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和樂webで掲載~東條英機を納得させた軍人。樋口季一郎は、ユダヤ人難民と北海道を守った。

和樂webで、私の記事が掲載されました。
1年前の2020年6月。同サイトで、ユダヤ人難民を救った外交官根井三郎について書きました。ちなみに、杉原千畝ではないですよ。


その際、知ったのは樋口季一郎。外交官でなく、軍人の立場でユダヤ人難民を救ったというのです。

杉原千畝→根井三郎が、ユダヤ人難民を救出したのが、1940~41年。樋口季一郎は、1938年。年も救出ルートも別なので、記事には触れませんでしたが、そのうち調べてみたいなと思いました。

2021年1月、「北海道に樋口季一郎記念館が開館」との新聞記事を目にしました。読んでみると、終戦後にも関わらず侵略しようとした旧ソ連から、北海道分裂を守ったとのこと(占守島の戦い)。これは是非記事にしたい!と思ったのでした。

記事作成にあたり、樋口季一郎記念館の館長さんにご協力いただき、写真の借用とコメントをいただきました。

この資料館は、樋口季一郎のご家族から写真や遺品などを寄贈されているという経緯があります。直系のお孫さんは、明治学院大学名誉教授の樋口隆一先生。音楽史がご専門ですが、祖父季一郎に関する著書もおありです。

館長さんを通じ、隆一先生(図々しい言い方ですが、紛らわしいのでお名前で)に記事を確認いただきました。

ありがたいことに、館長さんや隆一先生の思いの詰まった記事を書くことができました。
感謝しています。

タイトルに、「東條英機を納得させた」とありますね。ユダヤ人難民を救出したのは、樋口の独断。当然、問題になり当時の上司だった東條英機参謀長(後の首相)に、呼びされました。

そのとき、樋口は
「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで弱い物いじめすることを正しいと思われますか」
とキッパリ。東條は、その主張に耳を傾け不問にし、この問題は沈静化しました。

こういう人に私はなりたい(雨ニモ負ケズ風に)
「カミソリ東條」の異名をとった東條英機でしたが、話の分かる面もあったのだなと思いました。鬼舞辻無惨みたいでなくて良かった。

根井三郎の記事はこちらです。


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