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音楽と土地勘

クリープハイプとフジファブリックとキュウソネコカミを聴くと渋谷駅から当時働いていたライブハウスへ向かうあの道を思い出す。

この曲を聴くとあの場所を思い出す、あの当時を思い出す。逆に、この場所に来るとあの曲を思い出す。みなさんにもきっとこういった経験があおりかと思う。
専門学生だった19歳の時、研修で働いていた照明会社が渋谷のライブハウスの仕事を持っていたので3か月ほどほぼ毎日渋谷に出勤していた。
年末年始も成人式の日もひたすら照明器具をセットし、ピンスポットを振った。
当時は、付き合っていた彼氏や友人の影響と仕事場がライブハウスだったこともありJロックをよく聴いていた。あの時好きだった曲を聴くと毎日怒られてびくびくしながら出勤した日々を思い出す。冬の寒い空気と缶コーヒーの温かさも。

シドニーへ来て約3週間が経過した頃、アパートのオーナーから「3日後までに荷物をまとめてくれ」とのメールが来た。
同居人が移動したからだ。
私はスタジオハウスといわれる様式の部屋に日本人女性と2人で住んでいた。日本でいう1ルームに2人で住んでいるところを想像していただけると分かり易いかと思う。
早寝早起きの私と遅寝遅起きの彼女。生活スタイルが真逆すぎて向こうが耐えられなくなったらしく、気が付いたら荷物をまとめていなくなっていた。

挨拶もなしか・・・。子供じゃあるまいし・・・。(彼女と私は同い年)

と思ったが私も彼女の言動にモヤっとすることが多々あったので正直(ラッキー!)と思っていた。

がしかし、実質オウンルームとなった部屋を満喫して3日目に先ほどのメールがきた。うすうすこうなる展開も予期していたのでそこまで驚かなかった。荷物は少ない。40Lのバックパック1つと機内持ち込み可のキャリーケース1つで来た。少なすぎて恥ずかしいくらいだ。ワーホリで来ているひとはみんな70L以上あるキャリーケースを持ってるしなんならキャリーケースを2つ持ってきている人もいる。
がしかしここにきて荷物の少なさが功を奏した。急いでパッキングして手配してもらったタクシーに乗り新しいアコモデーションへ向かった。

そこは5分歩けばビーチに行ける素敵な場所だった。静かで住みやすく、ローカルのカフェやバーは居心地の良い活気に満ちていた。

(ラッキー!)

引っ越してすぐに通っていた語学学校がホリデー休暇に入ったため、毎日のようにビーチへ赴いた。
ちょうどこの頃私は「洋」の空気に浸り過ぎた反動で昭和歌謡にハマっていた。特に好きだったのが松田聖子の「青い珊瑚礁」だ。
ビーチへ向かうリゾート地のような街並みとそこから覗く青い海にピッタリの曲だった。

私は青い珊瑚礁を聴くとシドニーのCoogee beachへ向かうあの道を思い出す。

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