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文字と音楽と映像の力

皆さんは体育会系、文化部系、どちらでしょうか。

わたしは小さいころから運動があまり得意ではありませんでした。得意ではない、というか好きではないという表現が正しいです。

学校の休み時間は暇さえあれば読書をして過ごし、休日は邦画、洋画問わず様々な映画を見るのが好きでした。その頃は映画館のチケットの半券をよく集めていたなぁ。高校生になると、音楽にも興味を持ち始めました。私は特定のアーティストを好きになるよりも、曲を好きになるタイプのようで今でも多くのアーティストさんの曲を聞きます。

私が読書や音楽を好きになったきっかけは、ただ運動が嫌いということだけではありませんでした。

私は小学生のころから、クラスメイトとうまくいかないことが多くありました。仲の良かった友達を取られたと嫉妬した女の子から陰口を言われたり、突然避けられたりすることが何度もありました。高校生の頃、修学旅行で組んだグループのとある子からこれまた突然避けられてしまい、そのグループが残念なことに奇数だったため、バスの座席が常に一人という悲しい体験をすることになるのです。今思えばよく耐えていた笑

そんな時、辛い自分を支えてくれていたのが、本や映画や音楽でした。

本や映画は、時にハラハラするミステリーな世界だったり、胸キュンする恋の世界だったり、私を現実から別の世界に連れて行ってくれました。音楽を聞けば、その歌詞に励まされたり、泣けてきたり、現実に向き合う力をもらえました。

悲しいことが多かった学生時代を、私は文字や音楽、映像の力を借りることで無事乗り越えられたのです。

現在は、音楽にしても映像にしても、どれも昔より身近な存在になったと感じています。サブスクリプションサービスによっていつでもどこでも好きな曲や映画を楽しむことができます。SNSが発達、普及したため、自分の考えを文字や写真、映像にして発信する人が増えました。

カメラやパソコン、スマートフォンなども高機能、高性能のものが次々に発売され、誰でも簡単に映像制作をしたり、編集をしたり、撮影をしたりすることが可能になりました。

誰でも簡単に発信する側にまわれるようになったことは、私にとってはとても嬉しいことで、今も大好きなドラマを見ながら、大好きな曲を聞きながら、ボーナスで買った大事で大好きなパソコンを使いながら、こうして文字を書いています。

今までは、「受け取る」だけだった自分が「発信する」側になれる。

まだまだ自己満足で、誰にも届いていないけれど、それでもこうして好きなことをできているのは私としては最高に幸せなのです。

いつかわたしの書く文字が、撮った写真や映像が、誰かの力や誰かの支えに、ちょっとでもなれる日がきたら嬉しいなぁと思います。




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