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一歩踏み込む勇気

「辞めたときに連絡をくれたのは〇〇さんと〇〇さんと〇〇さんの3人だけ」

去年辞めたスタッフがそう言っていたらしい。
当時私は彼女に連絡をしなかったみたいだ。なんでだろう。

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友達と連絡が取れない。

体調が悪い、と連絡をもらっていたから2〜3日様子を見た。仕事があると言っていた日に「無理ないように」と連絡を入れるが、リアクションがない。
あぁ、落ちてるんだろうなぁ、と思って数日後にダメ元で電話をかけるが応答なし。

SNSも更新してないし、人のストーリーを見ている気配もない。一応「◯時間前にオンライン」と表示されるので、生きていることは確認できる。

信じて待ってみるか。
大丈夫。きっと帰ってくる。

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8月はずっと辛かった。

最初はホルモンバランスのせいだと思っていたけど、日が経っても全然良くならない。体が重い。やる気が出ない。

じゃあ、原因はなんだ。
フィジカルで辛い部分もあったし、メンタルで辛い部分もあった。

仕事に行きたくないし、自分の気持ちを話そうとすると涙がにじむ。言葉が出にくく、分かりにくい。

多くの時間を共に過ごすある友達の前で、ある日たくさん泣いてしまった。声を押し殺すように泣いていた。上手く泣けなかった。まだ何かを我慢しているのか。見栄でも張っているのか。本当はもっと声をあげて泣きたかった。

数日後、チームのみんなに「私は辛い」と伝えてみた。みんな「そうかそうか、辛かったのか」みたいな顔をする。1人が「辛いポイントはなんだったの?」と聞いてくれる。私がつらつらと答える。その場が終わった。

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コメダ珈琲で友達とモーニングをした。

前日に更新された友達のnoteに「コメダ珈琲でモーニングがしたい」と書いてあった。他にもやりたいことがいくつか書いてあったけど、私に叶えてあげられそうなのはコメダ珈琲だけだった。

「明日モーニング行きますか?」とDMを送ると、すぐに「行く!この店舗ね!」と返信が来た。流石の機動力だ。

友達は11時から自分の店を開ける予定があったため、それに間に合うように、9時にお店に集合した。1時間半くらい話をした。
日頃からよく会っているのに、案外話はつきない。今の話もしたけれど、旅や仕事など、お互いに未来の話をたくさんした気がする。

友達は開店準備のためお店に向かい、私はその場に残ってPC作業。混んできたので30分で店を出て、一度職場に向かう。

少し仕事をして、12:30ごろ、昨日の残り物のガパオライスをタッパーに詰め、彼女のお店に持って行った。一緒にお昼ご飯を食べたかった。

食を仕事にしてきた彼女に、素人の私が作ったものを食べてもらうのは少し緊張したが、彼女は「美味しい。ペロリだね」と言って完食してくれた。

彼女のお店や友人のお店で今日も長い時間を共に過ごした。夕方、私は夜ご飯を食べるために帰宅した。

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いてもいいですか?

数日後、13:00に閉まる彼女の店へ12:55に行き、夜まで居させてもらった。
後日同僚にこのことを話すと、「甘えてるねぇ」と返ってきた。そう、私は甘えている。でもタイミングは見ているつもりだ。なんとなく居てもいいだろうと思ったから、居させてもらった。

仕事をしたり、江頭2:50の配信を一緒に見たり、近所の教習所のパンフレットを見て情報量の少なさに笑ったり、パーソナルな部分について話したりした。

夜は富士そば。彼女はワカメそばを食べていた。予想以上にワカメが入っていて私は少しびっくりした。

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踏み込んだり、踏み込まなかったり。

私は基本的に踏み込まない。自分が持っていかれるというか、他者が自分に入り込みすぎる感じがしてしんどくなりそうだから。自分で自分を守れなくなるから。

だけど、ときどき踏み込む。
どうしようもなくなっているとき、
メンタルがどん底にありそうなとき、
とんでもなく寂しがっているとき、
なんとなく私がそばにいたいとき。

連絡を取る。電話をする。会う。食事をする。ただ一緒にいる。

一般的な「踏み込む」が何を指すのか分からないけど、私が取れる手段はそんなもんだ。会話や食事を理由にして、ただ一緒にいることが多い。同じ時間を共に過ごすのが、私なりの踏み込み方だ。

いつだってやるわけじゃない。ここぞというときに、自分を守りながら、自分にできる手段で、相手が負担に思わない程度に踏み込みたい。

どう転ぶかは、そのとき次第だけど、きっといつだってその選択がベストだ。何も間違ってない。

エゴかもしれないけれど、私は私のしたいように、他者と関わる。一歩踏み込む勇気を振り絞る。

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