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2021年5月ブックカバーチャレンジ2日目『歴史と統計学』

『歴史と統計学』竹内啓著

ブックカバーチャレンジ2日目に紹介する本は統計学の本なのですが、かなり異色の本です。そもそも統計というものが一番に必要とされたのは行政でも軍事でもなく、博徒であったという当たり前といえば当たり前の話。プロのバクチ打ちは稼いでナンボ。絶対に釘が閉まっていて勝ち目なんかない自粛要請中のパチンコ屋なんか行かないという経験値こそ統計で得られた知見そのもの。出発点は賭け事から始まり学問に昇華するまでの歴史を書いている本ってだけでも面白いです。
 統計が学問となったのはペストの大流行が収まり、大航海時代の幕開けとなり、奴隷貿易が始まった17世紀。政治算術、国情論、そして確率論の3つが統計論の源流だと言う。確率論は現代でも知られた博徒御用達の理論だが、政治算術と国情論は淘汰されてしまった。政治算術と国情論はルターの宗教改革による混乱、スペイン無敵艦隊の敗北による政治均等の変化、30年戦争といった大混乱の中で生まれた。淘汰されたが現代で言う経済学として生き延びてはいる。このころ出てきた言葉に「国富」とは何か。「富国強兵」という考えはこの当時に生まれた概念で、何を持って富国と言うのかという問題意識が統計を作ろうという流れになった。

政治算術には名付け親がいる。ウイリアム・ペティ(1623-1687)という優れた科学者であり医者でもあった。イングランドの織元の子として生まれ、数学と実用幾何学と天文学を学び、商船のボーイとなりフランスに渡りデカルトと親交となり内乱の収まったイングランドに戻ってオックスフォード大学の改革をゆだねられた。
その後クロムウェル政府によってアイルランド軍医監を任じ、クロムウェルの遠征軍がアイルランドの反乱を鎮圧して没収した土地の処分が問題化した時、ペティが測量して地図を作れば良いと進言して実行された。クロムウェルが死んで政権が倒れるとペティは地位を失いロンドンに戻った。
既に名士となっていたペティはニュートンと共に「ロイヤル・ソサエティ」創立者の一人となった。その後再びアイルランドに渡り事業を興したが必ずしも成功はしなかった。その後ふたたびロンドンに戻り亡くなるが、政治算術という書は没後に出版された。単に波乱に満ちた立身出世の物語なのだが、これが経済学の源流だと同書で紹介されていた。統計学の源流とは数学ではなかった。

私も数学というものは苦手で学生の頃は本当にイヤでした。でも気がつくとこの統計学のお世話になる事が多く、まぁ世の中はあらゆる物に統計という手法が、物事を見える化するものだと。例えば手取り収入に対する住民税の変化をグラフ化し、都政の動きをグラフに載せると、東京オリンピック誘致後に極端に都民税が上昇したとか・・・・。
 昨今では新型コロナウイルスの話題で様々な統計が出回り、しかも一つの統計に対して解釈がいく通りも出てくるなど日々、統計に振り回される事態に。
 こんな時だからこそ、『歴史と統計学』いかがですか。

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