『大室家 dear sisters/dear friends』の演出を大いに語ろう!
暑い!夏本番の気候が牙をむく今日この頃ですね。
もはや長袖の服を棚の奥にしまうことに躊躇いがなくなるほど、最近は日差しが強い!
これは自戒ですが(という保険のフレーズですが)……オタクも季節感を意識して、半袖とか涼やかな恰好をしたいもんですね。
なんでそんな「季節感」の話をするかと言えば、現在公開中の、まっっっったく季節感守れていない映画を知っているから。
その名も『大室家 dear friends』!!!!!!!!!!!!!!!!
そう、まさかの本編内季節が真冬の本作。
「流石に売り方ミスってない?季節くらい合わせた方が良くない?」
そんな有象無象オタクの意見を跳ね返すこの豪胆なティザービジュアルは、紛れもない”漢”の証ですよ。
いくらメインターゲットであろうオタクの服装に概ね季節感がないことが予想されるからと言っても、ここまで振り切れるのは凄い。
ちなみに本作『大室家 dear friends』は前後編仕立てのシリーズ後編となっており、前編『dear sisters』は真夏の半袖がまぶしいキービジュアル!
こちらも大変萌えで、よろしいことです……!ちなみに夏が舞台の『dear sisters』公開日は真冬の2月。おばかさんか??
公開時期とティザーを確認しただけでも、このツッコミどころの多さ!
あまりのチグハグさに、思わずクオリティを心配してしまった人もいると思います。
正直なところ、細部まで気にし始めるとツッコミどころは多い作品です。具体例は後述しますが、何かと「惜しいなぁ…」と感じさせるんですよ。
しかしこのPVを観れば分かるように、『大室家』は言わずもがな萌えオタクならば観るべき良作です。
加藤英美里・斎藤千和・日高里菜が演じる大室三姉妹、本当に可愛い!!
そして「萌えアニメ」という観点を取っ払っても、やはり本作は語りきれないほどの魅力に溢れた最高の作品です。
もちろんストーリーやキャラデザ・作画の良さも大いにあるのですが、演出も本当に素晴らしいんですよ!
散見される「惜しい」点を見て見ぬフリすることは出来ませんが、それを補ってあまりある魅力を紹介することなら幾らでも出来る。
僕は1人でも多くの人に映画『大室家』を観て欲しいのです!!それ故に、良い点も気になった点も全て吐き出したい!!
というわけで本記事では前編『dear sisters』・後編『dear friends』の演出について、ガンガン語っていきたいと思います!そういう「熱」を込めるあまり随分と投稿がギリギリになってしまいましたが……
いち視聴者の意見であるため的外れと感じられることもあるかと思いますが、それを「スルーしてね」「許してね」とは言いません。
いち視聴者であろうと、全力で作られた作品に対して語るのなら覚悟を持つのが道理。
批判する者は批判される覚悟も持つべし。というわけで、熱い反対ご意見お待ちしております!!
あと、ここからはネタバレありで話していきますので、そこもよろしく頼みます!
・圧倒的な傑作OPシークエンス、その魅力!
まずは本作の魅力について語っていきたい。
とりあえず語るべきは、本作の最も目を引くパート……OPシークエンスでしょう。
これを語らずして『大室家』は語れない、まさに「入魂」の凄まじい映像芸術に仕上がっています!
(↑ 1:30頃からOPシークエンス!)
その内容は本作の舞台となっている町並みを、櫻子とその友人・向日葵が下校していく……というもの。
こうしてシチュエーションを言葉に起こすとなんだかシンプルに感じられるかもしれませんが、オタクは100%唖然とさせられる事請け合いですよ。
なんてったって、このシークエンスは実写背景が用いられており、さらには櫻子&向日葵は影無し作画!この独特な画面の洗練性には凄いものがあります。
ちなみに、この身震いするほど美しいOPの絵コンテを担当したのは龍輪直征と岩崎安利。演出処理は龍輪さんのみが務めていらっしゃいます。
龍輪直征さんは2004~2015年ごろまでシャフトで活躍していた方。
『ニセコイ』『幸腹グラフィティ』などの(若干影が薄くなりがちであるものの)紛れもない傑作の監督を務めた、腕利きの演出家!
本作では監督を務めています。
岩崎さんも龍輪さんと示し合わせたかのような同時期にフリーとなったものの、元はシャフト所属の方。
OVA『かってに改蔵』や『咲う アルスノトリア すんっ!』など多数の作品で龍輪さんと繋がりがあるようで、本作では助監督を務めています。
とにかくこのOP映像には、今年発表されたアニメ作品の中でもトップクラスに喰らわされたと言っても全く過言ではありません。(6月下旬現在)
『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』を観たオタクであれば、萌え美少女×影無し作画のコンビネーションに強烈なシナジーがあることは、説明せずとも分かってくれることでしょう。
そこに更なる「ひとひねり」を加えてやらぁ!!と、ぶち込まれる実写背景。そこに「まだまだ満足できねぇよ!」とばかりに撮影処理もたっぷり足されています。
Aメロ部分の映像で多用されるノイズのようなエフェクトは相反する2種の素材が反目し合うかのような緊張感を与えており、余りにもクール!
この後に訪れるBメロに比べて1カット辺りの時間を若干長めに設定しつつ、カメラにも動きを与えているのも素晴らしい。
長回しによって実在感を高めっつ、カメラ動もガンガン使っていく。「とにかく1秒たりとも飽きさせないぞ」という意思を感じますね。
Aメロ部分には、長回しによる「実在性」の心地よさがあります。
映像全体の色調が寒色系なのも相まって、静かに二人をのぞき見るような趣がありますね。櫻子と向日葵が、本当に実在しているかのようです。
長めに回しつつも、同時にカメラをアクティブに動かすことで、妙な「覗き見」の生々しさを排除しているのも素晴らしい配慮ですよ。
これがもし固定された定点カメラだったら、オタクの脳裏には「盗撮」の二文字がちらついたことでしょう。青みがかった画面も防犯カメラ的な、ヤな生々しさが出ちゃっていたかもしれません。
過剰に実在性を高めて下品に仕上げることなく、上品に櫻子&向日葵の「居る感」を高める手腕には、脱帽せざるを得ない……!!
続くBメロからはカット辺りの時間が一気に短くなり、1小節辺り2カットを割り当てるペースでテンポ良くカットを重ねていきます。
画面の色調も寒色→暖色へと変わり、視聴者は「お、何か展開が変わっているな」と再度惹きつけられていく。
Aメロでは長回しで担保していた映像的な気持ちよさを、ここからはアクション繋ぎ(※1)の多用で担保していく訳ですね。
「実写背景×影無し作画キャラ」というコンセプトは維持しつつ、楽曲の展開毎に演出スタイルを変えることで、またも観客を飽きさせない。
この冴え渡りといったら、ねぇ!!
そしてこのBメロの更に恐ろしい所は、そんなアクション繋ぎの大事なつなぎ目を「露出オーバー」(※2)で視認しづらくしてしまっている事ですね。
本来アクションの連続性や快感を担保するはずの「つなぎ目」を敢えて見せまいとしてしまう大胆不敵さ!もうたまらんっっす!!!!
気持ちよさをどう演出するかのオーソドックスな例を完璧に理解した上でカット毎の尺を設定しながらも、同時にその王道を露出オーバーで「外す」不敵さも持ち合わせている。
これは『22/7 あの日の彼女たち』2話(筆者の数ある「魂」のひとつ)における露出オーバー・カットの如き、強烈な「外し」ですよ。
Aメロに対してBメロには、AC繋ぎ&素早いカット割り&露出オーバーによる突き抜けた「虚構性」の快感があります。
赤系統の色味と、カーッと昇るような興奮を煽る露出オーバー、心地よいAC繋ぎは存分に観客へ高揚感を与えるものです。
Aメロ部分のような単なる落ち着いた「実在感」の表現に留まらず、『大室家』という作品の入り口として、しっかりと盛り上がり所を作る辺りがエンタメとして完璧すぎるぞ!
さっきは「実写素材がぶち込まれる」なんて勢いに任して言っちゃいました。けど、このOPは構成要素の全てが完璧に調和しているのが素晴らしすぎるんですね!
画面上の何一つとして「ぶち込まれ」ていない。要素が多いにも関わらず、カオスさは残したまま「調和」している。
影がないというファンタジックかつ真っ直ぐな視覚的快楽と、作画主体のアニメーションから遊離した実写素材の衝突……そこに美少女をひとつまみ。
『大室家』OPは、オタクを一撃で昏倒させる強烈な一撃なんですよ!
このために1600円払う価値、マジでありますから。
そんなOPシークエンスなんですが、実は後編では映像にガッツリ変更が加えられています。ほんとにガッッッッッッツリと。
前編OP(先ほどリンク貼った映像)では冒頭のタイムラプスから向日葵ちゃんの家に二人が到着するまで、常に実写背景が用いられていました。
一方、後編の映像ではカット間に櫻子・向日葵以外の本作メインキャラクター達がインサート(※3)されており、その一瞬は実写背景が途切れるのです。
正直に言うと、自分は「なんてことしてくれたんだぁ!」と思いました。
流石に肩を落とさざるを得ない……宝石のように美しかったあの映像に、何故手を加えてしまうのか?と。
長回し主体で単体のカットに際立った強度があるAメロから、テンポの良いカット重ね&アクション繋ぎで魅了するBメロ、そして躍動感ある櫻子のダッシュが印象深いサビ!
このように丁寧に構成されたOPにおいて、一瞬たりとも櫻子達は実写背景から離れず、実写・作画の素材間に生まれる奇妙な浮遊感と共に運動を見せ続けてくれる……そこにこの映像の「芯」となる快感があったんですよ。
そこにインサートが入ってしまうと、あの浮遊感あふれる空間の連続が途切れてしまう。
インサートに合わせて背景が一般的なアニメのようなイメージ背景になると、実写素材がもたらしてくれる「没入感」が損なわれるのです。
インサートが入る毎に、僕たちは「そういえばこれは、アニメの世界だったな」と正気に戻される。なぁ、なんでそんな酷いことをするんだ?
メインキャラを紹介するインサートを入れたくなる気持ちも分からなくはないんですが、やるにしても後編でやる事かなぁ!?!?
本作はメインキャラクターが前編で登場しきっていますから、わざわざここでキャラ紹介を挟む必要も無いはず。
余計な他キャラファンへの配慮は入れずに、僕たちに綺麗な魔法を見せ続けてくれよ!と叫びたくなってしまう。
……あれ、後編『dear friends』の宣伝をしようとしていたら、いつの間にか批判になってしまっている。これはダメだ!!!!話題を変えます!!!
・『大室家』の演出フォーマットを語ろう
僕が個人的に、連続してエピソードを発表するアニメ作品において重要なのでは?と感じるのが「演出フォーマットの作成」です。
『大室家』も前後編ですし、なにより全体のシナリオ構成が極めてオムニバス的。「演出フォーマット」がTVシリーズと同じくらい重要になってくる作品だと感じています。
「基本的なシーン繋ぎはこうする/決め所はこうやって魅せる/こういった演出は避ける」……
こうしたある種の「お決まり」を決めておくことは視聴者の安心感にも繋がりますし、シリーズとしての一貫性をもたらしてくれます。
例えば『大室家』監督の龍輪さんが以前に所属していた制作会社「シャフト」にも、フォーマットをスタッフ間で共有するための「演出マニュアル」なるものが存在していることが、諸々の資料から確認されています。
↑(マニュアルについてまとめられている、凄まじい記事)
こちらの記事を読んでみると、マニュアルの役割は「フォーマットの徹底」というよりも寧ろ、非シャフト系の演出家にスムーズな情報伝達を行うための「情報のインフラ整備」用に用いられているようです。
上記事でもまとめられているように、このマニュアルとはあくまで「例外の方が多い規則」であり、鉄の規律ではありません。
しかしこうしたひとつの指針があることで、逆説的に「シャフトらしさ」が醸成されていることもまた事実であるはず。
指針があればこそ、初めてそこを「逸脱」することが出来る。
一貫性ある演出フォーマットの作成は、洒落た「逸脱」を呼ぶためにも必須だと言えるでしょう。
一貫性はある意味で「個性」や「芸術的強度」ともイコールですからね。
フォーマットに力のある作品というのは、往々にして優れた作品になるんじゃないかな?と感じています。
若干話がずれてしまいましたが、『大室家』の話に戻りましょう。
ラフでキュートな萌えエンタメである本作にも、もちろん様々な演出フォーマットが存在しています。
とりあえずこの記事では自分の目にとまった分かりやすい演出フォーマットを数点挙げて、論じていきたいと思いますね。
① シークエンス冒頭、外観カットの挿入
本作で主に描かれる「場」は、概ね4種類。細かく数えるともっと多いんですが、代表的な「場」となると下記の4種に絞られるはずです。
1.大室三姉妹の家
2.撫子の高校
3.櫻子の中学
4.花子の小学校
『大室家』はショートエピソードを釣瓶打ちの如く展開していく形式で、極めてテンポ良く進んでいきます。
そうなると必然、上記4つの「場」を頻繁に横断することになる。
そんなめまぐるしい跳躍の渦中でも視聴者に現在地を知らせるために、本作は大半のシークエンスの始点(ファーストカット)に、そのシークエンスを象徴する建物の外観を挿入しています。
三姉妹の家なら一軒家、撫子さんの高校なら高校の外観……というような外観ショットから始まる、このフォーマット。
人によっては「モタつき」と捉える方もいるかもしれませんね。確かに些か丁寧すぎるきらいはあるかもしれません。
しかしハイテンポを売りにしている訳ではない本作において、この建物ショットは、ノリの良いキャラクターの会話が上げきった映像のアクセルに一度ブレーキをかける「句読点」のような役割を果たしているのです。
『大室家』におけるこの外観ショットは、映画監督・小津安二郎がインサートすることで知られる「建物の外観等を捉えたショット(俗に言う「枕ショット」)」と類似したモノとして捉えることも可能かもしれません。
しかし小津が用いるこのショットは単なる状況説明のためだけとは限りません。
無人のショットで「物語り」から遊離した緊張感を与えるためでもあり、また「掛詞」のように説話における重要な要素を示唆するためでもあるのですね。
枕ショットという名前からは1番目の「説明」という意味作用ばかりを意識してしまいがちですが、当然ながら多くの意味を持つショットなのです。
実際、「枕ショット」というネーミングは安直すぎると批判されている……というのを読んだことがあります。
そう考えると、無理矢理にでも『大室家』を小津の手法と接続することは、極めて暴力的と言わざるを得ません。
ショットの大まかな立ち位置と批評っぽい「飛躍」の見栄えにばかり気を取られて、肝心の画面内における意味作用を無視してしまうような振る舞いは避けたいところです。
『大室家』の外観ショットは「モタつき」と紙一重ながら、本作独特のテンポ感を醸成することに貢献している。……こうまとめるのが、いちアニメ好きとして真摯な落とし所ですね。
小津の例は興味深い例ではあるものの、結論に組み込まずとも良さそうです。
映画と接続し、画期的な論点を見つけるカッコよさには正直言って憧れていますけど、安易に映画という「権威」に飛びつくのが一番ダサいし……
②シーン繋ぎ
先ほども書いたように、『大室家』は短編をどんどん見せていく景気の良いスタイルで進んでいきます。
そんな数ある短編の中でも特に短いエピソード(いわば「ショートショート」)へ入っていく際に、少し特徴的な演出が観られるんですよね。
というのも、本作のカット繋ぎは基本的に先述した外観ショットの「句読点」的な働きに頼り切り、ストレートカット(※4)で繋いでいたことが多かったように思われます。
それに対して、ショートショートへの入りは若干凝っています。
前編にて「ショートショート」へのシーン繋ぎを行う際には、効果音付きのホワイトアウトがちょくちょく用いられていました。
今やミームと化したアイリスアウト(※5)程ではないものの、コミカルな繋ぎですね。
要は本作の基本となる短編へ繋ぐ際と、アクセントとなる「ショートショート」へ繋ぐ際の演出を変えているみたいなんですね。
自分の懐事情もあって映画館に通い詰められず、厳密に映像の全てを確認した訳ではないのが申し訳ないんですが、恐らくこういう方針があるのではと。
まぁ短編とショートショートの違いは、一旦置いておいて良いんです。
問題なのは、非ストレートな繋ぎのフォーマットが前後編で統一されていないことです。これは個人的に、かなり痛いポイントでした。
前編ではストレートカット以外の繋ぎ方として、「ホワイトアウト」が多く用いられていたことは確認しましたね。
しかし後編では打って変わって、ショートショートの冒頭1カットから下図のような「フレーム・イン・フレーム」(以下「F.I.F」)が幾度となく使われます。
一応言っておくとこれ、個人的にはとても好きな演出なんですよ!
僕はかなり画面分割フェチな傾向があるので、こういう「F.I.F」は当然大好き。
単に遠近法的な写実主義で奥行きを出すのではなく、極めてフィクショナルな形で無理矢理に立体感を作り出してしまう豪腕っぷりに惚れ惚れします。
しかし「手法」そのものがいくら好きだからといっても、何もかもを肯定できる訳ではありません。
前編で用いられていたホワイトアウトは鳴りをを潜め、後編ではF.I.Fがバンバン使われる……そのトランジション面の一貫性のなさ、なんなんだろう!?!?と思うわけです。
ストレートカット以外の繋ぎ方として多用されているのが、前編は「ホワイトアウト」・後編は「F.I.F」。
それぞれのトランジション自体は素敵な演出だと思うのですが、やはり「どこで何の手法を使うか」は統一した方が見栄えが良いような気はしてしまいます。
前後編と銘打つならば、それに見合うだけの「シリーズとしての強度」が必要でしょう。
たとえそれがオムニバス作品であっても、オムニバスなりの「強度」が必要不可欠です。
「シリーズ単位の強度」というのは、「一貫性」や「コンセプト」と同義です。それがあるからこそ、視聴者は心地よく作品に身を委ねる事が出来る!
その「強度」というのは、シナリオ段階で得られるものもあれば映像の演出によって得られるものもあるでしょう。
可能ならばシナリオ・画面の両面から「強度」が得られたら、この上なく良い!
例として挙げるなら、短編連作アニメ『22/7 あの日の彼女たち』は、オムニバスながらそういった「強度」に満ちた作品でした。
アイドル達の日常を描くというシナリオ上の一貫性に加え、ラストは必ず暗転するというシンプルな演出フォーマットがある点も素晴らしい!
極めて安定感のあるシナリオと映像だからこそ、洒脱な「外し」演出も効いてくるというのが完璧ですよ。
そういう意味で『大室家』がシリーズとしての「強度」を有しているかと言えば、僅差で”NO”と言わざるを得ないのではないでしょうか。
少なくとも映像面に注目すると、前編と後編でコミカルさを出すための演出”すら”統一出来ていないと切り捨てられてしまいそう。
前編・後編をそれぞれ単体で観るとめちゃ面白いんだけども、あと一歩が足りていなくて、「傑作」とは呼びづらいんですよ。
シナリオ面においても「家族愛」という大きなテーマで綺麗にまとめていた前編に対して、後編は些か散らかってしまった印象があります。
撫子さんのシリアスな恋愛模様の合間に、櫻子&向日葵&撫子さん・小学生チームのコミカル会話が挟まるのはハチャメチャに面白い!
ですがその一方で、物語をリードする「テーマ」あるいは「推進力」が若干不足している気がしてしまいました。
恐らく作り手側としては、撫子さんの恋愛に暗雲が立ちこめるシリアスな後編だからこそコミカルさを強調していきたい意図があったのでは?と思いますね。
だからショートショートへの導入手法も、前編と後編でマイナーチェンジさせていったのでは……と。
確かに後編ではミーム「宇宙猫」を思わせる天丼ネタ・さくひまへの印象を利用した百合ギャグ等に代表される、振り切ったコメディ要素が火を噴いていましたよね。
それらのコミカルさには僕含む劇場のオタクも爆笑していました。
努めてシリアスさを中和しようとしているのだろうな~という気配りはとっても心地よい!やっぱり最高に面白い作品ではあるんです。
しかし、これだけ短いシリーズでありながら肝心の演出フォーマットが統一されていなかったことは、僕にとって無視できない衝撃だったのです。
端的に言えば、集中が途切れてしまった。萌えに身体を委ねさせようにも、こうした違和感が邪魔して没入できませんでしたからね。
演出フォーマットを守りすぎて飽きられるアニメも多々あります。
しかし少なくとも『大室家』は飽きられるほどの長尺でもないんですから、フォーマットを徹底して欲しかった…………
おわりに
今年は素晴らしい劇場アニメが多い年です。
魔境・2021年に勝るとも劣らない、凄まじいラインナップ!
例を挙げていくなら、まず『ウマ娘 新時代の扉』も出崎統スピリットを感じる素晴らしいクオリティでしたよね。冒頭のポッケくぅんがトレセン入りするまでの流れとか、完全に『劇場版エースをねらえ!』でしたし。
また、『ぼざろ』総集編も意図を感じる素晴らしい編集でした。ぼ虹のコンビを中心にシリーズ前半を総ざらいしていく内容で、ファーストカットあそこからなんだ!?というサプライズ感も総集編という形式ならでは。
『ルックバック』も押山清高さんの執念が結実した作画が異彩を放っていて、一定の満足感がありました。劇伴や音楽が全体的に「聖なるもの」みたいなムードを押しつけてきて、だいぶ辟易しましたけど。
ここからカンヌ・アヌシーで評価された『化け猫あんずちゃん』、全世界待望の山田尚子『きみのいろ』、秋には超平和バスターズの『ふれる。』が控えているんですから、どんだけ豪華なんだ!?と。
↑この作品は……うん……心の底から楽しみだけど……まぁ流石に延期するんじゃねぇかな……
ただそんな超豪華なラインナップの中でも、『大室家』は十分に存在感を残せるタイトルだと感じています。本当に!
あのOP映像はやはり凄まじすぎますし、どことなく硬派な「映画らしい」タイトルが並ぶ中で、深夜アニメらしい萌えを打ち出した本作の存在感は無視できないでしょう。
だからこそ、細部に少々気になるポイントがあるという事実がなんとも辛い!
前後編でフォーマットが徹底されていれば、演出アニメとして皆んなに堂々とオススメできたんですが………
あと公開時から言われていましたが、前編はリップシンク(※6)があまりにも合ってないのも気になりましたよね。TVアニメならともかく、大画面で観るとかなり口パクの粗って目立ってしまうんだな……と気づかされました。
後編でも、チャットを打っているシーンなのにテキストウィンドウには「メッセージを入力」というプレーンのメッセージが出続けているシーンがありました。
メッセージを打っているはずなのに、「入力されていない」ことを示すウィンドウの奇妙さといったら!少し不気味さすら感じました。
プロップ(小道具)をデザインする段階で、「メッセージを入力」という文面を入れ込んであり、それをまんま使ってしまったんでしょうか?
この素材まんま使うなら、せめて画面の文字が見えないくらい引きで撮るとか、どうにかならんもんかな…?と思いますね。
こういう細部にちょ〜〜〜〜っと見逃せないミスがあるんですよね。作画も芝居もお話も超面白いんですが、どこか抜けている。
そしてそういう「細部の粗」が、我々の集中力をそいでいくんです。
まさしく冒頭で触れた真冬に夏の映画を、初夏に真冬の映画を公開するような「大きくはないが目立つ凡ミス」がずっとあるアニメなんですよね。本当に癒やされるし面白いので、なんとも憎めないが…
こんなこと書いちゃうと「観る気なくすわ~」という方もいるでしょう。
ただ、可能ならばやはり劇場に赴いて『大室家』を感じてみて欲しい!
あの圧倒的なOP、妙に立体感がある(気がする)音響、洒脱な日常パートのカット割り、そして何より強烈な萌えパワー!!!!!!!!!!!!
今年の粒ぞろいな劇場公開アニメーションの中でも、特異な立ち位置の本作は我々のような美少女に飢えたオタクを救うメシアですからね。
まさに萌えジャンキーの眼の救世主!!!みんな、萌えアニメの火を絶やすな!!!!!映画館へGOだ!!!!!!
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