見出し画像

【座右 #7】永代供養という選択

昨年12月23日、庵忠名人から「私のターニングポイント」をテーマとした “清水カップ” なるものが提唱され、そのルールは拙者の名前 #清水のぼる をタグ付けする、なんて企画が...(汗)
そんな、逃げ出したくなる状況から、ササッと身を隠そう。 (/_・;)/

と、思った翌朝。
義父の死に遭遇したのでありました。

- - -

12月24日 5:30AM。
第一発見者である私は、まず父の体温や脈を診る。
既に心肺停止後2~3時間は経過したと思われる「死後硬直」の進行を確認。
本来であれば、救急車に同乗し現場検証に立ち会わねばならない状況だが、仕事を休む訳には行かず、それらを妻に一任して、その日は職場に向かった。

12月27日(大安)
よく晴れた日曜日。
現禍という状況も踏まえ、葬儀は近親家族のみで、ひっそりと執り行われました。

- - -

今年の正月は訪れる人も無く、夫婦二人でこれからのことをじっくりと話し合いました。
亡くなった義父は、先立った妻の墓へお骨を納めることになりますが、私達はそれぞれが次男次女であるため「自身の入るお墓」はありません。

二人の共通した考えは「子供達に迷惑を掛けたくない」ということです。
残してあげられる財産も無いが、お墓の供養などの負担も残したくない。

そこで、以前から考えていた「永代供養」の手続きを選択しました。

1)永代供養とは

様々な事情でお墓参りができない人に代わり、寺院や霊園が遺骨を供養してくれる仕組みのことです。
近年の少子高齢化により後継者がいない、高齢でお墓参りができない場合に、寺院や霊園が管理や供養をしてくれる埋葬方法ですが、よく考えてみると「管理」という言葉がある以上、そこには「費用」が発生します。
そこで、生前に全ての「必要経費」を支払い、子孫に負担を残さない手段による、樹木葬(じゅもくそう)の永代供養を選択しました。

2)樹木葬とは

樹木葬は、墓石の代わりに樹木を墓標とする墓のことで、墓地として許可を得た場所に「埋める」ことで合法的な埋葬法となります。
同じく、遺骨をお墓以外に埋葬する方法として「散骨」がありますが、地域の条例によっては「死体損壊・遺棄罪」に問われる場合があります。

今回、私達はこの樹木葬の場所を購入し、その後の管理費も掛からない方法で埋葬する契約をしました。
墓石の代わりに、石に名前などを刻んでモニュメントを置くことで、子供たちがお参りに来てくれた時に、それが標(しるべ)となります。

画像1

3)墓に入るとは

さて「墓に入る」とは、どういうことでしょう?

端的に言えば、墓地埋葬法に基づき火葬して遺骨をお墓に納める行為、そのものです。

ここで、「千の風になって」の原曲の一節をご紹介します。

Do not stand at my grave and weep. 私の墓の前で泣かないでほしい
I am not there; I do not sleep. 私はそこにはいない 眠ってはいない
I am a thousand winds that blow私はそよ吹く千の風
I am the diamond glints on snow, 雪上のダイヤモンドの煌めき
I am the sun on ripened grain, 穀物に降り注ぐ太陽
I am the gentle autumn rain. 優しき秋の雨

私は、以前から「墓に入る」という言葉に抵抗感(嫌悪感)がありました。

死んだら、こんなうす暗い墓の下に、埋められてしまうのか...

だったら、毎年花の咲く樹木の下で、子供達の笑い声を聞いていたい。

4)大河の一滴

死んだらどうなるのか?

これは、あのお釈迦様でも「分からない」と仰っています。

以下は、作家:五木寛之の『大河の一滴』の一節です。

人はみな大河の一滴である。その流れに身をあずけて、海へと注ぐ大河の一滴が私たちの命だ。私たちの生は、大河の流れの一滴にしか過ぎない。しかし無数の一滴たちと共に大きな流れを成して、また海へと注がれるのだ。

出会い。
そして、別れ。

人生には、様々な意味での「ターニングポイント」があります。
人は、いつかどこかで「川の流れを変える必要がある」と思っていました。

しかし、その流れを恣意的に変えることが、良いことなのか、どうなのか。

- - -

今はただ、大河に身を委ね、
ゆっくりと、考えてみたい...

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?