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「優しさ」とは

「優しいね」「優しすぎて、損してない?」
似ているようで似てないこの2つを
よく言われることが多い。

自分が優しいとは思ったことはない。
世の中には優しい人がたくさんいて、
こんな人になりたいなって、
私は何でこんなに心が狭いんだろう。
そう思うことの方が圧倒的多い。

私は本当に気にしいで、
相手の顔色を常に見ていることが多い。

飲み会、遊び、仕事、
どんな時でも、一緒にいる
相手の笑顔が見たくて、頑張ってしまう。

人に言われる「ありがとう」が
嬉しくて、ありがとうのために動いたり。

誰かを助けると、たとえ、
ありがとうと言われなくたって、
何だか自分の心も明るくなるというか、
自分の心も助けられた気分になる。

悩んでいる人がいたら、
話を聞いてあげたくなる。
例え、自分に余裕がなくても。

友達の苦手な部分は、
友達として私がフォローしよう。
そんな熱い闘志に燃えて、
自分も苦手だけど、その時だけ
すんごい力を発揮するときがある。

純粋に自分がこんなことされたら嬉しいな
って思うことは、人にもしたくなる。

悲しんでる人がいたら、
何もできないけど、ただ側にいてあげたい。

友達の幸せはすごく嬉しくて、
私も幸せな気持ちになる。

時には、他人の苦しみも背負うときがある。

時には、社会をうまく生き抜くために、
上司に好かれようと親切にする時もある。

時には、嫌われたくなくて、
イエスマンになる時だってある。

相手に合わせてるように見えるけど、
優柔不断で自分ではなかなか決められないから、
相手に決めてもらった方が楽なのだ。
ただの、相手任せな無責任人間である。

自分が優しさとは思ってなくても、
結果として、それを優しさと受け取ってもらい、
ありがとう。と言ってもらえるときがある。

人から貰う、ありがとうは、
ものすごく嬉しい。

ありがとう。そのものには、形はない。
目にも見えないけど、
とても、幸せな気持ちになる。

だけど、時々考える。
本当の優しさって何なんだろう。

優しさの基準は、
人によって違うのかもしれないし、
求めているものによっても、
変わるのかもしれない。

でも、どんな形であっても、
「相手を思いやる」という根本は、
変わらないのかもしれないね。

自分がされて嫌なことはしちゃいけない。
小学校か保育園の時に、
よく言われていた言葉だけど、

自分がされて嫌なことが、
わからなければきっと、それに気づけない。

自分が経験して、
そこで学んだ優しさを、
今度は誰かに思いやりとして、
与えることができるのかもしれない。

自分が誰かに寄り添ってもらった
経験があれば、
きっと、人の心へも寄り添える。

だから、色々経験することや、
色々な人と出会って、色々な感情を得ることは、
その数の分だけ、人に優しくなれるのかもね。

社会人一年目。
働くことの大変さも知らない、
社会人もよくわからないまま、
放り出された社会。

挨拶をすることで精一杯だった、22歳。
会社で知らない人はいないくらいの、
最強お局に初日からやられまくった。

仕事は教えてください。というまで、
何も与えてもらえなかった。
自分から動かなからば、働くことすらも
できないことを知った。

一度教えてもらったことは、
基本的に、2回と教えてもらえなかった。

みんなのゴミ箱のゴミを捨てる、
物品が足りなくなったら、
先輩に気づかれる前に補充する。
下っ端のやることだからと、
教えてもらった日以来、
お局がやる前にやらないと、
雑用もできないなら仕事しなくていい。
と、みんな働いてるのに、
一人定時に帰らされた。

お客さん対応一つとっても、
いちいち注意されて、
カウンターに肘をつくなとか、
そんなひきつった顔で対応されたら、
お客さんはどう思うか考えろ。と、
言われたこともあったな。

飲み会の後は、
みんなに、「お世話様でした」の言葉を
かけること。
言葉をかける順番についても、注意されたり。

会議資料を作る時、
ホチキスの留め方や、紙の揃え方も注意された。

その時は、朝、営業室の扉も怖くて
開けられないほどだった。
朝、地下鉄は泣きながら通勤していた。

他の支店の同期たちは、
あの先輩が優しくて〜そんな話ばっかりなのに、
何で私はあんなに厳しくされなきゃいけないのか。
クソ!!!!!と思って過ごしてきたけど、

気づいたら、パートさんたちからも、
あなたに頼みたい!!とお願いされるようになったり、営業も社内で1番だったこともある。
後輩が入った時、他の同期が知らないようなことまで、ちゃんと同期に教えてあげられるようになっていた。

今なら、その厳しさも優しさだったと思える。
あのお局の昭和じみた教え方が、
正しいとは言えない部分もあるが、
でも、あの厳しさがなければ、
私は社会の厳しさも知らない大人になっていたかもしれない。
上司は、昭和を生きてきた人たちだから、
お局のあの昭和みたいな教え方が、
今すごく活かされる。

目上の人を敬ったり、
社会人としての常識や厳しさ、
お金を貰って働けていることへの有り難み、
そして、責任を持つこと、
あの会社に入って、あのお局の下で働けたから
しれたことだったかもしれない。

今、お局とお酒を飲みに行くと言われる。
「あの時はごめんね。
でも、あなたを思ってだよ。
だいたい、私は嫌われ者になったり、
むしろ私を理由に辞める人が多いけど、
あなただけだよ。ついてきたのは」
と。

優しくすることが、本当の優しさではない。
厳しさにも、優しさはある。
むしろ、誰だって嫌われ者になりたくなくて、
めんどくさいことを避けたりして、
厳しくすることをせず、
過ちを正すことをしない。

注意されない。は、優しさのように
思えるけど、それは、優しさではない。

過ちに気づかずに、歳をとっていく。
その過ちを、見て見ぬふりされてることにも、
気づかずに。

何も言わないのも時には優しさとなったり、

色々な優しさがきっとある。
だけど、そう、相手を思う気持ちこそが、
本当の優しさを生み出すんだろうな。

時には、仲間だったり、
自分にとって大切な人だからこそ、
怖いけど、ちゃんと注意しなければ
いけないことだってあるんだ、きっと。
まさに、愛よね。
相手を思う気持ち。つまり、愛なんだ。
仲間への愛。

困ってる人がいたら、手を差し伸べる。
だって、人はお互い様だから。
自分が困ってる時は、
助けてもらうからこそ、
私が元気な時は手を差し伸べたい。

だからこそ、
自分にも優しくしておかなきゃな。
そう思った。
自分が潰れたら、何もできない。

私が、いままでみんなに貰ってきた、
優しさを、今度は誰かに、
ちゃんと渡してあげたい。

やっぱり、人は一人では生きていけない。
みんながいるからこそ、
私はこうやっていられるんだ。
優しさについて考えて、気づいた。

本当の優しさとは、何か。
その答えに、正解はない。

優しさは、世界共通で、
誰かに対する愛であり、

優しさは、相手を受け入れることで、

優しさは、寄り添うこと。

かもしれないなって、思った。

私も、私の周りの人たちも、
笑顔で溢れますように!


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