最後の戦い(僕が失明するまでの記憶 25)

 この夏は大きな台風が連続して日本列島を襲った。しかし病室は常時快適な空調が効いていた上、もはや窓外の景色を目で見て確認することができなかった僕にはまるで実感がなかった。

 治療は続く。しかし、もうすぐ見えなくなるかも知れない。宙吊り状態の日々は確実に僕の神経を擦り減らしていった。そんな折、9月にまた手術をすることが決まった。

 今以上に見えるようになる可能性がいったいどれだけ残されているというのだろう。手術によって齎される心身の負荷を思うと気が重かった。試合は最後まで分からない。確かに野球なら、サッカーやラグビーとは違い、どんなに点差が離れていても、理論的にはひっくり返すことができる。事実、めったに起こらないことが起こることもある。しかし、奇跡はそう簡単に起こらないから奇跡なのだ。

 極限まで追い詰められていた僕は、半ば投げやりに自らの行く末を成り行きに任せた。どうなるにせよ、これが最後だ。これで全てが終わるのだ、と。