黄色の糸
あっという間に12月。今年も残り三週間…。
今日は12月10日。
ということで今回のnoteもA.B.C-Zメンバーお誕生日企画です。
黄色の糸の相手は私の相方ちゃんです。
長い付き合いなので何からどう書いて、どのエピソードを入れるべきか全くまとまる気がしません(笑)
が、ひとまず書いてみます。
(本当にとてつもなく長いので覚悟してお読み下さい)
知り合ったのは2010年。きっかけはゴスペラーズ。
ゴスペラーズがいなければ間違いなく私たちの人生は交わっていない。
当時はツイッターもインスタもTikTokもまだなかった。(あったのかもしれないけど、私は知らない)
SNSと言えばmixiだった。(今の若者はきっと知らないだろうな〜。懐かしい!と思ったあなたとは握手したい)
そのmixiが相方ちゃんと私を引き合わせてくれた。
ゴスとの出会いは2009年で、ファンになりたてで誰かと想いを共有したいという欲望を猛烈に抱えながらも話せる相手がいないという期間を一年過ごしていた。
ゴスのコミュニティにお友達募集の書き込みをしてみたりしたものの、もうお友達がいる方が大半な中で出会いを求めるのは難しかった。仲間がいる方たちはとても楽しそうで、羨ましくて眩しかった。
そんな時に一通のメッセージが届いた。
私と同じくらいの時期にゴスにハマり、お友達を探している。ゴス以外にバンドも好きで、気が合いそうだなと思ってメッセージをしたという内容だった。
丁寧な文面からきちんとした方だというのが伝わってきて、私は踊り出しそうなくらい嬉しかった。
しかし、ステップを踏み出そうとしたところですぐに足が止まった。
メッセージをくれた方のプロフィールを見てみると、アイコンはラクダ。動物のあのラクダ。
ゴスのコミュニティには入っているものの、もう一つ入っているコミュニティは参加人数が少なくて名前が怪しかった。新興宗教…?と怖くなった。
信仰は自由だが、あいにく私はそういうものに興味はない。
でも良い方そうだから一度だけと思い、ひとまず返信をした。
すると興奮気味な長文の返信が返ってきた。
最後の一文が特に嬉しくて、この時には怪しさも忘れてこの方と仲良くなりたいと思っていた。(後にこのコミュニティは相方ちゃんのお友達グループのコミュニティで、宗教ではないと分かった笑)
年齢も住んでいる場所も近く、ゴス以外の音楽の趣味も合いそうで、この時には運命すら感じるようになっていた。
それからしばらくやり取りをして、初めて会ったのは2010年の9月。
相方ちゃんの第一印象は、清楚の塊!だった。私とは違うタイプの人…と身構えたが、「着替えるのが面倒で会社の制服を家から着て行っちゃうんだ」とサラリと言ってのけるような人だった(笑)
何を話したかまで思い出せないけど、翌週会う約束をして別れたことだけは覚えている。
ここからほぼ毎日連絡を取るようになって、週末はほとんど会っていたと思う。
二ヶ月後には初めて一緒にゴスのライブに行った。しかも旅行も兼ねて二泊三日の遠征で。
仲良くなりたい!と思うと一気に距離を詰めてしまう癖があるのだけど、相方ちゃんはそれを嫌がらずに受け入れてくれた。
こうして順調に仲良くなっていくかと思いきや、一緒に過ごす時間が長くなるとお互いのいろんなことが見えてくる。
初めての遠征が終わった辺りからとにかく喧嘩をしていた気がする。理由はもう思い出せないような些細なこと。若かったなぁと思う(笑)
ぶつかって、言いたいことを言い合って、終わりだ終わり!!と何度思ったか分からない(笑)
それでも私は相方ちゃんが大好きだった。だから離れられなかった。
相方ちゃんはどういう訳か知らないけれど、私の友達として留まってくれた。
衝突を繰り返しながらもそれは確実に私たちの絆を深めてくれていたらしい。
ゴスのファンとしても一通りの基礎を覚えて、楽しいことがどんどん増えていった。二人でいると何故か良いことが起きることが多くて、一緒にいる相乗効果みたいなものを幾度となく体感した。
知り合いも少し増えて、コンビとして認識されていった。
振り返ってみればとにかく楽しくて充実した日々だった。
そんな日々に突然終わりが訪れたのは、2015年8月3日。忘れもしない。月曜日だった。
そのニュースを知ったのは会社に向かう電車の中で、頭も心も全てが一瞬でフリーズした。
一般的にはおめでたいニュースだけど、私には全ての終わりだった。
乗り換えの駅に着くと相方ちゃんから連絡が来て、仕事が終わってから会う約束をした。
どうにか仕事には行った。休憩の度にトイレでボロボロと泣いた。
仕事が終わり、待ち合わせをした東京駅で相方ちゃんの顔を見たらまた泣けた。
近くのカフェに入ってもまだ泣けた。
そんな私の横で「食べた方がいいよ」と言いながら、相方ちゃんはピザを食べた。
恐らく人生最大の失恋をしたであろう私の横でピザを頬張った。
私は相方ちゃんのこういう所がとても好きだ。泣きながら、この人本当に凄いなぁとちょっと笑えてしまった(笑)
神妙な空気になりきらないと思っていたのに、駅で別れる時に「何もしてあげられなくてごめんね…」と涙ぐみながら呟かれた。
出会って5年。ほとんど涙を見せない人だから驚いた。
そしてこの時だったか、この後だったか。直接だったか、LINEだったか忘れてしまったけど、相方ちゃんがかけてくれた言葉がずっと私を支えてくれている。
「結果としては叶わなかったけど、こんなにも誰かを好きになれたなっちゃんを羨ましいって思うよ」
バカだと言われても仕方のない私の想いを茶化すことなくずっと大切にしてくれた。それは何をしてもらうことよりもありがたかった。
ここからは戦いの日々だった。
大好きだった人を見ていることがとにかくしんどくて、ファンを辞めようかと本当に悩んだ。心は完全にバランスを失い、楽しいと感じられることが無くなってしまった。
魔法が解けて突きつけられた現実は想像以上に重く、この先どうすればいいのか分からなかった。相方ちゃんは私の気持ちを尊重してくれたけど、出会うきっかけをくれたのはゴスだ。どんなに仲良くなったとしても、やっぱりそれを手放すのは怖かった。ゴスが無くなっても友達でいられる自信が正直なかった。
A.B.C-Zに出会ったのはそんな時だった。(やっと出てきた!笑)
ゴスのお友達がえびにハマったことで存在を知り、色々教えてもらっているうちに私もすっかりハマってしまった。
でも30歳を過ぎてジャニーズに落ちるというのは、自分の現状を考えると非常にマズいと思った。終わりの始まりだと思った。
55コンの円盤を手に入れた私は、相方ちゃんなら止めてくれるはずという願いに似た思いを抱いてそれを一緒に鑑賞してもらった。
「今からジャニーズはダメだよ」そんな言葉を待っていた。
ところが、「なんかいいね!A.B.C-Zならいいと思う!」と予想外すぎる言葉が返ってきた。
ミイラ取りがミイラになるというのを初めて体験した(笑)
それから相方ちゃんは私の付き添いとして現場に来てくれるようになった。
当たり前だがえびへの理解はどんどん深まっていく。話す内容はあっという間に完全にファンだった。
それでも相方ちゃんは頑なに“見習い”だと主張し続けた。
謎の攻防が続いて約一年。
LBTの延長戦を終えて、晴れて相方ちゃんは“見習い”を卒業した。
あるグループのファン同士として出会い、違うグループのファンにも一緒になるなんてほとんどあり得ないことだと思う。
新たに相方ちゃんとの楽しみが増えたことはもちろん嬉しかったが、塚田担になってから相方ちゃんの新たな一面を知ることができて、私はそれが何よりも嬉しかった。
正直、相方ちゃんが塚ちゃんの担当になることは予想外過ぎた。
「え、塚ちゃん?本当に?」と何度か確認してしまったくらいだ。(塚ちゃんごめんね笑)
塚ちゃんが相方ちゃんの心を射止めた理由は頭蓋骨だった。歴代の好きな人と塚ちゃん、並べるとみんな(恐らく)同じような頭蓋骨だと思うと。科捜研レベルで人を好きになる人に初めて出会った。
本人は大真面目に塚ちゃんを好きになった理由としてこれを挙げていた。あと、生命力が強そうなところもすごく好きらしい。私はただ感心して受け入れるよりほかなかった。
見習いを卒業してもしばらくは団扇を拒絶していた。でも、「塚ちゃんにファンいるよって教えてあげなきゃ!」と団扇の存在意義を相方ちゃんなりに見出してからより一層塚田担当者を謳歌しているように見える。
さらにとっつーの脚上げ担にもなり、決定的瞬間をよく写真で送ってくれる。
そんなこんなで気づけば戸塚田研究家まっしぐら…(笑)嬉々として戸塚田について語る相方ちゃんが私は大好きだ。
私と友達にならなければ相方ちゃんの人生にはジャニーズも、団扇も、メンカラタイプのペンライトも絶対に登場しなかった。
少しだけ申し訳ないと思う私に、「いや、なんか面白いからいいよ(笑)」とまるっと楽しんでくれるその笑顔のお陰で、私は安心してえび活を楽しめている。
今年で出会って11年。
未だに連絡はほぼ毎日のようにしているし、月に一回くらいのペースでは会っている。
それでも私は相方ちゃんに会う前日はいつもとても楽しみでたまらない。
そして会うと話が止まらない(笑)
大人になってからこんなに素敵な出会いに恵まれるなんて考えもしなかった。
大学の頃、ゼミの教授がよく“一生付き合える友達は学生時代の友達だ”と言っていた。学生時代にそんな友達に出会えなかった私は、大学を卒業する頃に自分の人生に落胆した記憶がある。
だけどいつどんな出会いがあるか分からない。諦めなくて良かった…。
相方ちゃんと出会ってから私の人生は本当に大きく変わった。
コミュニケーション力が低くて、ネガティブでどうしようもなかった私を励ましたり、諭したり、時には厳しく叱ってくれたり。
根気強く私に様々なことに気づかせてくれた。
その甲斐あって私は、自分の人生も悪くないと思えるようになった。ちょっとした出来事なら、あの時乗り越えられたから大丈夫と自分を信じてあげられるようになった。
11年は人生で見れば短い時間かもしれない。けれど私たちはとても特別で濃密な時間をたくさん共有してきた。
相方ちゃんと過ごした時間の中で得られたものたちが今の私の礎だ。
自分の人生で誇れるものは何もない。
容姿も、学歴も、仕事も、何も。
でも、相方ちゃんの存在だけは誇れる。
未来の旦那様より間違いなく大切な人だし、一番を譲れと言う人とは結婚しない。
私の人生で最大の幸福は相方ちゃんに出会えたことだと断言できる。
長生きはあまり望んでいないけれど、おばあちゃんになっても相方ちゃんとくだらないことで大笑いしたいという夢ができた。
それだけは叶えたい。
塚田僚一様。
お誕生日おめでとうございます。
私の一番大好きな友達は、いつも塚ちゃんのことを嬉しそうに話してくれるの。
塚ちゃんに悲しいことやツラいことがあると、自分のことのように怒ったり落ち込んだりもするんだ。
あまり感情の波が無い人だと思っていたのだけど、塚ちゃんに出会って友達の新たな一面をたくさん見つけることができたよ。ありがとう塚ちゃん。
いつだって太陽みたいな塚ちゃん。見ていると本当に元気が出る。たくさんパワーをもらっています。
でも塚ちゃんは本物の太陽みたいに影を作らない。それは塚ちゃんが本当に優しい人だからだと、私は思う。
優しくてパワフルで、時々やっぱりアウトな(笑)そんな塚ちゃんが大好きです。
新しい一年も塚ちゃんのお日様スマイルがピカピカに輝きますように。