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再読「憎国心のすすめ」林 秀彦 著(成甲書房 2009/12/15)※追記あり

林 秀彦 氏の最後の著書。翌年2010年に亡くなられた。

心ある日本人にとって、この時代の必読書を一冊だけあげるなら、
中村元(1912 - 1999)の『日本人の思惟方法』(春秋社)である。

第一章 必読の書 P. 12

林 秀彦 氏は、十年前の著書「日本を捨てて、日本を知った(1999)」
でも、『日本人の思惟方法』を取り上げ、希望について言及された。

過去の日本人が持っていた歴史への変容力は天才的なものだった。
それは常に、新しい価値への休みない創造だった。
この創造力は、未来の世界に役立つものである。

「日本を捨てて、日本を知った(1999)」 歴史の中のオトナ P. 250

しかし、十年後の著書「憎国心のすすめ(2009)」での言葉は一変する。

現在のわれわれにこれほど貴重な本はめったにあるものではない。
何より教えられることは、日本人は知性というものが皆無であり、
物事を深く考えることができない民族だということである。

第一章 必読の書 P. 12

著者は、オーストラリアに移住していたが、余命宣告を受け、2006年頃、帰国している。そして、日本人の落ちぶれ度を目の当たりにし、帰国前に文字にした「希望」全てを撤回する。

一言で言えば,
日本民族は他律的な民族だということである。(・・・)
他律とは、
<自分の意志によるのでなく、他からの命令や束縛によって行動すること>
(・・・)
この日本人の本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、
どこかの国が、どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、
一層助長させ、推進させ、搾取し、あやつっている。

第二章 ビコーズ、ビコーズ、ビコーズ! P. 31


「自分の考え」と思っていることが、実は自分で考えていることではなく、「メディアの誘導」を刷り込まれていたりする。
誰でも、なにかに「洗脳されている」と考えていた方が良い、とは、
政治思想家・副島隆彦氏の言葉。

治験であるコロナワクチンを、日本の八割以上もの人らが射ってしまった
事実は、今後、より悪質な非人道的行為がなされるのではないだろうか。
日本の行き着く先を考えれば、やはり「滅亡」かもしれない。naka

(中村元氏の言葉より)
有限にして特殊なる人間結合組織を絶対視する傾向は、おのずから
普遍的なる人間の理法を無視する傾向にはしりやすい。(・・・)
自己の所属する人間結合組織の現在の状況にとって好適であるか不適で
あるかということが、そのまま善悪決定の基準となってしまう(・・・)
空間的特殊性を強調する極限においては民族中心主義ないし国家至上主義となり、時間的特殊性を強調する極限においては、与えられた特定の状況に
妥協する便宜主義機会主義となる。

第四章 ジャップの世界 P. 72 - 73

日本が再び全体主義、右翼的な知痴国粋主義に戻ることは、けっして幻想でもなく、意外と早く、意外と簡単に遂行されてしまうかもしれない(・・・)
われわれは本質的にそういう気質の傾向を持っている。
国家至上主義権威に弱い点(・・・)
いまでも農業政策をはじめ、あらゆる日本の主要な政策決定は、
彼らの思い通りだが、完全に彼らの指導を自分の決定と見せかける
強い権威が国内でできれば、もっと遠慮なく日本のロボット化ができる

第十三章 国家主義のプロモーター P. 217


(フリードリヒ・フォン・シラーの言葉より)
言語はすべてのものをで表す』。
日本語はまったく逆だ。具体現象が言葉になった。
その意味で、完全に<反理性><反知性>である。
俳句にのにおいが少しでもあれば、俳句でなくなる。
もし、世界中の人が、に行き詰まり、窒息状態にあるいま、
この日本語の感覚を普遍化させることができたら、
どんなに人類は救われることだろう!

第十四章 最後のモノローグ P. 250 - 251

この本で唯一の、希望の言葉と言えるが、もはや日本では難しいのでは。
日本がなくなった後に、この感覚を受け取った別の民族が、
感覚の普遍化を実現出来れば良し、とすべきか。
しかし、日本の感覚に共感をしめしてくれる民族があるだろうか。

現状の日本で知性を習得する唯一の方法を伝授する。外国の本を読むこと。言語でなくてもいい、翻訳で結構。本当は意味論(セマティック)という学問分野の本を読むのに越したことはないのだが(・・・)
小説でいい。最善は推理小説
それもシャーロック・ホームズとかエルキュール・ポアロなどの名探偵が、疑問-推理・思考-意味-結論という道順を追って犯人を捕まえる話が
最高だ。

第十四章 最後のモノローグ P. 259 -260

この世界で生き残るには、政治的人間となり、悪意ある人らに、
悪意をもって戦わなければならない。
しかし、戦い慣れた民族には勝てないだろう。
負けないように、悪意ある攻撃を少しでもかわせれば良いが、
今となっては。もう、官僚でも、政治家でも、私的権力の僕なわけだから。
明治維新の頃は、こんな事態になろうとは想像しなかっただろう。
自分ら(美化されている明治維新の人ら)が権力をつかむには、
英や米の力を一時的に借りようという思いでは。
(竹中平蔵氏にどのような印象を持たれているだろうか?
 以前、彼が明治維新を褒めるほどに、その真実は逆だろうと、
 私は思った。)

でも、戦い続けなければならない人生は、私には虚しい。
人類(ホモ・サピエンス)のゴールに、救いがない。
なんのために生まれ、生き続けているのか?
早々に滅びた方が良いのかもしれない。ほかの生物のためにも。

。。。まず、日本民族が滅びるとしても。
世界政治には多少の関心を持ちながら、
日本政府の自国民への攻撃ダメージを最小限とし、
自然を見ることで癒され、音楽を楽しみたい。本も勿論、読む。


追記 2023/ 8/13

「日本人て、人間である前に、あまりにも日本人なんだなあ」

第十章 もし私が恋をすうるのなら P. 176

林氏の口から出た言葉。思考を停止したとたんに出た言葉と説明があるが、
思考というのは、おそらく左脳のみで考えた言葉。
左脳と右脳の間の脳梁を、行ったり来たりし反復されたイメージが言語化されたものではなかろうか。頭で考えずに出てくる言葉、というのは。
実際は、考えているけど、左脳だけに頼っているのではない、言葉。

日本人も、人間なんだけど、日本語を使うが故に、右脳や左脳の働き方が、一般の「ホモ・サピエンス・サピエンス」とは違っており、
結果、後天的に、違う人種のような
特殊な「ホモ・サピエンス・サピエンス」になっているのかもしれない、と
思った。良いにしろ、悪いにしろ。naka