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161230 徒然つぶつぶ草

大掃除を前に蕁麻疹を発症してしまい、近所の皮膚科を検索するも軒並み昨日までで終わっており、そらそうだよなと思いながら宅配の段ボール箱をガスガスと解体しながら1日が終わる。明日はもう大晦日なんである。

とはいえ田舎に帰省する必要もなく、年賀状からもおせち料理からも撤退した身としては、これといって焦る気持ちもなく「あー、この曜日の並びだとほんっと冬休み最短だな…」と思うだけ。帰省する人は、こう休みが短いと休んだ気にならないだろうなぁ。

休みになったらやろうとしていたことも読もうとしていた本もみるつもりだったDVDも、とにかく積み残しだらけなのだが、歳をとればとるほど「なにもかもを漫然と並行してやらないことには、一生かかってもなんにも成し遂げることは出来ない」という現実に呆然とするばかりだ。

もう少し若い頃には「これが終わったらあれをして」「ここが落ち着いたらこうする」的なシフトチェンジができるタイミングが人生の中で何度か訪れるものだと思っていたのだけど、現実はそううまくページをめくるように進んではいかないのです。そんなわけで、いろんなものを漫然と抱えながら生きていく。

…とかいう、それっぽく聴こえるが無駄なことをダラダラと買いているのは、要するに終わらない本棚の片付けに対する現実逃避なんである。

結局、積ん読半年以上になってる本は読まないんじゃないか、だったら始末して本棚の場所をあけたらどうだ、という私Aと、でもこの手の本はたぶん一度始末してしまったら絶版で手に入らなくなって、いざ読みたいと思ったら定価の五倍とかの値段で黄ばんだ古本を買う羽目になるのだ(そういう苦い経験は何度かしている…)、だったら家で少しでもよい保存状態で積んどけばいいじゃないか!という私Bが、本日脳内でずっと綱引きしているんです。

お洋服だとわりとサクサク始末できるのに、本に関しては断捨離道が遠い…。結局、最後までぽいぽいっと捨てられないものこそが、その人にとっての「一番大事なもの」ってことなんだろうなぁ。そう思うと、最近ちっとも本なんか読めてない気がするのに、やっぱり自分は本が好きなんだよなぁ、と思う。

父が買ってくれたボリス・ヴィアンのハヤカワの全集はたぶんもう絶版だから手放す勇気が出ないし、かれこれperfumeの「ファン・サービス」も暇な時に一気読みするんだー、とか思ってたら一年以上経ってしまった。アレクシェービチの「戦争は女の顔をしていない」は寝かせてるうちに次のノーベル文学賞が決まってしまった…

とはいえ、今の家に引っ越ししてから可能な限りの壁のある面には天井まである本棚をぶっこんでおり、これ以上やると壁がなくなってしまいそう。客観的に考えれば本なんぞ火事がくれば燃えてしまうし、あの世まで持っていけるわけでもないのだ。

というジレンマ解消のひとつの方法として今年から、きちんとした図書室がない息子の学校に、手持ちの本の中で若い人が読んだらいいんじゃないかなーと個人的に思う本を少しずつ寄付しはじめました。

寺山修司とか、高橋源一郎とか、中高生時代に夢中で読んだ本。でもあらためて眺めると、ああ、自分はそろそろいいのかな、って思う本も結構あったりして。

ただ捨てるのは心が痛いけど、いつの日かどこかの中学生や高校生が一人ぐらい、あ、これ面白いって思ってくれたらいいなぁ、と思いながら、見知らぬ子に手渡すつもりで寄付する本を選んでいると、手放すことが寂しくなくなる。

他の保護者にも呼びかけて手持ちの読み終えた本を持ち寄ってもらった結果、少しずつ本が増えてきた。きちんと図書分類とか出来てないけど、いつかもうちょい本格的になるといいなぁ。

はあ、もう少し本棚ダイエット頑張ろう。明日はミュージカル観にいくので残り半日、頑張りまっす。

#徒然つぶつぶ草 #2016 #本のこと


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