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最良な子育てとは…意地悪をする子どもたち

幼稚園の頃、意地悪だった子は小学生になっても中学生になっても意地悪なまま。

わがままと意地悪は違います。どちらも他人を不快にさせますが

ワガママは主に自分主体。

意地悪は主に相手主体。

ワガママを極めていけばその人が皆から嫌われるだけですが
意地悪を極めていけば「いじめ」から「犯罪」へと繋がります。

しかしワガママも周りから「嫌われる」という要素が入ってくると
ワガママをしている人間が周りに「意地悪」をやり出すという流れになります。

そうするとどちらも結局歩み寄り同じような道へと進んでいきます。

一度流れに乗ってしまうとそこから脱出するのは本当に大変でしょう。
周りがいくら言っても、本人が心から気付き自分で自身を変えていく気がない限り
実現は不可能となるでしょう。
なぜなら、彼らにとってそこが心地よい状況だから。
彼らを取り巻く環境の中で、その「意地悪な心」や「ワガママな心」が
彼らを守っているものだから。変えたくても変えられない。

類は友を呼ぶ

ワガママな人間はワガママな人のことが嫌いです。
意地悪な人間は意地悪な人のことが嫌いです。
でも、どちらも普通の人からは嫌われてしまうので
結局ワガママ同士とか意地悪同士で集まり
お互いを嫌いつつも形だけ友達のように群れることになります。

どうすれば意地悪をしない人間になれるのか?
この問いに真面目に向き合おうと読んでくださる方々は
おそらくよい人です。
常に意地悪をしている人は、このページにたどり着きもしないでしょう。
それに、ここまで読んでくれたとしてもこの後ページを変えるでしょう。

どうすれば意地悪をしない人間になれるのか?の正解は
はっきり言ってわかりません。
それぞれ環境が異なり答えは一通りでは無いからです。
しかしヒントは文の最初にあります。
「幼稚園の頃、意地悪だった子は小学生になっても中学生になっても意地悪なまま。」

どうして幼少の頃から他人に意地悪をしてしまうのか?

まずは、
対となる「意地悪をしない子どもたち」について考えてみましょう。
「意地悪をしない子」はどうして意地悪をしないのでしょうか?
親や保護者に『意地悪してはダメ』と言われているから?
多分、「意地悪をしている子どもたち」の親も
似たようなことを自分の子に伝えているのではないでしょうか?
また、幼稚園や保育園でも『お友達に意地悪をしてはいけません』
のようなことを園児たちに繰り返し伝えているはずです。
『おともだちじゃないからいじわるしてもいいんだ』
そんな風に考えているとしたらまた別の問題がありますが…
人にダメと言われているからやらない。だけでは無いということです。
ダメって言われていても、悪いと分かっていてもやってしまうということです。
「意地悪をしない子」はダメと言われたことを
どうしてやったらダメなのかを理解し実行出来ています。
なぜ?頭がいいから?
違います。
「意地悪をしない子」は心が満たされているから他人に意地悪をする必要が無いのです。
親や保護者から、愛を沢山注がれて心の容量が愛で満たされているから。
(これが「意地悪をしない子」ではなく「意地悪をしない人」であれば
親や保護者からの愛は関係のない自力で獲得したものとして
「人の痛みを理解出来る」などの要素が加わってきます。)

「意地悪」をしてしまう子どもたち。

意地悪をしてしまう子どもたちは、
心が満たされていない状態になっています。
心が満たされるまでの容量はひとそれぞれ違います。
たとえば
親と一緒に遊ぶ回数、月1回で満たされる子
親と一緒に遊ぶ回数、月3回で満たされる子
親と一緒に遊ぶ回数、月30回で満たされる子
親と一緒に遊ぶ回数、月100回でも満たされない子
色々な子がいて、外見からは判断出来ません。
だから、親は一生懸命子どもを育て、愛しているつもりでも
子どもにとってそれは100%ではないのかもしれません。
一人一人環境が違います。
①子どもが一人だけで、両親揃って全ての愛を一人に注ぐ事が出来る。
②子どもが一人だけで、片親だけど全ての愛を一人に注ぐ事が出来る。
③子どもが一人だけど、両親とも忙しく育児は休暇の時がメイン。
④子どもが二人で、両親が子のそれぞれに等しく愛を注ぐ事が出来る。
⑤子どもが二人で、片親だけど子のそれぞれに等しく愛を注ぐ事が出来る。
⑥子どもが二人で、両親とも忙しく育児は休暇の時がメイン。
⑦子どもが三人以上で…(同続

人それぞれ、背景は違いますし一言で片付けられる問題ではありません。
しかし、そうなったのには必ず理由があります。
それを推察するために、背景となる環境や出来事を
それぞれの思いを乗せて想像力も働かせ紙に書きだしてみましょう。
これをいつの時点で書き出しているか、によっても違います。
気付くのが早ければ早いほど心の溝は埋めやすくなるでしょう。
「意地悪をしている子どもたち」は「意地悪をしていること」を
親や先生には悟られないようにしています。
親や周りが気が付けない事も多いでしょう。
幼稚園や保育園に預けなくてはいけないのであれば
積極的に子供とその日あったことを話し合い
色々な角度から質問をしたりして異変を察知できるようにします。
園に出向く行事は必ず参加しましょう。
親たちが来園する日、子どもたちはいつもと同じようにはしていませんが
少し離れた所で注意深く観察すると、日常の一端を垣間見ることが出来ます。
遊びの自由時間などがあれば分かりやすいです。
ママ友と世間話をしている場合ではありません。子どもたちを注意深く見ていましょう。

園に通う中で、先生や他の保護者から苦情や助言が出てくる場合は
分かりやすいパターンです。周りから頂いた言葉をありがたく受け止め
話を良く聞き、子どもからも聞き、様子を観察しつつ
事実を確認していきましょう。
なぜそのような行動をおこしてしまったのか
子どもの立場になって考え寄り添いましょう。
自分がどんなに頑張って愛を注いていたかを嘆くのは
ひとまず置いておいて…
どの人にも共通で、大事なことは
自分に余裕が無いと他には与えられないということ。
例えば、仕事でいつも忙しく心も体も余裕が無い、など。
育児が大変で誰にも助けてもらえず余裕が無い、など。
健康上の問題で思うように子どもに接する事が出来ない、など。
まずは自分の問題を解決しないと、子どもまでたどり着けません。
子どもに自分の大変さを隠しつつ愛を持って接していても
子どもはそれを察してしまいます。
密かに我慢した気持ちは積み重なりどこかで爆発します。
それが「意地悪をする」だったり「暴力を振るう」だったり
子どもの性格によって変わってくるところです。

園のうちに気が付けないと今度は小学生。
園で意地悪していた子は小学生になってもやり続けます。
小さなトラブルとなって学校生活に現れ始めるけれど
やられている子も周りに正確に伝えるのは難しく
学校の先生の対応もその場を取り繕うような
「お互い仲良くしましょう、喧嘩はダメです」と
どうしてそれが起こったのか?まで追求することはあまりありません。
両方の話を丁寧に聞いていたとしても
その時その場所で正確に気持ちや行動を報告出来る子は
そうそういませんし、低学年、いや、幼稚園の頃から
嘘をつく子は嘘を平気でつきます。
そうすると真実はますます見えなくなる一方で
1年や長くて2年しか受け持たない担任の先生は
その切り取られた期間から子どもたちを見て判断し
推測するしかありません。
鋭い先生であれば全てを見通せるのかもしれませんが
限られた時間の中でそれをやってのける先生は
きっとほんの一握りでしょう。
自分の子どもを疑うのはダメなことだと思うかもしれませんが
「もしかしたら自分の子どもが嘘を言っているかもしれない」
という視点で考えを巡らし、子どもと対話を重ねていけば
その子の抱えている闇に気付くきっかけとなるかもしれません。
全面的に子どもを信用するという考え方では
子どもの裏の気持ちには一生気が付けないかもしれません。
そこに気が付いてあげられないとその子どもは
『何故か分からないけど周りに嫌われる』といった環境の中
生き辛い学生生活の後そのまま大人になって
自分で気が付けなければ老人になっても嫌な人間のままです。

誰だって自分の子どもが可愛いのは当たり前です。
責められれば子供を守りたいと思うのも当たり前です。
しかし、現実に起こっていることと
先生や周りから言われることと
自分の子どもから聞く話が食い違っているとき
わが子の言っていることだけが正しいと
周りの子や先生が変なんだと
自分の子どもを守るんだというその気持ちが
本当に子どものためになっているのかを
冷静に考えた方が良いです。
ゴリ押しでわが子の潔白を叫んでも
その子の罪が消えるわけではなく
相手に付けた傷も消えやしないどころか
ますます傷をえぐり深くしてしまい
修復不可能なだけでなく
わが子の本当の気持ちにも気付けないので
わが子が本当に求めているものにも気付けないことになります。
せっかく守ったはずのわが子は
大事なことに気が付けず、他人を傷つけて
自分も傷つけて生きていかなくてはならなくなります。

中学生まで気が付けないと更に大変になるでしょう…
自分の子が知らないうちに他の子を壮絶にいじめていた、なんてことになりかねません。
「いじめ」は「犯罪」です。
初めは、いじめはいけない事だ、というのを認識しつつやっていても
それが日常になると難癖つけて相手のせいにし
自分は悪くないと正当化して自分を守ります。
そして、中学生にもなると、元々の原因だった自分の心の闇も
どんなものだったか自分自身ですら思い出せないほど不明瞭になっていて
自分で解決することも出来ず、親もどうしたらいいか分からず、ということになってしまいます。
けれども、どんな段階であれ問題は解決した方が良いです。
放置すればするほど心の闇は深まり、抜け出せません。
逃げずに親子で対話を繰り返し解決するよりありません。
どんな問題でもそうですが、問題が起こってすぐ解決するほうが
先延ばしにしてから解決するより楽に解決出来ます。
なので、中学生より小学生、小学生より幼稚園や保育園、幼児、と
小さい時の方が解決しやすいのです。
しかも問題は「心」が関わってくるもの。
壊れた機械とは違います。簡単には修復出来ません。
そして、いじめる子といじめられる子は表裏一体の部分もあります。
いじめていた子が翌日いじめられる側にまわっていたというのは
皆さんも見聞きしたことがあるのではないでしょうか。

まさか、うちの子が…

家では全くそんな素振りは無く、良い子と思われている子も
一歩外へ出て集団生活の中に入っていくと
親の知らない顔、親の知らない行動で周りを傷つけ
自分も奥底で傷ついている子は思いのほか多いです。
そしてその多くの親は自分の子がそんな風になっているのを知りません。
素行が悪い子だと周りも気が付きやすいですが
ぱっと見、良い子だと気付きにくく問題が相当こじれてから発覚、
もしくは発覚しないまま心が壊れてどうにもならなくなったりします。
だから「まさか、うちの子が、ありえない」と思う場合でも
どうか子どもと対話を重ねてください。
小さい子どもとは共に沢山の時間を重ねてください。
これでもか、というほど構ってあげてください。
赤ちゃんのうちは、常に抱っこしてあげてください。
幼児のときも、子どもが飽きる程抱っこしてあげてください。
貧しくても何とか暮らしていけるなら
お母さんは働かず子どもと一緒にいてあげてください。
複数の子どもがいる場合は、
それぞれの子の立場になって理解してあげてください。
より多くの時間とそれぞれの子への愛が必要になります。
愛にあふれた子育てについて一度考えてみてください。
全ての人が、愛にあふれた子育てをしていたら
満たされた子どもたちが増え
人に意地悪する必要のない
いじめなんて存在すらない
そんな夢のような子どもたちが育ち
そしてその子たちがやがて大人になり
やさしい世界が広がっていくのです。
全てはつながっています。

でも、誰もが完璧に、なんて無理です。
でも、誰もが、出来る所を出来るだけ頑張ることは出来ます。
だから、まずは自分が心に余裕を持てる環境を整え
自分が出来る範囲で精一杯頑張ってみませんか?
そんな風に子育てに取り組む人が増えて行けば
自分も、周りも、しあわせ。になります。
誰かのためじゃなく、自分のために。

お伝えしたことが正解かどうかは分かりません。
抽象的な大枠のお話なので具体的な詳細の部分は
それぞれが思う愛をもとに子どもと向き合うしかありません。
『向き合うって何!?どういう意味!!???』と
育児中の母親さんにキレられたことがあります。
子どもをしっかり見て考え、対話や行動を通して関わり続ける…
問題が起きたら原因を探り、親も反省して改善する…
ありのままを見て現実を受け止める…
子どもを認める、ダメなところはしっかり指摘する…
色々な意味が込められた深い言葉ではあります。
しかし、一言で言えば「子どもを見捨てない」心もからだも。
ということなのかもしれません。

起きている現象には必ず理由があります。
どうしてそうなったのか?を根源からたどり
解きほぐしていく作業は非常に困難です。
それが改善出来るかどうかも分かりません。
でも、やるしかありません。
自分の大切な子どものことです。
そして出来れば、自分の子どもだけではなく
周りの子どもたちのことも自分の出来る範囲で
サポートしてもらえたらと思うのです。
自分の子どもが一番なのは誰だってそうです。
でも、自分の子どもが一人で生活しているわけではありません。
学校など他者との関わりの中で共同生活しています。
「誰かにとって得になることはまわりまわって自分の得にもなる」
特に、同じ学校や組織などにいる人々がしあわせであることは
自分のしあわせにも密接に関わってくることになります。
だから、自分だけが良ければそれでよい、とか
自分の子どもだけが良ければOKというのではなく
起きている事柄を冷静に分析して
自分の子ども以外の子も救える方法があるのなら
多少大変でも試してみてほしいです。
気付いた人が出来る範囲で関わることで
色々なところから良い流れを作る事が出来ます。
それが原因でその親や取り巻きから嫌われるようなことになっても
その子自身のためになり、
長い目で見たらその子が救われるかもしれないのなら
自分が出来る範囲でのサポートもぜひお願いします。
誰かのためじゃなく自分のためにも。
ただ、状況に応じて「無理だ」と感じた時は
それ以上踏み込まず、むしろそこから距離をとってください。
何より大切なのは自分と家族というのは基本の考え方です。

そしてここからはスピリチュアル的なお話になるので
苦手な方や興味のない方はここまでとなります。

では実際、意地悪をし続ける子どもたちが
霊的領域でどうなってしまっているのかを

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