見出し画像

備忘録「反骨の系譜 権力に屈しなかった人々」青地晨 著(1976 現代教養文庫)

千夜千冊:310夜(歴象篇)

反骨の方、九人を採りあげている。19世紀に生まれた方々。

第1章 西郷 隆盛(1828-1877)うしろ向きの反逆
第2章 田中 正造(1841-1913)公害闘争の原点
第3章 内村 鑑三(1861-1930)反戦のキリスト者
第4章 大杉 栄 (1885-1923)反逆の眼
第5章 河上 肇 (1879-1946)黎明の近きを疑わず
第6章 北 一輝 (1883-1937)革命とカリスマ
第7章 石原 莞爾(1889-1949)挫折した王道楽士
第8章 松本治一郎(1887-1966)不可侵・不可被侵
第9章 正木ひろし(1896-1975)反権力に生きる

目次

松岡正剛さんが、千夜千冊で取り上げ、影響を受けた一冊、
という情報だけで一読の価値がある。
(ということで、〆としたいが、
 ひとりの事だけ、少し書き出しておく。)

明治政府は古川財閥のために、
農民と耕地の運命を犠牲にしてかえりみなかった。
(・・・)
ひとり最後までたたかったのは田中正造である。
(・・・)
妥協をしらぬ頑強な精神、むしろ頑迷とよびたいほどの非妥協な魂は、
明治以降の日本人にもっとも欠乏している精神である。

『反骨の系譜』 P. 35 田中正造 公害闘争の原点


令和の今も状況は変わらない。経団連・大企業のために、
与党:自民党・公明党は、国民と国土の運命を犠牲とする。
現代の田中正造として、れいわ新撰組:山本太郎代表を重ねたい。

田中正造の生涯には3つの劇的な盛り上がりがある。
第1は領主六角家の役人とのたたかい、
第2は自由民権の闘士としての県令とのたたかい、
第3は鉱毒問題とこれにつづく谷中村事件である。
いずれも農民の立場から支配権力と徹底的に抗争した見事な記念塔だ。
彼の晩年の日記には「最も勢力弱き人々を合せて、強者の暴慢を配するを
楽とせる、余正造が行為の十の九に居る。最弱を以て最強に対するにある」
と書いている。

『反骨の系譜』 P. 36 田中正造 公害闘争の原点