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【瑞木瑠衣SS-10】感情の名前


「すきだよ、白石」


───その言葉を残して、彼は屋上へと来なくった。

白石玲央は彼のいない屋上で彼の残した言葉を反芻する。
その言葉の意味を求めるように。

彼は何で好きと言ったのだろう。
何を好きと言ったのだろう。
どうして、屋上に来てくれないのだろう。

そもそも、好きとはなんだろう。
名前としてなら勿論知っている。

好き、それは何かを好ましく思うこと。

演技が好きだとか、好きな食べ物や音楽だとか、そういう好きは理解出来る。
でも、これはきっと、それとは違う。

じゃあ、これは一体なんなのだろう。

彼の残した言葉と、自分の中の彼に向ける感情をぐるぐる考えるが、しっくりくる答えは見つからない。

「ねぇ織田くん、“好き”とはどういう感情なんだい?」
「藪から棒になんだよ、てかなんであたしに聞くんだよ」

少し離れた場所で煙草をふかしていた織田くんが訝しげにこちらを見る。

「だって、織田くんは塞翁くんと付き合っているのだろう?こういったことには詳しいんじゃないかな?」
「ばっ!?バカ言うな、あたしと小虎は友達だよ!」

織田くんはすかさず否定した後、自分で言って思うところでもあるのか少し苦い顔をする。
うーん、よく分からないけれど何か込み入った事情があるようだ。

「すまない、それは早とちりしてしまった」

顎に手を当てふむ、と考え込む。
彼女の様子を見る限り、これ以上織田くんに聞くべきではないだろう。

「邪魔してしまってすまない、僕はもう行くよ」

織田くんを残して僕は扉を開け階段を降りていく。
瑠衣くんはあの言葉を残してここを降りた時、どんなことを思っていたのだろう。

答えはまだ、見つからない。

​───────

放課後、演劇部の部室にて。

「発声練習終わり!皆、5分休憩取って再開しますよ!」

顧問の先生がパンと手を叩くのに合わせ、部員達は散り散りに散っていく。

「せんぱい!お疲れ様です!」

ととと、と後輩の晴菜くんが近くへ走り寄ってくる。
ふらりと転けそうになった彼女の身体を支えて僕は「お疲れ様」と笑いかけた。

「す、すみませんせんぱい!」

晴菜くんは恥ずかしさと申し訳なさが混じったような表情でぺこぺこする。

「いいよ、気にしないで。それより飲み物持ってきてくれたんだろう?ありがとう」

晴菜くんの両手にはペットボトルが2つ握られている。
「はい!」と満面の笑みで笑うと彼女はペットボトルの片方を僕へと差し出した。

「せんぱい、何か悩みごととかありますか?」

少し言いづらそうに晴菜くんが訊ねる。
ふと周囲を見ると他の部員もどこか心配げに僕の方を見ていた。
なるほど、晴菜くんは代表として僕に聞きにきたのだろう。
──そんなに、出てしまっていたのだろうか。

「すまない、もしかして練習に身が入っていないように見えていたかな?」
「はい!珍しく!あ、いえ、せんぱいの発声練習はいつも通り完璧だったんですけれども!」

彼女は慌てて否定するように顔の前で手をぶんぶんと振る。
別にそんなことで怒ったりしないよ、と笑いかけると彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。

「こう、上手く言えないんですけれども、いつもよりぼーっとしているような気がして……」

晴菜くんは少し考え込むポーズをする。
途端、「あ!!」と閃いたようにぽんと手を叩いた。

「もしかしてせんぱい!恋のお悩みですか!?」
「恋?」

そう聞き返すと彼女は大きく頷いてうっとりと目を細める。

「恋のことならわかりますよ!ちゃおで沢山お勉強したので!」
「甘酸っぱくて、少し苦くて、大好きなひとのことを考えると胸がいっぱいになってそのひとのことしか考えられなくなって!」
「他のことが何も手につかないくらいぽーってなって!」

彼女の言葉はとめどなく溢れるように紡がれる。
珍しく少し圧されるような心地になる。
けれど同時にもしかしたら彼女なら分かるのではないか、という予感がした。

「ねぇ、晴菜くん」
「はい!」
「君は、“好き”とはどういう感情なのか分かるかい?」
「好き、ですか?私にとっては、胸がどきどきして、わー!!ってあつくなっちゃって、落ち着かないけどそれがとっても幸せ!って感じです!」

きゃー!と顔を真っ赤にして手で隠す彼女に僕はふふと微笑む。

「はーい、休憩終了!続きしますよ!」

顧問の声が響く。
僕は立ち上がり、晴菜くんにお礼を言う。

好き、その人のことを考えると他の事が全く手につかない程の強い熱。
晴菜くんの定義はそうらしい。

なら僕は、一体どうなんだろう。

あと少しで手が届きそうな答えは、未だ霞の中にある。

​───────

「今日の稽古は終了!最後に今度の劇の台本を配ります!」

顧問の声にあちこちから歓喜の声が聞こえる。
皆が待ち望んでいる台本。勿論僕も例に漏れず、胸が高鳴る。

「今回のは恋愛もの!主役の2人はオーディションで決めるから希望者は来週までに私の所に来るように!」

そう言い、顧問は解散と告げる。

周囲の部員達はまだ僕の様子を心配しているようだったけれども、何も心配することは無いよと伝えて僕は部室を出た。

真新しい台本を手に持って屋上へと向かう。

いつも、近くで僕を見ていてくれた彼。
いつしかそこにいることが当たり前になっていた彼。

屋上への扉を開ける。
彼は、そこにはいなかった。

少しがっかりしたような心地になる、と同時に何故そう思ったのだろうと不意に生じた感情に戸惑った。

気を取り直すようにかぶりを振り、台本を開く。
すぅと息を吐き、思考をクリアにする。

役の人生を借りるように、丸ごと自分の人生にしてしまうように。
僕は口を開く。

『私たち、ずっと友達よね!』
『何言ってんだよ、口にするまでもねぇよ』

友達として始まった彼ら。
傍にいるのが当たり前の2人。
くるりくるりと立ち位置を変えながら一人二役で主役を演じる。

『どうして、何も言ってくれないの!?頼ってよ!』
『……』

大切だから、頼って欲しいと願った彼女。
自分を大切にしない彼。

『私、貴方にいなくなって欲しくない!貴方の重みも全部、私に一緒に背負わせてよ!』

言葉に、熱が入る。

『なんで、わざわざ俺の為に辛い道を選ぼうとすんだよ!』

『そんなの、貴方が好きだからに決まってるでしょ───』

「貴方が、好きだから…………」

演じるのも忘れて、その言葉を繰り返す。

“好き”

織田くんの抱える苦みを伴った感情。
晴菜くんの思う甘く熱い感情。
この台本のヒロインの歩みの原動力となる感情。

ああ、なんとなく分かった気がする。
きっと、どれも正解で、どれも不正解なのだろう。
明確な答えなんて存在しないのだろう。

けれども、僕が彼に抱いているこの思い。
彼の残した言葉の意味を必死に探すこの感情。
ここに彼がいないことに違和感を覚える感情。

この感情に名前を付けるとするならば。

───きっとそれは、“好き”なのだろう。

ならば、なればこそ、彼の言の葉に答えなくてはいけない。
彼が僕の答えを求めていなくとも。
このまま何もせず、彼が遠く離れた地へ旅立つのをただ座して待つのは間違っているから。

名前のついた感情はこうも留めることの出来ないものなのか。
溢れる気持ちを胸に、屋上から駆け出る。

教室へと、廊下へと、下駄箱へと。

学校中を駆けるが彼は見つからない。
もしかしたら、必要がないからと来ていないのだろうか。

僕は鞄からメモを取り出す。
一縷の望みを込めるように、一文字一文字丁寧に言葉を連ねる。

『瑠衣くんへ 
 屋上へ来て欲しい 話したいことがあるんだ
                  白石玲央』

メモをふたつに折り畳み、瑠衣くんの下駄箱の中へと入れる。

どうか、彼が見てくれますように。
柄にもなく、神様に願う。

一度気付いた熱は、留まるところを知らない。

​───────

翌日、放課後。
いつものように屋上へと行く。
まっさらな台本を手に練習をしながら、視線はちらちらと扉の方へと向かう。
練習に身が入っていないことに自嘲しながら、どうしても扉から注意を逸らせずにいる。

そうしているうちに、数時間が経った。
それまで屋上を訪れる人は誰もおらず。
夏が近付いて日が長くなっているとはいえ、こんなにも時間が経って日はすっかり傾いていた。

「うん、仕方ないよね」

呟いた言葉が自分で思っていたよりも落ち込んだ声色をしていて、僕は自分で自分に驚いた。
恋とはかくも人を弱くしてしまうものなのか。

「……帰ろう」

鞄を手に持ち、扉に手をかけようとする。

その時、僕が扉を開ける前にドアノブがひとりでに回った。

「白石!」

目の前でぱちぱちと光が弾けるような心地がする。

開いた扉の先から、ずっとここで会いたかった人が現れた。

「ごめん、オレ用事があってさっき来て、メモ入れてくれてたの気付けなくて」

メモを見て急いで来てくれたのだろう。
肩で息をして、肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。

「瑠衣くん、来てくれてありがとう」

頬をゆるめて答えると、その反応にほっとしたのか彼も荒い息をしながら表情を柔らかくした。

「それで、話したいことって?わざわざメモ残すなんて」

きっと、大層なことなのだろうと。
その真剣な表情からそう言いたいのが伝わる。

これは大層なことなのだろうか、そうでないのだろうか。
僕にはよくわからないけれども、話さなければいけないのは確かだろう。
でも、いざ彼を目前にすると、話したいことは沢山あるのに何から話せばいいか分からなくなってしまう。

「白石?」

言葉を発しない僕に彼は気遣うような視線を投げかけた。

「ああいや、すまない しばらく屋上に来なかったから、沢山話したいことがあるんだ」
「ねぇ、どうして屋上に来なくなったんだい?」

僕らは最初から今までここで会いたいと待ち合わせをすることは今の今までなかった。
多くの時間を彼とここで過ごしてきたけれども、それはただの偶然の巡り合わせのようなものだった。
誰に強制されるものでもない。けれども、そうだとしてもそれで片付けられるほど接した時間は短くなかった。

瑠衣くんは言葉を探すように目線を落とす。

「……もう来るべきじゃないって、そう思ったから」

来るべきでない、何故そんなことを思ったのだろうか。
彼のことだから、他がきにしないような瑣末なことも全て気にして気を回しているのだろう。
気にしなくてもいいのに、気にしてしまう優しい彼だから。

「そっか」
「何か悩みごとがあるならいつでも聞くよ。何でも話してと言っただろう?」

瑠衣くんは視線を逸らして首を小さく横に振る。

「白石が気にするようなことはないよ。白石がこれ以上オレなんかのために心を砕く必要なんてない」

「僕は何も、無理して言ってる訳じゃないよ」
「僕は僕がそうしたいから勝手にそうしてるだけなんだ」

だから、そっちこそ気に病む必要なんて少しもないのだと。

「どうして、そこまで……」
オレのために、と彼は視線を逸らしたまま消え入りそうな声で言う。

「僕はね、あの後君がいなくなってから、ずっと言葉の意味を考えてたんだ」

彼は不意をつかれたように顔を上げる。
少し呆けた顔をする彼の顔を真っ直ぐ見て、僕は言葉を続ける。

「僕は“好き”がよく分からなかった」

「だからあの時は君に返せる言葉も何も見つからなくて、追いかけることも出来なくて」
「でも、言葉の意味が分からなくても、君がここにいないとずっと物足りないと思ってた」
「気付いたらずっと君のことを考えていた」
「沢山考えて、手がかりを貰って、やっと君に返せる言葉を見つけたんだ」

「どうして、って言ったよね」

ああ、今度の劇のあのヒロインの気持ちが痛いほどに理解できる。
彼の目を見つめる。
君への言葉だと、ちゃんと伝わるように。

「そんなの、君の事が好きだからだよ」

その言葉に瑠衣くんはぽかんと口を開ける。

「ごめん、オレ、疲れて聞き間違いでもしたのかも」
「きっと、聞き間違いじゃないよ」

彼の懸念をすかさず否定する。
目を覗き込むくらいにじっと見つめると、瑠衣くんはふいと顔を逸らした。

「白石が、オレを?」
「オレは白石に釣り合わないよ、別の奴にした方がいい」
「常々思っていたけれども、君は自分を過小評価し過ぎなんだよ?」

彼の頬を両の手で挟んでこちらに顔を向けさせる。
ばつの悪そうな顔をする彼は、観念してこちらを見た。

「本当にオレを?気の迷いじゃないか?」
「おや、僕の感性を疑うのかい?」
「いや、そういう訳じゃねぇけど……」

もごもごと言葉を濁す彼により近付く。

「僕は君が好きだ」
「君がその言葉を疑うなら、信じてくれるまで僕は伝え続けるよ」

僕は目を細めて笑いかける。

「ごめん、オレまたこんな感じで」
「今はごめん以外の言葉が聞きたいな」

瑠衣くんは視線をあちこちへ動かし、観念したように、覚悟を決めたように僕に真っ直ぐ視線を合わせた。

「ありがとう、白石」
「オレも白石が好きだよ」

「好きだから、白石に無理してオレに関わって欲しくなかった」

視線を合わせたまま、彼は瞳に影を落とす。

「僕は好きだから関わってるんだよ」

「……ごめん、ありがとう」
「オレ、あんまりこういう感覚慣れてなくて、何かしてもらう価値なんてあると思ってなかった」
「価値が無いことなんてないよ、それに例え価値が無かったとしてもそれは理由にならないよ」

「君が心配しすぎるきらいがあるのはこれまで関わってきた中でよく分かっているつもりだ」
「なら、僕は君の心配が無くなるくらいに好きと伝えよう」

「……それだけ言って貰ってるのに、うだうだ言ってたらそれこそ失礼だよな」

僕の言葉に瑠衣くんは目を少し伏せた後、大きく目を開く。

「白石、好きだ」
「ああ、僕もだよ」

2人の距離がより縮まる。

黄昏時の屋上で、2人の周囲から音が消えた。

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