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よんだ「耳を啓く」「幻花 -音楽の生まれる場所」佐藤聰明 著

○ 「耳を啓く」(2006)春秋社
○ 「幻花」  (2020)洪水企画

聰明さんの音楽思想大枠

沈黙とは
 無形無方無窮にして
  真澄に澄む豊穣の大海(おおわだ)

音とは
 その胎内であえかに受肉した
  沈黙の化身

「耳を啓く」目次の前頁

「耳を啓く」ということについて

邦楽器というものは奏するものが音と一枚となり、耳を啓くためにのみ、
永い年月をかけて今日の形に作り変えられたのである。

「耳を啓く」P. 18

日本人が西洋音楽を模倣することについて

インドの音楽は私たちが想像する以上に欧米に根ざしており・・・
日本人が西洋音楽を模倣し祖述してきた歴史も同様であり、
この音楽にことさら西洋音楽が冠すると、 
違和感を覚えるほどに私たちに深く浸透したのだが、
それは自己否定という重い代償によってである。
しかもいまだに豊かな響きがあふれないのは、
性急に同化しようとする意識のみが働き、なにかが断たれたからである。

「耳を啓く」 P. 93

芸術と芸術家の関係について

芸術はまことに業が深い。罪穢に濡れている・・・
美という訳のわからぬものを追い求めるには、おのれの心を蹂躙するほどのはなはだしい我執がなければ創造力は生まれない。
狂気にまみれるほどの執着心がなければ、美の正体は見抜けない。

「幻花」 P. 16

学生時代の知人の言葉

「芸術家にとってもっとも重要なのは、
 好きなものと嫌いなものを明確に区別することだ。
 そしてその理由を考えるべきなのだ。
 あれもいいこれもいいなどと右顧左眄するから、
 日本人の芸術には独創性が生まれない。
 しかも戦後は欧米一辺倒で連中の尻ばかり追っかけている。
 そんな軽佻な世界に俺たちは生きているのさ」

「幻花」 P. 122


情報密度の濃厚な著書であったので、一部のみの抜粋。
聰明さんの音楽思想は禅的であり、
華道、茶道、のように、「音道」と言うものかと。
(言わずもがな、偏った抜粋となっておりますので、ご承知願います。)