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山岸涼子氏『日出る処の天子』

私の好きな本、シリーズ。遂に漫画にも手を出しました。

先日、聖徳太子展に行って来ました。

漫画『日出る処の天子』の原画も展示してあり、久しぶりに読み返しました。

…深すぎる。そして、いろいろ考えさせられました。特に親子の関係に。

私の想いの前にまずは、あらすじをサクッと。


6世紀飛鳥時代の日本

幼い頃から神童の誉れ高い、厩戸王子(うまやどのおうじ:聖徳太子のこと)は、周囲からは尊敬の眼差しを受けます。しかし、母親(間人媛:はしひとのひめみこ)は彼の不思議な力に気付き、恐れて距離を置くように。愛情は、弟たちに向かいます。

そんな中出会ったのが、豪族蘇我氏の長男毛人(えみし)。毛人は厩戸王子に振り回されつつ、惹かれていきます。厩戸王子の不思議な力を見て、驚き恐れはするけれども、そばから離れません。

厩戸王子にとって毛人は、孤独を救ってくれるかけがえのない存在でした。
しかし、政治的な権力争いは次々と2人に困難を振りかけます。

子どもの頃は、厩戸王子と毛人の友情と愛情、そして別れを描いた作品だと
思っていました。
母親になって読み返すと、根底にあるのは息子と母親の関係だと気付きました。

物語の最初から、厩戸王子と母親の関係は破綻しています。厩戸王子は、母親に対しては憎悪と諦めの感情で、冷ややかな目を向けています。でも時折見せる寂しい横顔は、母親の愛情を受けたかったという想いで溢れています。

結局最後まで愛情は得られないまま。

私は子どもの頃も今も、この母親が大嫌いです。
私は長女だから、下のきょうだいだけをかわいがるの許せないと思いました。
母親になってからは、絶対こんな母親になりたくないという思いも加わりました。

厩戸王子は自分の力で、朝廷を意のままに操り、ときには残酷な行為もします。
私にはこれが、母親の愛情を得られなかった当てつけに思えました。でも、
全然満足していないんですよね。

少しでも間人媛が厩戸王子を受け入れていれば、変わったのかもしれないなと思います。

毛人とは悲しい別れで終わるけど、出会ったことで少しでも「世の中捨てたものじゃない」と思えたのかもしれません。ラストの厩戸王子は、「孤独な自分を受け入れる」というように感じたから。

とはいえ、母親になってみると、間人媛の気持ちも少しわかります。
わが子なのに、何を考えているか理解できない。どう接していいかわからない。誰でも経験ありますよね。
常に厩戸王子との関係に苦悩していたことは、救いです。

きょうだいの差別をしない。
子どものありのままを受け入れる。

親として心掛けていることですが、改めて大切にしたいと思いました。



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