我慢の限界(僕が失明するまでの記憶 9)

 3年生になってクラス替えが行われたとたん、女の子たちにかかっていた魔法は跡形もなく消え、僕は不器用で口下手な、風采の上がらない男子に成り下がった。その一方、いじめは過激さを増した。粘り強く耐えはしたが、給食のシチューを頭からかけられたときの屈辱とやるせなさは今なお忘れることが出来ない。周囲の子供達はおろか、担任はいったい何をしていたのだろう。

 転入してきたばかりの新米教師は、若い女の先生とあって最初こそ子供達に喜ばれたが、力になってくれるどころか、満足に授業ができないことを父母から指摘されている有様だった。教科書を使わず、オリジナルのプリントで命の誕生について語りだすような授業が続けば(どうやらご本人は妊娠していたようだった)、さすがに子供達もおかしいと思ったに違いない。担任がこれではクラスが制御を失い荒れだすのも推して知るべしだった。

 親にも担任にも、誰にも頼れぬまま我慢の限界が迫っていた夏休み前の土曜日、体に異変が起こった。授業が終わって家に帰る道すがら、左目の見え方がいつもと違うことに気付いた。視界の左上が暗く何も見えなくなった上、見えている部分にも赤黒い不吉な粒がいくつも浮かんでいた。何度となく瞬きをして空を仰いだが、見え方に変化はなかった。気のせいでない、明らかな異常事態だった。

 家の近くの小さな眼科で診察を受けると、斜視や近視のように子供がなる病気ではない、大きな病院で診てもらうようにと、紹介状を渡された。心臓の病気で定期的に検診を受けていた駅前の大学病院に行くと、すぐに手術が必要だと診断され、入院することになった。前年に発症した心臓の病気は定期的な検査で経過観察すればよかったが、予想もしない「入院」「手術」「緊急」という言葉にはただならぬ気配を覚えた。それでも心臓に比べれば生命と直結しないこともあってか、不思議と怖さはなかった。目にいいらしいと言ってブルーベリーを買ってきた母が、的外れにのんきに映った。