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四分の三よんだ「オブジェ焼き 八木一夫陶芸随筆」(講談社文芸文庫 1999)

松岡正剛の千夜千冊 314夜(意表篇)

6章構成。1章目の文章で高揚。
その余韻をもって、2章目以降も読み続けるも、6章途中まで。

原始の、土器のような(それは石でできていても、木でも器でも像でもいいのだが)ものをみると、造りものというよりは、できごとのように、おのずと生まれたもの

第1章 原始への随想ー無名性の切実感 P. 13-14


器を、「もの」ではなく、「できごと」としてみる。

古代の器物を目にするたびに、私はそこに描かれた、
はじめも終わりもない不動のもの、悠久なるものの畏敬を思う。
(・・・)
祈りや怖れの次元から、おのずから生じたもの

第1章 風月の世界についてー技術の場から P. 22

器は器自身のもつ気配によって、周囲の中へ同化しながら、
周囲そのものとなる。
つまり、その器の気配は、器は畳へとつながっており、室内の大気を
呼吸し、さらにあのはるか山水を包み込んでいる大地ともつながっている。
そんなリズムを起こさせる、一つの流動感なのである。

風月の世界とは、そのようなリズムを常にわが身に起こさせながら、
外界へとつながっている自らとの唱和応答の場でもあった。

第1章 風月の世界についてー技術の場から P. 39

大量消費社会では、"もの(単品)"を、
自分とは断絶された"もの"とみているが、
太古では、"もの"につながりを感じていた、のだろう。
八木一夫の言葉、"できごと"のように。
一人の人間ですら"もの(単品)"化されていく現代で、
それに抗い、"この世"との"つながり"を感じていきたい。


今が底値ではあるが。