資本主義ってしんどい 消費されるアイディア

資本主義は常に新しいことを求められる。そのスパンは近年どんどん短くなっています。しかも、歴史も長くなりすでに開発され尽くした世界に近付いています。そんな社会はしんどいですね。

資本主義社会は利益を追求しながら富んでいく社会。人類が新たな資源と価値を見出し続ければパイは大きくなっていきますが、ここまで文明が進んだ現代、そうそう新しいことなんてないです。つまり、実質的にゼロサムゲーム、椅子取りゲームになってしまうんですね。

椅子を取るためには常に他者より優位、消費者が良いと思って選んでくれるものを作り続けなくてはなりません。つまり、他者に抜きん出る「エッジ」が必要なんですね。頭ひとつ抜きん出るとなると凄まじい努力が必然的に要求されてきます。これが人々を疲弊させるものの正体です。常に頑張らなければ死、疲れちゃいますよね。

そこに拍車をかけるのは高度情報社会によるアイディア寿命の短縮です。皆が良いと思ったものはすぐ「バズ」り、瞬く間に広がっていきます。皆が一瞬にして夢中になるので、飽きるのも早い。結果的に画期的だったものはすぐ陳腐化するのです。
陳腐化してしまえば、また新しく画期的なものを作らなくてはならず、新しいものを考えるスパンが短いということはたくさんのアイディアを出さなければならないということになります。つまるところ、高度情報社会ではアイディアの賞味期限が短く、昔より新しいアイディアをより短いスパンで大量に作ることが求められているのです。
また、昔は情報の伝達速度・流通速度が遅かったので、遠くのマーケットでエッジを獲得しているものを模倣して自分のマーケット内では優位を得ることができました。しかし、今では地球の裏側の情報を瞬時に獲得でき、モノだって買えます。行くのもアマゾンの奥地とかサハラ砂漠の真ん中とかでなければ容易です。
資本主義は情報の不均衡が正常な競争、市場機能を妨げるとされてきましたが、不均衡ゆえ「しんどさ」は少なかったのかもしれません。

さらに「良いもの」を決めるのは他者なんですよね。自分が良いと思うだけではダメで、他者の評価を持って初めて資本主義社会で生き残ることができます。他人軸の評価が生存に繋がるので、生き残ろうとすれば他人軸を意識しなければならない。
よく「承認欲求モンスター」という言葉を聞きますが、ある種資本主義が生み出した病理なのかもしれません。

成長の限界点でどんな世の中になるか?人々は「諦め」を始めると思います。現にその動きが出てきています。アメリカでは大量退職時代、中国は寝そべり族。静かな退職なんて言葉もありましたね。
諦めが進めば、社会システムは回らなくなり経済成長も止まるでしょう。
成長が止まるだけならまだしも、富の再分配をうまく考えないと、世界のあちこちで暴動が起きたり、文明に絶望して生きることを辞める人々が増えて文明が無に帰るなんて最悪シナリオもあります。

頑張り続けても限界点の♾️に到達して仕舞えば、おしまい。その♾️が近づいた今、成長から維持への仕組みのシフトが求められていると感じます。人々の活動に値段を付けることを極力排斥することでしょうか。よく議論されるベーシックインカムはある程度値付け病を緩和してくれる制度となりそうです。試行段階ではありますが、尻を引っ叩かれて新しいものを生み、成長しなければならない社会システムからは解放される仕組みです。

余談ですが、ドラえもんで描かれる22世紀って私の仮説では人間は殆ど働いてないんじゃないかと思っています。ロボットを働かせてその富を皆で分け合っている。一応貨幣はあるようですが、それはロボットが作った富を皆が均等に享受できるための引換券のようなものなのだと思います。好きなだけ取っていいと言えば取り合いになりますからね。分け前は決まっているのでしょう。

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