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捨ててよ、安達さん。

テレビドラマを見なくなって久しかった私が今年どハマりした深夜ドラマ『捨ててよ、安達さん。』のDVD BOX発売日が近づき、「いやもうほら、ぜんぶ録画したんだし」と何度も自分に自重を促してはきたものの、テレビの宣伝番組でちらっとみた『特典映像』に矢も盾もたまらずポチってしまった私です。

奇跡のアラフォー、安達祐実ちゃんの日常っぽい姿を、プライベートビデオのようなタッチで捉えた映像を堪能できるだけでも至福ではありますが、これゲストのキャスティングも演出もストーリーも、実に非の打ちどころがない深夜ドラマの名作だった。

もちろんこのドラマがフィクションであること、安達祐実が「安達祐実」という役を演じる作品であるということを我々視聴者は知っている。その上でのさまざまな仄かしを本人がリアリティたっぷりに演じることで、虚構と真実の境界線をたくみに溶解させつつ、あくまでファンタジーですよ、というポーズをことさらに強調するシュールな演出で、フィクションの立ち位置をキープしつづけるという塩梅が、実に素晴らしかった。

相次ぐリアリティ番組出演者の自殺報道を見るにつけ、ああいう「若者の今とこれからの人生の安売り」で視聴率稼ごうという番組のディレクターは、『捨ててよ、安達さん。』の製作陣の爪の垢煎じて飲んだほうがいいんじゃないかと思うのですよ。

ドラマの中の安達さんを、我々視聴者はどこか本物の安達さんと重ねてみてしまうのだけれど、でも「すごくリアルなファンタジー」であるという大きな枠組みから逸脱することはない。我々があの番組を通して安達さんに好感を持ったとして、仮に彼女がそれを裏切る行為を行ったとしても、「まぁあれはドラマだったしね」という(当然の)感想をもって、我々視聴者の興味と関心は終わるだろう。

そういう「フィクション」の「ドラマ」に対し、素人さん(と称するセミプロタレントが出演者の大半のようだけど)が出演する多くのリアリティ番組では、虚構を「真実らしさ」で包みこんで現実と錯覚させる演出に重きが置かれる。視聴者の多くが演出のあるモキュメンタリーをドキュメンタリーと錯覚し、その誤解は番組放送中だけでなく、終了後も出演者を縛り続ける。たかだか3か月とか半年ぐらいのバラエティ番組のために、その後の人生ぜんぶ売り渡すようなものだ。

『捨ててよ、安達さん。』の製作陣は、これとは真逆のアプローチをとる。ファンタジーで包んだ内側に、真実はあるかも知れないしないかも知れないよーん、というふざけたポーズを維持したまま、「虚構のリアリティショー」としてのドラマで視聴者の感情を揺さぶり、女優・安達祐実を守ることの両立に成功している。フィクションの力とか、ファンタジーの力ってなんだろう、という問いへのひとつの明確な答えが、このドラマにはあると思う。

ワーキングマザーの葛藤とか、昔の恋の思い出とか、母子カプセル問題とか、仕事上の壁の乗り越え方とか、芸能界という特殊な世界に生きる安達さんに、現代を生きる女性の悩みの一つ一つを寄り添わせつつ、それを笑い飛ばして前を向く方法を教えてくれる、そんなドラマでもありました。

実際にどういう層が見てたのか知らないけど、子役時代の安達祐実を知らない人でも、多くの女性が自分を重ねて感情移入できる回が、どれかひとつぐらいはあったんじゃないかと思う。一話完結ながら、全体を通して大きなミステリーが少しずつ明らかになっていく構成も見事。最後までがっかりする展開がなくて、最終回は拍手したいぐらいでした。いいドラマだったなホント。

なお、私も紅生姜ならぬ岩下の新生姜は夜中にポリポリしたくなっちゃう人です。業務用の紅生姜買って冷蔵庫にストックしてるドラマの中の安達祐実ちゃんに、めちゃくちゃ親近感持ったのでした。

なお、断捨離には程遠いけど、私も少しずついろいろ捨てはじめていて、これは10年サイクルぐらいの何かの始まりだなーっていう気がしています。なんとなく。

https://youtu.be/CiWbRAv6XM0


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