もっちゃん

その日は仕事も終わり帰りの電車に乗っていたところだった。
Twitterや動画を見ていたら1通のLINEが。
「飯でも飲みでもいいからちょっと行かない?」
同期のもっちゃんからだった。もっちゃんとは同期の中でも最後に仲良くなった男だが、今では一番仲良い同期である。
私が自粛していることを知っているので、それを理解した上で声をかけてくれたんだなと思い、「30分程度になっちゃうけど、、、」と申し訳ない気持ちを含みながらLINEを返すと承諾してくれた。良い人だ。

カフェで合流すると、お互いの近況を話し始めた。私はギターを始めたこととnoteを使ってエッセイを書き始めたこと。もっちゃんは最近引っ越したこと、最寄りの駅が発展してて興奮したこと。そしてお互い仕事に不満がないということを共有し合い、平和な日々を過ごしていることがわかるとお互いに「良いね」と言い合った。

この1年を振り返るとお互い大きな事件も起きず平和な1年であったが、物足りなさを感じる1年でもあったなと共感した。私ももっちゃんもインドアな趣味があるので家で過ごすことは苦にはならない。でもふたりともアウトドアな一面もあるので、休日に旅行や遊びに行けなかったことに不満を抱いていた。

すると、もっちゃんは突然
「さっきすれ違った女の子のパイスラを見て、生を感じた。」
と言った。思わず笑ってしまった。実は私ともっちゃんは去年まで2ヶ月に1回程度飲みに行き、身近にあったエロいこと、AVの話、しょうもない下ネタなど、他では絶対できない話を包み隠さず真剣に話し合う「定例会」をしていた。定期的に会って内容のしょうもなさに爆笑しあうその会はどちらかが嫌なことが続いたときや落ち込んだときなどに呼び合い、元気をもらうといったものだった。今年はその会を全く出来なかった。きっともっちゃんは久々にその「定例会」をしたかったのだろう。しょうもないことで笑い合いたかったのだろう。(ちなみに、この定例会で話される「エロ」は”素晴らしいもの” ”素敵なもの”という思想がお互い前提として根付いている、極めて神聖なものだ)

その後お互い少しパイスラについて話した後、
「生きることはくだらないことで笑えばいいから、浅く考えるべき。死ぬことは、自ら選ぶような人生にしちゃいけないし、笑って過ごすべきだから深く考えるべきだ。」
という答えにたどり着いた。
「生きることは浅いこと。死ぬことは深いこと。これは人生において重要な考え方だな」と笑いながら、もっちゃんと私は再会することを約束し、帰路に向かった。やっぱりもっちゃんは良い人だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?