ヒップホップ、マスキュリズム
フェミニズムは女性のためにあり、男性にはマスキュリズムがある。日本では「男性学」として言及されることが多いかもしれない。
「女性学」はフェミニズムから生まれたもの。男性に対する差別をなくす思想や運動であるマスキュリズムはまだ大きな潮流にはなっていない。
情報が少ないが、最近のヒップホップの潮流とあわせて考えると輪郭が見えてきた気がする。
ヒップホップは、男性としての力を見せつけ、家父長制、異性愛規範を基礎に、成り上がり=Flex(フレックス)して資本主義の装置であるエンターテインメントだった。
しかし「男らしさ」は変化する時代に対応できず機能不全を陥っている。
男性性や男らしさについて考えるとき、議論は恐ろしいほどグローバルかつシリアスになる。ヒップスターのファッションや「誰が皿洗いをするのか」といった話は、レイプや戦争やテロや宗教弾圧や侵略的資本主義がテーマの議論にぐるぐる突入していく。
『男らしさの終焉』グレイソン・ペリー より
変化する男性像
荒廃したサウスブロンクスのゲットーから生まれたヒップホップ文化。1980年代以降は多くの貧しい地域で暴力やギャングスターのラップの歌詞が増え、銃やギャング、刑務所の暮らしが反映されていた。
ラッパーといえば、筋肉を見せつけるファッションに腕にタトゥーを入れ、重いチェーンのネックレスとヘッドバンド。
という男らしさのステレオタイプを体現している。
・強くなければならない
・タフでなければならない
・たくさんの女の子と遊ばなければならない
・お金を持っていなければならない
・他の男を支配しなければならない
これらのどれかに当てはまらなければ、人は「軟弱者、弱虫、ホモ(同性愛嫌悪の蔑称)」で呼び、かつての男性はどれかにはなりたくないと思っていた。
これをトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)と簡単にいえないのが、1960年代のブラックパワー運動のマルコムXをはじめとする男性活動家たちの闘争への敬意もつながっている複雑性がある。
また、貧困層から実力で成り上がり=Flex(フレックス)することに憧れる少年に、理屈っぽいリベラルな言説は通用しない。
とはいえ、大きな潮目が起きた。
2008年以降、Kanye Westをはじめとして、Kid Cudiなどが自身のメンタルヘルスの脆弱性を曲にしてもスターダムを阻むことなく成功したのは大きな変化になった。
Kanye WestといえばMTVミュージック・ビデオ・アワードでテイラー・スウィフトのスピーチに乱入したり、2020年の大統領選出馬など音楽以外で注目されることが多いが、2005年の時点でホモフォビア(同性愛嫌悪)に反対する声明を出しており、ヒップホップ文化で稀有な役割を担っている。
ヒップホップにおけるセクシュアリティも2000年代以降に多様化していった。
2012年、Frank Oceanが初恋の相手が同性であることを公表したのは、その後、クィアミュージシャンとしてLGBTQコミュニティのためのパーティ「PrEP+」を開催などサポート活動にもつながり、自身のセクシュアリティについて言及するアーティストも増えた。
新しいスタイル
アーティストがミソジニーやホモファビアと正面から対峙するようになって、画一的で硬直した男らしさは古びたものに変わった。女性のラッパーの在り方も変化している。
Young Thugは女性用の服を好んで着ることを公言しており、2016年のカルバン・クラインの広告で女性用の服を着てモデルをした。
ラップのスタイル自体も雄々しくパンチラインを繰り出すのでなく、Mumble Rap(マンブル・ラップ)と言われるカテゴリでは、つぶやくラップとして一部で揶揄されながらも広まり、Emo rap(エモ・ラップ)はインディー・ロックのテイストを取り込んだ内省的なスタイルは、もはや主流になっている。
アーティストがリスナーと双方向性を持ってコミュニケーションし、SNS戦略に乗りながら楽しむ2010年以降、
最近の出来事では、ネイルブランドを立ち上げているラッパーLil Yachtyは、ネイルをして投稿した男子高校生が罰則違反とされたニュースを見て、少年のサポートを表明。これまでになかった連帯方法とも言える。
一方で、内省に向かう男性アーティストが増える中で、人気のフィーメールラッパーCardi BとMegan Thee Stallionがコラボした『WAP』は、コロナで停滞した空気に挑戦的な曲は政治やフェミニズムを含めた議論を巻き起こした。
(↓2020年8月に書いた記事はこちら)
レズビアンのラッパーYoung MAは、硬派な男性性を強調しており、Toxic masculinity(有害な男らしさ)といわれるものが歓迎されており、「女性的」な男性ラッパーに比べて批判対象にならない点が指摘されている。
日本ではどうなってるのか
まだ日本では「男らしさ」や 男性役割に反する態度表明は、勇気ある行為より、弱者のように捉えられることがあるのかもしれない。
海外のアーティスト以外に、日本のアーティストを紹介したかったが、「マスキュリズム」のラベルを貼ることは、まだなんだか躊躇する。
近年メディアでも語られ出したフェミニズムは歴史を塗り替えるために未来を向いている。
需要は増えていそうだけど、顕在化しないマスキュリズムは、新たな男性のアーキタイプをつくり出す。過去の良かった頃に浸るオールドスクールな男性と異なり、葛藤しながらも革新的な姿を体現している。
自分の周囲に目をうつすと、ジェンダー規範によるコストを認識している男性たちは個々の生活で「男らしさ」からの解放を実践していることに気づいた。
特定の有名人ではなくても「生きづらさ」を克服するロールモデルは身近に増えている。
ことさら声を上げずに社会を変えていくのもマスキュリズム運動の一部なのかもしれない。
Photo by Joel Muniz on Unsplash
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