれどそれは現在進行形で作り出されている曲に対して向いたものではなかった。

限定版の新曲が出るよと聞いても、ふーんそうなんだ、どんな感じかな、という低テンションで、ぼんやりしていた結果、CDの入手は困難を極めることとなった

気にはなるけどもう手に入れられる可能性は低いからライブで聴けたらいいかなと思っていたところ、あの2016年の音博でチケットを譲ってくださった方からMVがYoutubeに上がっているから全曲聴けるよという情報を得た。(最近はHPやラジオ、雑誌なんかのチェックもほとんどしていないのでこんなことにすら自分で気づけないレベル・・・)

そうなんだ、それなら!と早速動画にアクセスしてみて・・・

それからはずっとこの曲をリピートして聴いています。文字通り、抜け出せなくなってしまった。


「その線は水平線」は、まさにドンピシャで私が好きなくるりの曲のエッセンスが凝縮されているものでした。

サウンドで言えば、帰り道とか真夏の雨とかHOW TO GO、愉快なピーナッツのあたりの、重厚な低音ベースとギターが効いたミディアムテンポの心地よいロックで、作りとしては、リフレインが効いた起伏は少ないけれどずっとその中で漂っていたくなる感じで、ハイウェイとかsuperstarとかの雰囲気にも近い。

とにかく、(くるり感は人それぞれだろうけど、私にとっては)これこそくるりの真骨頂というもので、本当に、こんな曲にまた出会えるなんて、そしてこんな気持ちになれるなんて、全く予想していなかったから、完全に打ちのめされています。すごくすごく良い。こんな風にまた音と繋がれる感覚をずっと待ち焦がれていた。

もし、しばらくくるりから離れてしまったという人がいたとしたら、是非聴いてみてほしい。特にアンテナあたりが好きな人にはぐっとくるはず。魂のゆくえ好きにもはまるかな。くどいけど、本当に良いです。


まず、イントロからして泣かせる。どこまでもあたたかくやさしく切ない。一気に曲の世界観に引き込まれる。

そして歌が入る。サビ以外のメロディーは、問いかけがあって、それにレスがあって、また問いかけがあって、またレスがあって、というような形で穏やかに進んでいく。問いかけの部分は、その後に必ずそれを受けてくれるレスの部分があることを前提に置かれていて、この二つの揺ぎ無い関係性から生まれる絶対的な安定感は、何だか岸田氏と佐藤さんの関係をも思わせる。

サビの部分のメロディーは同じラインを繰り返すやや独白的な形。しかしそれも基本的にはその他の部分の変形で、曲はそのリフレインの中で流れていく。

私はこんな風に一つのモチーフを展開して広げていって穏やかに聴かせるくるりの曲がとても好きだ。派手さや高揚感、奇をてらう感じはなくても、ひたむきにていねいに作られた曲がじんわり心に染み入っていく感じ。

一見単純な作りに見えるけど、本当に単純なだけだったら心には響かない。決まった型を多用するけど、それの使いぶりは問われる。これってある意味クラシック的な曲の作り方と通ずるものかもしれない。

歌詞は岸田氏らしいことば少なな抽象性の高いもので、ぽつりぽつりと浮かぶ心象スケッチのようなものを繋いで情景を描こうとするのだけれども、どこかぼんやりしている。

はっきりわかるメッセージ的な部分は「時代を飛び越えろ」「当たり前の愛を貫けよ」「飛び込んでしまえよ」「地に足をつけ走れ」のあたりだろうか。これは他人というよりは語り手自身に向けられたものであるように見える。

「荒らされた土」、「染みたれた涙」と「大きな大きな水たまり」などからはもがいている語り手の姿が浮かび上がる。

ワンダーフォーゲルで「希望を映している」とされていた「水たまり」。でもここでは涙の海に変わっている。そこに「飛び込んでしまえ」と「どこにも行かないさ」言いながらも次にはそれが「どこにも行けないの?」と形を変えてくる。この微妙なことば使いがニクい。

この部分でふとハイウェイの「旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」なんて言っていた後「旅に出る理由なんて何ひとつない」なんてしれっと言われてしまって、でもそれがしっかり成立してしまうような閉塞感、その中で彷徨い漂い浮遊するような感覚を思い出したのだけれども、いずれにせよ、何かを希求しながらも袋小路に陥ってしまっている語り手の煩悶が伝わってくる。

しかしそれが何なのかははっきり描かれているわけではないから、聴き手は語り手の紡いだことばの輪郭を辿りながら、やがて自分の抱える様々なものを曲に溶かして聴き始める。曲と自身がシンクロし、心地よいミディアムテンポの安定感のある重低音、穏やかなリフレインの中で安心して涙を流せるようになる。そうすると、あれ?「大きな大きな水たまり」も何だかあたたかいのかな、なんて感じにもなってくる。それが心のひびを優しく癒し温め寄り添ってくれるエッセンスへと変貌するのだ。


私がくるりでもうこういった曲には出会えないのではと思っていたのには、現在の岸田氏はとても安定していて、こういった心のパズルのピースを探すような感じとは違う世界にいるように見えるからというのもあった。

もちろん生きていて日々色々と思うことはあるだろうけれども、根本的なところではピースは埋まっていて確かで、深い孤独、苦しみ、葛藤、希求、切望といったところで揺れることが少なそうというか。(歌詞や発言などから想像される)現在の生活でそんなにぐらぐらされたらそれはちょっとどうかと思うし、穏やかに過ごしていてほしいとは思うものの、やっぱり昔みたいにその辺の切実な刺さる曲に出会えなくなるのは寂しいかなというのもある。

聞けば、「その線は水平線」は2009、2010年頃に作られた曲だという。その頃のくるりをリアルタイムでわりと濃密に体験していた身からすると「まぁつまり、元気なかったんです俺。」とする岸田氏の様子が思い出されるし、その頃のこととリンクさせると歌詞に納得するところもある。そしてそうすると、ちょうどその辺りを境にくるりから心的に離れてしまった自分や、その後のくるり、特に岸田氏の変化、歩みなど、考えると色々と感慨深くもある。

タイムカプセルみたいな曲だね。NOW AND THEN的というか。

あの頃の曲を今リリースというのは、あの頃のことも含め俯瞰的に見られるようになり、そういう安定の中にあり、自分のこれまでとこれからを見つめているということなんだろうな。


でも、まあそんなこんなはさておき、本当に久しぶりに、どうしようもなく好きな曲リストが更新されました。

ライブで聴いたらだらだら泣いてしまうだろうな。でもきっとそういう人、いっぱいいると思う。

すばらしい曲をありがとう。大切にします。

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