全然得意ではないのだけど、美術の心得
私は、自慢でも何でもないのですが、保育園の年長から、小学6年生までの7年間、ちゃんとした美術の先生に付いて、絵を習っていました。
ちゃんとしたも何も、武蔵野美術大学の教授の主催する絵の教室に通っていたのです。
私の母によると、「ピアノやるか」と聞かれた私は、「それは女の子のやるもの」と言い(子どもながらに偏見です。)、「絵を習うか」と聞かれた私は、「それならやる」と言ったのだそうです。
母は、分厚い美術年鑑から、その先生を探し出してきて、通わせました(ただし、徒歩5~6分でした。)。
毎週日曜日、月4回、月謝は四千円だったと記憶しています(今思うと、破格です。)。
小さい頃は、水彩などを習っていましたが、小学4年生からは油絵を始めました。
※全然記憶がないのですが、今よりも、ずっと油絵のキャンバスや絵の具代などの材料代は高かったはずと思いますが、そんなに豊かではなかったうちがよく出せたと思いますね。
私は、不思議な子で、毎週、絵の教室にはきちんと通うのですが、そうでない時間には、いたずら描きも含めて、自ら進んで絵を描くことを全くしませんでした。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言いますが、絵の訓練はされたのですが、基本的に絵を描くのがあんまり好きでなかったのでしょうね。
その教室は、小学6年生になってから、自分から名乗り出て、止めることにしました。
※親に言われた訳ではありません。
そのとき、絵の先生に言われたことは、「木下君は、絵の題材を自ら進んで選ぶことをしなかったよなぁ。」だったと記憶しています(そのとおり!)。
その絵の教室で、海辺に油絵を描きに遠征したことがありました。
私が、描いていると、その武蔵野美術大学の先生が、「こうしたらいい」と、筆を執り、グイッと一筆キャンバスに描き入れてくれました。全く、絵が違うものになりました。
今でも、その印象的な一筆の記憶は残っており、子ども心に先生は違うと思いました。
美術の成績は、中・高を通して、4くらいでした。やはり、心の底から、絵が好きな子には勝てないのですね。
訓練により、うまくなれるポスターや工芸は比較的いい作品ができたと思いますが、デッサンなど描写の才能はありませんでした。
しかしながら、今でも、美術の訓練の名残りを感じることがあります。
メールに後に、自身のサインを入れますよね。もらうメールのサインのデザイン上の構図が、美術的に変だとどうしても気になってしまうのです(直したくなります。)。
これは、毎度、毎度、絵を描くうちに、理想的な構図が身体に染み込んでいるのでしょうね(口ではうまく説明できませんが…。)。
また、図を描くときに、線がうまく引けない人が相当数いるのにも、結構びっくりします。私には、当たり前でも、あんまり当たり前ではないのかもしれません。
うちの奥さんとは、見合いで知り合いましたが、美術系の大学を出ています。
※「何、専攻していたの」と聞くと、一言、「ちゅーしょー(抽象画)」と言いました。
自身では、「絵描きになるには、常識的過ぎた」と言っています。
※一般常識には強いかもしれませんが、かなり変わった人だと思います。
常識的な絵描きと、才能と関心の薄い美術心得者、そんな小さな共通点も、話が決まった一つの要因だったかもしれません。何であれ、「芸は身を助ける」ことはありますね。
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