見出し画像

4ねんお世話になったわたしのお家

こんにちは。なおです。
最近いろいろな人のnoteを見るけれど「なんでこんなにも文章を書く時の言葉遣いができるんだろう…」となっています。

2月15日に札幌のお家とお別れしました。
荷造りやお掃除を1人でやるの大変だった~。

今日は4年間お世話になったお家のストーリーを
noteに残そうと思います。残すだけね。

大学が決まっていないのにお家が決まった話

そうそう。調べてみると2020年1月12日。
試験日が2月だというのにいとこのお母さんが「早く見つけないといいところ無くなるよ!」というのでパパと一緒に新居探しの旅。

何もかも初めての経験でお家はたくさんあるし、お店もたくさんあるし、人もたくさんいるし、こんなところに4年間住めるんだろうか?と思った記憶がある。

2日間、物件探しをする予定で家の近くの不動産屋さんにお世話になった。店長?みたいな人がついてくれてめちゃくちゃチャラそうなイメージ。「札幌で働く人ってこんなにチャラいの?」って思った記憶もある。

目星をつけていた物件をまずは8件くらい見せてもらった。ボンビーガールとかテレビを4年間見てきて、「こんなに物件見るなんて迷惑だっただろうな」と今思えば感じる。
しっかりと朝から夜まで見せてもらって1日目が終わり、2日目も朝から夜まで見せてもらう。計15件くらい(笑)

あたしが決めていた、ここ良い…!というところはあったけれど、パパはあまり納得いっていない…?みたいな状態。
パパは土日しか休みないしあたしも学校あるし「よし!行こう!」と言っていける距離でもないしどうしようかな…と悩んでいたら。

最後の最後で「ここどうですか?」と店長が出してくれたお家。
「めちゃくちゃいいじゃん!」
即決。2日間色々なところ周って内見行っていないのに決定。
「そんなことあるの?!大丈夫かよ!!」と思いながらも決定。

そんなこんなであたしが4年間お世話になるお家が決まりました。

大学受験の日にお家を見てるんるんになった話

無事、高校も家庭学習期間に入っていよいよ大学受験当日。
試験会場に着いて1番最初に思った事。
「メンズ多すぎないか?!」
この時は同期の8割が男子だとは思ってもいなかったよ~。

ここだけのはなし、
あまりにもメンズが多すぎてお昼ご飯トイレで食べました(笑)
さすがにこの空気感耐えられない!咀嚼音聞こえちゃうじゃん!と思ってコンビニで買ったおにぎり2つを女子トイレで食べました。結構ドン引きされるけど今の年になって同じ状況になっても同じことしてしまうんじゃないかと思ってしまう自分もいる。成長しよう。

無事、試験も乗り越え、JRまで時間があったから4年お世話になるお家を見に行ってきた。大学から歩いて10分くらい。
「一人暮らし出来るのか?」と思ったし、見慣れない景色すぎて、人口7000人の街に住んでいた者からすると、人口195万人の街に4月から住むなんて考られなかった。

やっぱりお別れの時は号泣だった話

いよいよ3月中旬札幌にお引越しした。
親の転勤や兄弟の進学もあり、標茶町とは高校卒業のタイミングでお別れした。だから、10年くらい住んでいた家ともお別れ。パパとママと札幌に向かった。

札幌について家具探し!何も買っていなかったから。
でも初期費用だったり、引っ越し費用だったり、仕送りだったり、これ以上両親にお金払ってもらえないよ~と思っていたり、札幌に着いてからは手続きも多く、ちょっとピりついた雰囲気のままとあたし。それを心配するかのように家具屋さんで「これがいいんじゃない?」「この家具あの部屋に似合いそうじゃん!」「お金のことは気にしなくていいんだぞ!」と仲介してくれるぱぱ。高校受験&中学反抗期でままとなおがピりついているときも必ず仲介に入ってくれたパパには感謝しかない。ありがとう。

バタバタと2日間が過ぎていき、いよいよお別れの時。その時までは、「1人暮らし楽しみ~!最高~!」と思っていたけれど、ポツンと取り残された感覚で寂しくなった。親の前では泣かなかったけれど、別れてから荷解きしているときに泣きながらやっていたな~と思いだす。
後から聞くと、ままとぱぱも帰りの車で泣いていたらしい。本当に1人ぽつんと置いて行っていいのかと。

まさか、コロナで学校がオンラインになって1か月後に帰省するなんて思ってもいなかっただろうな~。

もしもう一度物件選びをするならの話

4年札幌のお家に住んでみてもしあたしが今後物件探しをするなら、後輩ちゃんで物件探しをするならこうする!といった点をまとめようかな。

☆最寄りの駅から徒歩10分圏内!
もうこれがno1。あたしのお家最寄りの駅まで徒歩20分。
まあ、長い長い。高校3年生・札幌の土地観0のあたしには、ここまで地下鉄が重要だということが分からなかった…。大学が近いだけではダメなんだと気づかされました。

☆札幌の夏!エアコンがあるともっと快適だったな。
札幌の夏正直舐めてました。生きてる心地がしません。
友達は比較的エアコンのあるお家に住んでいたので夏はお世話になっていた。エアコンがあるだけでこんなにも快適なんて思いもしなかった。夏はできるだけお家にいない方法を常に考えていた。

☆鉄筋だったら尚更◎
木造なまら音響く!あたしの住んでいたお家は最初の3年間が4人家族(おそらく小学生の育ち盛りの男の子2人)、そして最後の1年間はめちゃくちゃ重低音のヒップホップが好きなあたしよりも若い男の子。

まず、小学生の男の子たちは、お家が壊れるんじゃないか?くらいな喧嘩を毎日していた。多分ゲームをしていたんだろうな。いつもおそらく弟を思われる子が泣き叫んでいた。べつにイライラとかは全くなく、いつも元気だな~と思いながら過ごしていた。毎日だったから退去した時はすぐわかった。多分子供も大きくなってきて新しいお家に引っ越したんだろうな~。

最後の1年間は、夜中の重低音ヒップホップが本当にすごかった。大学4年生ともなると朝早く起きなきゃいけない理由がほとんどなかったから夜更かしばっかりしていたけれど、夜中の2時くらいから重低音ライブが始まると思うと、早く2時までに寝なきゃという思考になって早寝できるようになったから多分お互いが幸せホルモンでwinwin。結果オーライ。

なんかあたしはお家に友達を入れるのがあまり好きではなく、多分4年間であたしのお家に来たのは5人とか(笑)引っ越し業者さんが来ただけでもそわそわするので結構苦手。でも、今更だけど、もっとホームパーティーとかすればよかったなと後悔している。可愛いお家に仕上げればよかった。そしたらみんなをお家に呼びたくなったんだべなあ。

話がめちゃくちゃそれてた。鉄筋だったら尚更良し。

2024年まで住んだお家とお別れした話

こんな感じであたしが4年間住んだお家のお話しでした。退去するときは、「こんな広かったのか!」と思うほど。モノがたくさんありすぎていたんだな…。
昨日、物件サイト見てたらもう募集のページができていてなんか寂しくなった。まあでも素敵な人に住んでもらえたらいいな…!

このお家のお話を何かに残しておきたいなと思って、noteに残してみました。早いうちに残せてよかった。

早く札幌からお別れしたのはいいものの何しよう…!単発や短気で働かせてもらえることもなく、お金もあまりなく、でもせっかくの最後の人生の春休みだから何かしたいな…と計画中。

大学に通われていた皆さんは最後の1か月何をして過ごしていましたか?
教えてください!

それでは皆さんにとって明日もステキな日になりますように…!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?