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#永井隆

長崎原爆記念日によせて~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆

長崎原爆記念日によせて~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆

1945(昭和20)年8月9日、長崎市に世界で2例目の原子爆弾が投下。自身も被爆しながらも、救護を続けた医学博士永井隆(1908~1951年)の生涯を記事にしました。

2021年に執筆した記事ですが、長崎の原爆記念日によせて再掲します。
良かったら、お読みください。

執筆に当たり、長崎県出身の極真空手の先生に、地名などをたずねました(土地勘ないから)。
先生は、広島東洋カープの大ファンで、年に

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和樂webで掲載~医学永井隆の心に残る言葉

和樂webで掲載~医学永井隆の心に残る言葉

前回紹介した、長崎市で自ら被爆しても救護を続けた医師永井隆。長崎医科大学(現長崎大学医学部)の教授だったのですが、体調を崩して退職。その後子ども達2人を養うために、自宅で文筆生活を始めました。

※長崎平和記念像の後ろ姿。

雲南市永井隆記念館の館長さんのお話によると、永井博士は「筆まめ」だったそうです。学生時代から、故郷の友だちと手紙のやり取りを頻繁に行い、病床中のお見舞いには必ず返信をしていた

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和樂webで掲載~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆の人生

和樂webで掲載~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆の人生

1945(昭和20)年8月9日、長崎市に世界で2例目の原子爆弾が投下。自身も被爆しながらも救護を続けた医学博士永井隆(1908~1951年)の生涯を記事にしました。

永井博士の記念館は2か所あります。1つは医師になりその生涯を終えた長崎市。もう1つは、高校卒業まで過ごした島根県雲南市。雲南市の資料館が2021年リニューアルオープンをしたことを知り、興味を持ちました。

雲南市永井隆記念館の方には

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