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読んだ「老人と棕櫚の木」林 秀彦 著(PHP研究所 2003/10/16)

帯には若山牧水の短歌。

いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに君は耐ふるや

「若山牧水歌集」伊藤一彦編(岩波文庫 2004)P. 27


脚本家の林 秀彦氏は自分の分身に「神馬 伸」という名前を付け、
(ご自分の)話を紡いでいく。
テーマとして「離人症」を挙げている。

【離人症】
自己・他人・外部世界の具体的な存在感・生命感が失われ、
対象は完全に知覚しながらも、それらと自己との有機的なつながりを
実感しえない精神状態。人格感喪失。有情感喪失。(『広辞苑』)

第一部------------------------------------------------
・私      : 神馬 伸 67歳(林 秀彦)   
・妻      : 美津子     47歳
・付添     : 黒杉         37歳
第二部-------------------------------------------------
・私      : 神馬 伸   (林 秀彦)
・ホテル従業員 : 星 夢子    23歳
・娘      : 花野   26歳(岩崎 里鶴)
                (※前妻 岩崎 真奈美)        

登場人物

オーストラリアに暮らしている神馬 伸と美津子。
妻の愛を失ったが理由が分からない神馬。
美津子は、理由を言葉に出来ないが、別れる意志は絶対。
夫の愛と、妻の無関心。二人の乖離は修復不能。
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独り日本に帰国する神馬。
ホテル従業員:星夢子の存在が余命までの救いか。

エンディング、前妻の娘「花野」の解釈。
父(神馬 伸)は、自分を愛せるタイプだから、他人も愛せる。
美津子さんは、評価を受けたいタイプであり、
自分を愛せないどころか、自分を憎むタイプ。
父が、美津子さんを愛するほどに、
美津子さんは、自分ではない自分を演じ、
自分をさらに憎むことに。
自分を愛することの出来る神馬 伸から、
存在の圧力を感じ、美津子さん自身は別れる事を決断した。
自己だけの世界に埋没し、他者の評価や繋がりから
一切関係を断つ状態=【離人症】。


林 秀彦氏の、オーストラリアから帰国するまでの状況を
確認出来るかと思い、読んでみた。

結局、自分の物語として読み換えた。
(以下の文章は、noteのみなさんには関係ないと思うけど、
 自分の気が済むので書いておきます。)

親から「長所」を見つけてもらって育てられた子供は、
ありのままの自分を好きになることが出来る。

親から「長所」を見つけてもらえず、
「短所」ばかりを責められた子供は、
ありのままの自分を好きになれない。

親の目、他人の目を気にし、
「親や他人に都合の良い人」として生きようとする。
でも、それはありのままの自分ではない。

(こういう人を狙う悪人も多いだろう。)

親の人間性が、子供にとって生きる上でのスタート地点。
親の人間性の差によるハンディは、人生における影響が大きい。

ありのままの自分を受け入れてこなかった親は、
ありのままでいる子供を許せない。
躾という名の「人格否定」がおこる。

「ありのままの自分を受け入れていない人」が
孫、ひ孫・・・と連鎖していけば、
自分を憎み、他人を憎む人が増殖していく。
比例して犯罪も増えていくのだろう。

ありのままの自分を好きになることが大事である事に気付いても
ありのままの自分で生きてこなかった人は、
簡単には自分を好きになる事が出来ない。

ありのままでなく生きてきた年数分と同じ年数が、
ありのままの自分を受け入れるには、かかるかもしれない。

自分自身を修正していくのは、きつい。
でも、せっかく気づけたんだから、諦めるべきではないだろう。
第三者の言葉で気づけたのかもしれない。
人の言葉を受け入れる態勢になっていた、ということか。

周りの人が、ありのままに生きていない人に気付いても
近づくことは難しいし、近づくには覚悟が必要だろう。
直接的ではなく、間接的に力になれる方法が見つかれば、
もしかしたら、その人の力になれるかもしれない。

( 社会学者・加藤諦三さんの言葉は、私の力になった。 )