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海でスイム”オープンウォータースイム”の魅力。を、ビリっけつスイマーが書いてみる2

どこにもニーズがないことを分かりながら勝手にシリーズ化するのも筆者の自由!っつーことで、オープンフォータースイムの魅力その2、今日は私が死にかけた話を書いてみます!

オープンウォータースイムを始めるきっかけは、ワイキキラフウォータースイム、というレースの様子を自分ちのベランダから見かけたことだった。


ワイキキラフォーオータースイムというのはワイキキビーチの沖をこんな風にコの字型に横切って泳ぐ、約4キロのレースで、去年が50回目だったという歴史あるスイムレース。

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2017年、このレースのことを知らずにふと海を見たら、ワイキキビーチのはるか沖をありんこの行列のように大量の人が泳いでいたのである!


「わーなんか今日いっぱい泳いでる人がいるよ!?」と夫と調べてみたら、それがワイキキラフウォータースイムだったのだ。
「すごーい!私もいつか出てみたい」とまったく何の気なしに言ってしまったものだから、むかし水泳を子供に教えていたこともあるというスイム好きの夫の目が光った。

それまでも一緒にスノーケルやフィンをつけてその辺をぱちゃぱちゃするくらいはしていたのだが、そこから練習を開始した。

はじめたころの私の実力は、というとプールで50メートルくらいはクロールで泳げるけど、それでゼイゼイしてしまう喘息もち。
ビーチから沖に向かって泳ぎはじめて30メートルくらいで足がつかない深さになってくると、怖い怖い!帰る帰る!と夫に泣き言をいうダメ社員。

それでまずはスイムブイ、というスイム用の浮きを買った。

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練習を始めたばかりのころは、足のつかないところにいくのがとにかく怖かったが、このスイムブイを着けていると着けてないとでは安心感が全く違う。

でもレースに出るには、ブイなしで泳げるようにならないといけない。最初はブイを着けて泳く、それからブイなしでビーチからそれほど遠くないとこを横に泳いでみる、大丈夫だったら少し遠くまでブイなしで出てみる、とかいう練習を少しずつしているうちに、ブイなしでもなんとか大丈夫になってきた。

最初のころは200メートル泳げた!次は300メートル、とかいう感じで少しずつ距離を伸ばしていって、ものすごくよろよろだけど、なんとか1キロくらい泳げるようになってきた。

週末は夫と練習。平日の朝は、仕事前に浅いところで一人で練習とかを週3-日くらい続けていった。まじめに練習を始めてから5カ月くらいした2018年の夏。ハワイのスイムレースの一大イベントであるノースショアスイムシリーズがやってきて、初挑戦することした。

これは6-8月にかけて夏の波の静かなノースショアで行われる5戦のスイムレース。(ビッグウェイブのノースは冬の姿で、夏のノースショアはとても穏やか)2週おきの土曜日に、1.6㎞、1.9㎞、2.6㎞、3.0 ㎞、3.6㎞とどんどん距離が伸びていく。

夫は「全レースできなくてもいいし、やれるところまででいいから」と言ってくれた。まず1戦目の1.6㎞を頑張ろう、と。レース中もずっと私のすこし先を泳いでくれる。レースは男性が先にスタート、女性が5分後にスタートとなるので、夫は最初のブイのあたりで私を待っていてくれる。いつも、夫のアメリカ国旗がらのスイムキャップを見つけると安心した。本当は個人のエスコートをつけるのは禁止なのだが、夫も選手なのでギリギリセーフ。



ところで、オープンウォータースイムのお楽しみは何と言っても海の生き物たちとの出会い。海亀ちゃんはかなりの高確率で出会える。

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あとはマダラトビエイも何度か見たことがある。

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イルカちゃんも来たりする。 



レース中であろうと、どんくさスイマーたちは近くにいるスイマーに「ちょっと亀~見た?」「見た見た、カワイイ~」と話しかけて一緒にウォッチングしたりする。(オレたち、タイムとか関係ねぇし)



それで、だ。初年度、わたしは夫の予想を裏切り、ひいひい言いながらもなんとか5戦を泳ぎ切った!(頑張った)
もちろん、5戦とも常にびりっけつ組であった。
びりっけつ組がゴール地点につくころには、ゴール地点はだいぶもうお開きモードである。エリートや普通のスイマーたちはわたしたちよりも1時間以上前にゴールしていて、なんなら表彰式とかとっくに終わってたりする。

でも、よろよろなりに達成感をかみしめる。夫にも褒められた。


余談だが、びりっけつ組にも、いいことがある。私を含むびりっけつ組は、持ち場が終わってゴール地点に向かう全ライフセイバーさんたちがパレードのように手厚く周囲をガードしてくれるのである。さながら、ボディガードにがっちり護衛されコンサート会場入りする大物アーティストグループのように、ゴールに向かう。これはエリートスイマーの皆さんは知らないVIP感だろう。


それで、ノースショアの5戦を泳ぎ切れたので、出ることにしたのだ、冒頭のワイキキラフウォータースイムに。ワイキキラフウォータースイムはノースの5戦の総仕上げとも言えるハワイスイム界最大のイベントなのだった。

その頃にはさすがの私にもその意味や大変さが分かっていた。
マラソン大会では不調になっても走るのをやめればいいだけだけど、長距離のオープンウォーターは下手すると死ぬな、と。
(実際、たまにオープンウォーターのレースでは人が死にます・・・・)

3.8㎞と距離も長いが、何と言っても夏のワイキキは波が上がる。そしてこのコース、進行方向と逆の潮流がよく起きる。
でも、ここまで来たからには出ますとも!!と勢いで申し込み。

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特に最初コーナーを右折するあたりが、逆カレントが激しく、波も高く、ヤバいポイント。2018年もヤバかった。
ビーチから、最初のコーナーまでの距離は約700メートル。すでに20分以上岸から泳いで離れている。ここまでくると、海の底は青暗く、水温も冷たい。海の生き物やサンゴのように、心楽しくなるような景色もない。

700メートル沖から岸を振り返って見ると、もう砂浜は全く見えない。それどころか波の向こうに、見慣れたワイキキの高層ビル群の頭だけが、短く見え隠れしている。地球は丸い、ということを、つかまるものも何もない、大海原のど真ん中で、思い知る。よろよろスイマーには絶望的な眺めである。

とは言え、進むしかない、しかしなかなか進まない。逆カレントの中で必死に泳いでいると、大きい波が何本も入ってきた。自分の左から2.5~3メートルくらい高さの波が巨大な壁のようにせり上がってくるのが目に入る。

怖い・・・!!


私は大きな声で夫の名前を呼んだのだが、泳いでいる夫には聞こえない。夫が私から遠ざかっていく。

その時パニックアタックが始まった。
手足の先がスゥッっと冷たくなり、心拍数がトトトトトト・・・と上がり、息が吸えなくなり、視界が暗く傾いて、血の気が引いていく。

強い逆カレント。遠い岸。高い波。離れていく夫。

めちゃめちゃ死ねる条件がそろった。
生き物としては当然の反応だろう。

その間も波のなすがままに、上がったり下がったり大きく揺られつづけている。

夫が、遅れている私に気が付いて戻ってきてくれた。夫の腕につかまる。私がパニックアタックを起こしているのを見て、オレの目を見ろ、と言っているのに、夫の目を見ることが出来ず、迫ってくる波のほうばかりを見てしまう。夫が、ゆっくり息を吸って、止めて、吐け、と言っている。そうしようと思うのに、ぜんぜん息が吸えないし、吐けない。


そうしていると大波が少し落ち着いた。とりあえず、パニックアタックになっているときでも、平泳ぎなら何とか続けられるから、泳ぎだした。夫はここはカレントがきついから、クロールじゃないと進まないぞ!とアドバイスしてくるが、とにかく今は平泳ぎ。生きるために平泳ぎで頑張るんで、見逃してください!!

しばらく平泳ぎを必死で続けていたら、逆カレントの一番きつかったところをようやく抜け、少し心が落ち着いてきた。

夫が私の様子を見て、「やめたかったらやめてもいいよ、来年もまたあるよ?」と言ってきた。

しかし、どういうわけか、「...いや、わたし頑張る!!」と謎の負けん気が、とつぜん湧いてきた。まだ2.5キロ以上残ってるっつーのに。

ジェットスキーのライフセイバーが「おーい、そこのふたりー、だいじょうぶー?」とチェックに来た。魅惑的なジェットスキー。棄権したらこのジェットスキーにのって、2分後にはビーチなのに。

しかし、夫が私の意向を尊重して「大丈夫です!」と即答したので、棄権への誘惑の道は絶たれた。(やっぱり棄権しようかとほんとはちょっと思ってた)

それで、結局、3.8キロを2時間40分かかってゴールした。マイ「死闘」タイム。
ちなみに、ノースショアスイムシリーズの3.6キロが1時間45分だったので、一時間も長くかかった・・・・あとで夫に聞いたらパニックになって流されたりしてたところで軽く20分はロスってたそうだ。 

下世話な話で恐縮だが、この2時間40分のレース後にものすごい下痢をした。看護師である夫いわく、海水は塩分のせいで身体に全く吸収されないので、飲んだ分がそのまま出てくるそうだ。どれだけ飲んでたんだ、という話。

ゴールのヒルトンのビーチにたどり着いて、砂に足がついた時のうれしさよ。陸って素晴らしいな、と思ったよ。



1人だったらゴール絶対できてなかったから、夫に心から感謝。
ずっと近くで励ましてくれた。

いままでぜんぜんアスリートでもなく、レースにも一回も出たことがない人生でしたが、人生45歳にもなってこんなことも出来る!と思ったのはちょっとした自信につながった。

ということで、なんの役立つ結論もなく恐縮です。ながながと私の思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。

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