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我が身を振り返る "傲慢と善良1/3"

自分に傲慢さを感じたことはありますか?

 辻村深月さんの小説「傲慢と善良」は、現代日本社会を鮮やかに切り取った傑作だと思い、これまでの流れとは異色ではありますが、yohaku Co., Ltd.の観点からも是非取り上げたいと思い、今日から3日間に渡り解説と考察をしていきたいと思います。小説の内容を解説していくというよりは、テーマである「傲慢」と「善良」について、あらゆる観点でいつものように考察をしていきたいと思います。

    <<<<<<<<<<   ここから一部ネタバレも含みますのでご注意ください   >>>>>>>>>>

婚活と自己評価、現代人の隠れた傲慢さ

 婚約者の失踪という衝撃的な出来事から始まるこの物語は、単なるミステリーを超えて、私たち一人一人の内面に潜む「傲慢さ」と「善良さ」を浮き彫りにしていきます。

特に印象的なのは、婚活における「ピンとこない」という感覚の描写です。婚活だけでなく、アプリによる恋愛などでも感じることがある感覚ではないでしょうか。結婚相談所の所長である小野里は、この「ピンとこない」の感覚の正体を「自分につけている値段」だと喝破します。この言葉は、私たち現代人の自己評価の難しさと、その背後に潜む無意識の傲慢さを鋭く指摘しています。自分の価値を高く見積もりすぎる一方で、相手への要求水準も高い。この齟齬が、現代の結婚難の一因となっているのではないでしょうか。

社会学者の山田昌弘は、その著書『パラサイト・シングルの時代』(1999)で、現代日本の若者の結婚観について以下のように述べています。

「現代の若者は、自分の価値を高く見積もる一方で、相手に対する要求水準も高い。この齟齬が、晩婚化や非婚化の一因となっている」

『パラサイト・シングルの時代』(1999)

この指摘は、「傲慢と善良」における婚活の描写と見事に重なります。架と真実の婚活経験を通じて、辻村は現代日本の結婚観の矛盾と、それが個人にもたらす葛藤を鮮やかに描き出しているのです。

さらに、この「ピンとこない」感覚は、単に結婚相手の選択だけでなく、私たちの日常生活のあらゆる場面に潜んでいるのではないでしょうか。この点が、今回yohaku Co., Ltd. でも傲慢と善良を取り上げた背景です。友人関係、職場での人間関係、さらには自分自身との関係さえもです。

私たちは無意識のうちに、自分や他者に「値段」をつけ、その「値段」に基づいて判断を下しているのかもしれません。この視点は、私たち読者に自己と他者との関係性を見つめ直す機会を提供してくれます。

例えば、主人公の"架"が婚活アプリを通じて出会った相手たちとの交流を描いた場面を取り上げてみます。彼は無意識のうちに、相手の学歴や職業、容姿などを基準に「値段」をつけ、自分との釣り合いを判断しています。しかし、そのプロセスで本当に大切なものを見落としてしまっているのではないか。辻村さんは、この描写を通じて私たちに問いかけていると感じられます。

また、架の婚約者である"真実(mami)"が結婚相談所を通じて出会った相手たちとの交流も興味深い描写です。彼女は「善良」であろうとするあまり、自分の本当の気持ちを抑え込み、相手の期待に応えようとします。しかし、そのような態度が逆に相手との距離を生んでしまう。この描写は、「善良さ」の裏に潜む自己欺瞞と、それがもたらす関係性の歪みを鋭く指摘しているように見えます。

こうした婚活を巡る描写は、単に結婚の問題にとどまらず、現代社会における人間関係の本質的な課題を浮き彫りにしています。人々は自己実現と他者との繋がりの狭間で葛藤し、その過程で自己と他者の価値を常に測定し、比較しています。しかし、そのような態度が逆に本当の繋がりを阻害してしまう。辻村さんは、この矛盾を鮮やかに描き出すことで、私たちに自己と他者との関係性を根本から問い直すことを促しているのではないかと考えられます。

家族関係と自立、過保護と依存の罠。

 "真実"と彼女の両親との関係は、現代日本の家族のあり方に一石を投じています。過保護な養育と子どもの依存。この構図は、多くの日本の家庭に見られるものです。「善良」であることを求められ続けた結果、"真実"は自立することができず、世間知らずのまま成長してしまいました。この描写は、私たち読者に「善良であること」の意味を問い直させます。

心理学者の河合隼雄は、日本の家族関係について次のように指摘しています。

「日本の親子関係は、西洋的な個の自立とは異なる形で発展してきた。相互依存的な関係性が、時として子どもの社会的自立を遅らせる要因となっている」

(『母性社会日本の病理』1976)

"真実"の家族関係は、まさにこの河合の指摘する問題を体現しています。過保護な養育と子どもの依存が、結果として真実の「善良さ」と「世間知らず」を生み出し、それが彼女の人生の選択に大きな影響を与えているのです。

例えば、"真実"の母親が娘の結婚に過度に干渉する場面を思い出してみましょう。母親の善意は疑いようがありません。しかし、その善意が逆に真実の自立を阻害し、彼女を窮屈な状況に追い込んでいきます。この描写は、ある意味独善的とも言える「善良さ」の名の下に行われる過干渉が、いかに子どもの成長を歪めてしまうかを鮮やかに描き出しています。

さらに、"真実"自身も「善良な娘」であろうとするあまり、自分の本当の気持ちを抑え込んでしまいます。結婚相手の選択や、キャリアの決定など、人生の重要な岐路において、彼女は常に親の期待を意識し、それに応えようとします。しかし、そのような態度が逆に彼女自身の幸福を遠ざけてしまう。この描写は、「善良さ」の裏に潜む自己否定と、それがもたらす人生の歪みを鋭く指摘している描写が多くあります。

日本社会における善良さと傲慢さとは

 こうした問題は、単に個人の問題にとどまりません。日本社会全体の問題でもあるのです。少子高齢化が進む中、親世代は子どもに過度の期待を寄せ、子ども世代は親の期待に応えようとする。この構図が、結果として若者の自立を遅らせ、社会全体の活力低下につながっているのではないでしょうか。辻村さんは、真実と彼女の家族の描写を通じて、この社会問題を鮮やかに浮き彫りにしているのです。

また、この家族関係の描写は、日本社会に根強く残る「家」意識の問題も浮き彫りにしています。「家」の存続や体面を重視するあまり、個人の幸福や自己実現が犠牲にされる。このような価値観が、現代においてもなお若者たちの選択を縛っているのです。真実の結婚に対する親の態度は、まさにこの問題を体現しているとも見えるでしょう。

さらに、辻村さんは"真実"の兄の描写を通じて、このような家族関係がもたらす別の側面も描き出しています。兄は家族の期待から逃れるように家を出て行きましたが、そのことが逆に"真実"への期待を高める結果となりました。この描写は、日本の家族における長子と次子以降の子どもたちの役割の違い、そしてそれがもたらす心理的影響を鮮やかに描き出しています。

このように、辻村は"真実"の家族関係を通じて、現代日本社会における家族の問題を多角的に描き出しています。過保護と依存、親の期待と子の自立、「家」意識と個人の幸福。これらの要素が複雑に絡み合い、個人の人生に大きな影響を与えている様子が、細やかな筆致で描かれているのです。

「建前」と「本音」の課題

 架の職場や友人関係を通じて描かれる「建前」と「本音」の二重構造。これもまた、日本社会に根強く残る特徴の一つです。表面的には円滑な人間関係を維持しながら、内心では違和感や不満を抱える。この状況は、多くの日本人読者にとって身に覚えのあるものではないでしょうか。

文化人類学者の中根千枝は、その著書『タテ社会の人間関係』(1967)で、日本社会の人間関係の特徴を以下のように分析しています。

「日本社会では、集団内の調和を重視するあまり、個人の本音が抑圧されがちである。この傾向が、表面的な「善良さ」と内面の葛藤を生み出している」

『タテ社会の人間関係』(1967)

架が職場や友人関係で経験する違和感や葛藤は、まさにこの中根の指摘する日本社会の特徴を反映しているといえるのではないでしょうか。

例えば、架が職場の同僚と接する場面を取り扱ってみます。彼は表面上は円滑なコミュニケーションを心がけていますが、内心では違和感や不満を抱えています。しかし、その本音を表に出すことはできない。なぜなら、それが「空気を読まない」行為とみなされ、人間関係を損なう可能性があるからです。この描写は、日本社会における「空気」の重要性と、それがもたらすコミュニケーションの歪みを鮮やかに描き出しています。(日本における「空気」については下記の著作がおすすめです)

また、架と彼の友人たちとの関係性も興味深い描写です。彼らは表面上は親密な関係を維持していますが、その裏には微妙な距離感や競争意識が潜んでいます。しかし、それを率直に表現することはタブーとされる。この描写は、日本社会における友人関係の複雑さと、そこに潜む「建前」と「本音」の乖離を巧みに表現していると考えました。

この「建前」と「本音」の二重構造は、日本社会の強みでもあり弱みでもあります。表面的な調和を重視することで、社会の秩序が保たれ、スムーズな人間関係が維持されます。しかし同時に、個人の本音や創造性が抑圧され、社会の活力が失われる危険性もあるのです。辻村さんは、架の内面描写を通じて、この日本社会の二面性を巧みに表現しています。

さらに、この問題は単に個人間のコミュニケーションの問題にとどまりません。社会全体の問題でもあるのです。「建前」を重視するあまり、社会の本質的な問題が見過ごされたり、必要な変革が先送りにされたりする。このような社会の姿が、架の職場環境や彼を取り巻く社会状況を通じて鮮やかに描き出されているのです。

また、本作品ではSNSや婚活アプリなど、現代的なコミュニケーションツールも重要な役割を果たしています。これらのツールは、人々の出会いや関係性を広げる一方で、新たな形の孤独や不安も生み出しています。社会学者のジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)は、その著書『リキッド・モダニティ』(2000)で、現代社会のコミュニケーションの特徴について次のように述べています。

「デジタル技術の発達により、人々は以前よりも容易に繋がることができるようになった。しかし同時に、その関係性は流動的で不安定なものとなっている」

『リキッド・モダニティ』(2000)

現代的なコミュニケーションに潜む傲慢と善良

 辻村さんは、架と"真実"のコミュニケーションを通じて、このような現代的な関係性の特徴と、それがもたらす心理的影響を物語を通じて巧みに描き出しています。SNSを通じて簡単に繋がれる一方で、その関係性の浅さや脆さに不安を感じる。相手の本当の姿が見えないまま、表面的な情報だけで判断を下してしまう。こうした現代的なコミュニケーションの課題が、架と"真実"の関係性の中に鮮やかに描き出されているのです。

例えば、架と"真実"がSNSを通じてやり取りする場面があります。2人は表面上は親密なコミュニケーションを取っていますが、その裏には互いへの不安や疑念が潜んでいます。しかし、SNSという媒体の特性上、それを率直に表現することは難しい。この描写は、デジタル時代のコミュニケーションの特徴と、そこに潜む新たな形の「建前」と「本音」の乖離を巧みに表現していえるのではないでしょうか。

辻村さんが描く更に深い描写

 さらに、婚活アプリ(マッチングアプリ)を通じた出会いの描写も興味深いものです。アプリ上では理想の相手を求めることができますが、実際に会ってみると思っていた通りではない。この落差が、新たな形の孤独や不安を生み出しています。辻村さんは、このような描写を通じて、デジタル時代の人間関係の脆さと、そこに潜む現代人の孤独を鮮やかに描き出しているのです。

これらの描写を通じて、辻村さんは私たちに深い問いを投げかけています。あなたの「善良さ」は、本当に善良なのでしょうか。それとも、単なる自己満足や、社会的期待に応えようとする傲慢さの裏返しなのでしょうか。私たちは無意識のうちに、自分の価値を過大評価し、他者を判断してはいないでしょうか。そして、その判断の基準となっている「善良さ」とは、果たして本当に正しいものなのでしょうか。

例えば、架が自分の行動を「善良」だと思い込んでいる場面を考えてみましょう。彼は表面上は周囲に配慮し、円滑な人間関係を維持しようとしています。しかし、その裏には自己満足や優越感が潜んでいないでしょうか。また、"真実"の「善良」な態度も、実は周囲の期待に応えようとする過剰適応の結果かもしれません。辻村さんは、このような描写を通じて、「善良さ」の本質とは何かを問いかけているのです。

さらに、この問いは個人の問題にとどまらず、社会全体の問題でもあります。日本社会が大切にしてきた「和」の精神や「思いやり」の文化。これらは確かに美しい価値観です。しかし、それが行き過ぎると、個人の本音や創造性を抑圧し、社会の停滞を招く危険性もあります。辻村さんは、架や"真実"を取り巻く社会の描写を通じて、このような社会の二面性を鋭く指摘しているのです。

幸せをどう定義するのか

 また、この作品は現代日本社会における「幸せ」の定義についても問いかけています。結婚、キャリア、家族関係。これらの要素が「幸せ」の基準として社会的に設定されていますが、果たしてそれは本当に個人の幸福につながるのでしょうか。架と"真実"の葛藤は、まさにこの問題を体現しています。彼らは社会的に「正しい」とされる選択をしようとしますが、それが必ずしも彼ら自身の幸福につながらない。この描写を通じて、辻村さんは私たちに「幸せ」の本質について考えることを促しているのです。幸せについてはこれまで沢山書いてきたので是非参照してください。

 さらに、この作品は現代社会における「自己実現」の難しさも描き出しています。架も"真実"も、自分の本当の願望や才能を見出し、それを実現することに困難を感じています。これは、現代社会が個人に求める「自己実現」の圧力と、それを阻害する社会的制約の矛盾を表現しているといえるでしょう。社会学者のアンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)は、その著書『モダニティと自己アイデンティティ』(1991)で、現代社会における自己実現の問題について次のように述べています。

「現代社会は個人に自己実現を求める一方で、その実現を困難にする構造的な障害も生み出している」

『モダニティと自己アイデンティティ』(1991)

辻村さんは、架と"真実"の葛藤を通じて、このような現代社会の矛盾を鮮やかに描き出しているのです。

傲慢と善良と、緩慢さ

 「傲慢と善良」は、個人的、社会的に複雑な問題を、架と"真実"という二人の若者の物語を通じて描き出しています。彼らの葛藤や成長の過程は、単に個人の物語にとどまらず、現代日本社会の縮図としての側面を持っているのです。婚活、家族関係、職場での人間関係など、現代の若者が直面する様々な問題が織り込まれており、それらを通じて社会全体の問題点が浮き彫りにされています。

社会学者の大澤真幸は、現代日本社会における個人主義の特殊性について、以下のように指摘しています。

「日本の個人主義は、集団への帰属意識と矛盾しない形で発展してきた。この特殊な個人主義が、現代日本人の自己認識や人間関係に独特の影響を与えている」

(『不可能性の時代』2008)

辻村深月さんは、架と真実という2人の物語を通じて、このような現代日本社会の特殊性と、そこに生きる個人の葛藤を鮮やかに描き出しているのです。

最後に、本作品の最大の魅力は、これらの重いテーマを、読者を引き込むストーリーテリングで描き出している点にあります。失踪ミステリーという枠組みを使いながら、登場人物たちの内面の変化を丁寧に描写し、読者を物語の世界に引き込んでいきます。そして、その過程で読者自身の内面をも揺さぶり、自己と社会との関係を見つめ直す機会を提供している素晴らしい作品だと感じています。

現代日本社会を生きる私たちに、鋭い問いを投げかける作品として、今日は「傲慢と善良」を紹介しました。それは時に不快で、時に痛みを伴うものかもしれません。しかし、その問いに向き合うことで、私たちは自己と社会との関係をより深く理解し、より豊かな人間関係を築いていく可能性を見出すことができるのではないでしょうか。辻村深月さんの鋭い洞察と巧みな筆致が、その道筋を示してくれているのです。

明日は視点を変えて、「時間の操作と過去と現在の交錯」といった小説のギミックについて掘り下げていきます。辻村深月さんがどのようにして過去の出来事と現在の出来事を巧みに織り交ぜ、物語にさらなる深みと奥行きを与えているのかをご紹介します。

登場人物たちの過去がどのように彼らの現在の行動や心理に影響を与えているのか、一緒に探っていきましょう。次回もどうぞお楽しみに。


先日、焚き火をしながら読んだ本の一つが「傲慢と善良」です。傲慢と善良を読みながら、必要なことは「緩慢さ」ではないかなぁと考えていた筆者です。気になる方は是非手にとってみてください。

(yohaku Co., Ltd. のnoteを書いている片割れの記事です)



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