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49歳からの日々は、”めんどくさい”と”もっと世界を見たい”の間

note書かなきゃ、書かなきゃ、と思いながらもう2021年3月1日。最後に書いたのはいつだったか。

怖い。noteが無言でかけてくる圧力怖い。今年結婚しないと死ぬくらいに思ってる39歳くらい圧力かけてくるnote、怖い。 

そして、そうこうしているうちに、そしてコロナが流行ったり落ち着いたりしてるうちに、49歳の誕生日を迎えたのだった。

49歳におけるしみじみとか、図々しさとか、気分年齢と実年齢のズレとかは同世代とのトークでやるとして、ちょっと意外なことが起こった。

親友と妄想膨らまして、とある事業計画を書いた。親友がある新規事業コンテスト的なやつに応募しようよ、とそそのかしてきた。そそのかしてきた割には、わたしにかなり書類の作成を投げてきた。それは、まあいいとして、その事業計画が審査に受かってしまったのである。

後から考えるに結構な狭き門だったのだが。

12歳からの親友と、お互い社会人になってからの27年分×二人分=54年分の、気力とか、スキルとか、愛とか、ちくしょうムカつくとか、なんでこうなってんのとかを突っ込んで作った20何ページの企画書で、狭き門に体を、こうぐいっとひねってねじ込んだ。

人生、転換期って、来るときは来る。

てか来た。


49歳になると、ぶっちゃけ、足るを知る、ってことも分かってくる。
夫と二人、元気に暮らして、海で泳いで、それで十分じゃないか?と。
文句を言ったらバチが当たる。そうだけど。


だけど、どこかにあった「このままでいいわけ?」という気持ち。最後に手持ちのチップは全部、オールインしたいんだけど、というこの気持ち。



いまの正直な気持ちは「めんどくさい」と「世界をもっと見たい」の間。


だから、またやんなきゃいけなくなって、ちょっとウキウキしてる。

もう一回ゼロからかあ、っていうのと、またグワッとやったらなんか見えるでしょっていうのと、半々。



noteをはじめた時につくづく思ったのだけど、私は、いろんなことを知りたくて、見たくてって気持ちはめちゃくちゃ強いけど、教えたくて、シェアしたくてってのはめちゃくちゃ弱かった。だから、自分の人生ログ以上には、このnoteも続かなかった。どうしてもお伝えしたくて!とか、どんどんお教えします!という皆さんを尊敬した。


よく自分の人生を考えるにあたって、最後から逆算してみましょう、みたいな質問で、「自分のお葬式はどんなお葬式がいいと思いますか?」っていうのがある。どんな人がきて、どんな弔事を読んでほしいですか?とか。

記憶に残りたい、とか、たくさんの人がお葬式に来てもらって、楽しく送り出してほしいという人もいるとおもうけど、私の答えは、常に、雲散霧消系でお願いします、だった。できるだけ小規模に、みなさんには後日連絡でいいので、そっと退場する感じで、と思っていたし、思っている。


でも、自分で事業をやるということは、お伝えしたいことがあります!覚えてほしい!という発信なしにはできない。

私個人の性格とは切り離してでも、つくって進めて広げていかねばならんし、そうしたくなるような事業でなければ、きっとうまくもいかんだろう。


そういう全部をめんどくさい・・・・一人で本でも読んでたい・・・と思ってしまう気持ち。それが、これからの人生最大の敵。


請け負う側から、創る側に回る。


転換期が来たからには、受け止めようではないか。



奥田民生も、ここらへんでそろそろ僕がこの花を咲かせましょう、と言っていたではないか。

さすらおうこの世界中を、とも。 



世界は広いしね。


じゃ、みなさん、またね。  

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