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長く飛ぶコツ、それは上昇し過ぎないこと

春は調子がいい

ここ数年、自分の体の調子や気分を記録し続けてきて気づいたこと。そして最近の自分の様子を見てもそう感じる。生まれた季節だからか(自分の誕生日は春)、暖かいからかはわからない。春に調子がいいと、新生活を楽に迎えられるというメリットがある。新しい場所での人間関係も良好だし、引っ越してきた慣れない土地でも楽しく過ごせる。今までがそうだった。4月から学校や会社が始まる日本で暮らすには、とても都合のいい体である。

なんらかの新しいことに手を出すのも、いつもこの時期だ。寒暖差や、新生活で疲れ気味な周囲の人々を傍目に、やけに活発に動き回る。大学に入学した当時はたしか、誰よりも早くバイトを始め、お金もないのに東京に遊びに行ったりしていたし、最近だと昨年は、就職活動をしながら、大学で研究をしながら、各地に旅行をしながら、ギターを始めてみるなどしていた。


そして夏頃に疲れてダメになる

これも最近の傾向である。ここ数年の夏が暑すぎるせいと、僕の体力が落ちてきたせいじゃないかと考えているが、それだけではないと思う。数年前、感染症の拡大による自粛期間で春に活動を抑制された年があった。その時はむしろ夏に元気になった覚えがある。春先の自粛期間の影響もあって、進路の変更を余儀なくされたため、進学のための試験対策や研究活動に勤しむこととなった。大学に本格的に通えるようになった6月ごろから徐々にギアを上げて、お盆休みも返上で(どうせその当時は帰省できる状況じゃなかった)大学にこもって活動していた。この記事の本筋には関係ないが、その当時はしんどくも、とても楽しかったのを覚えている。そしてその年は、秋頃からダメになっていった。

ダメになる、という表現はここでは以下の意味を持つ。まず体調がおかしくなる。いわゆる自律神経の失調というやつで、動悸がしたり、体温調節ができなくなったりする。夜眠れず、朝も起きられない。次に精神面でも不調を来す。これは体が健康でないために起こるものだとわかってはいるのだが、実際にその状況になると、自分の心がどうかしてしまったのかと思ってしまう。春までの活動量が維持できなくなり、その事実にまず落ち込むし、頭にもモヤがかかるような感じで思考もクリアじゃなくなる。人と会うのも億劫になる。僕の好きなことであり、得意だとも思っていることは、”考えること”なので、これができなくなることは悲しい。こうなっても、バイトに行ったり、たまに友人と会ったりという普通の生活は送ることができる(研究室での活動には厳しいものがあったが)。そしてこの状態が数か月間続き、たいていは秋から冬にかけての寒くなる時期に緩和し、そして春にはまた元気になる。こんな感じの気分の上がり下がりを、ここ数年は毎年体験している。


コンスタントに楽しくいきたい

上記の”ダメになる”状態を避けるために、例えば夏に向けて体力をつけるとか、ダメになった時に備えて春に意図的にたくさんの人と繋がりを作っておくとか、今までも対策はしてきた。そのどれも一定の効果は上げてきた。しかし今年は趣旨を変えて、春時期の活動量を意識して落としてみることにする。具体的には、久々に会う人との遊びは月に2回まで、新しいことを始めるときはひとつずつ、毎日6時間は寝るといったルールを設定する。今までは、活動的に動くだけ動いて、ダメになったらそれはそれで、という感じでなんとかしていた。ただ今年からは、平日に昼まで寝てから動きだしたり、しんどい時はサボりまくったりというのがちょっと厳しそうである。友人からは(おそらく)冗談で社会不適合者なんて言われたりもするが、それは僕が一応社会に適合しているうちにおいてのみ、冗談として効果があると理解している。

それにこうやって記事の投稿を続けたり、本を読んだり、映画を観たり、それらを楽しめる状態を持続したい。つまり思考をクリアに保ちたい。元気な時期にいろいろやれるといってもできないこともある。それは時間をかけて考えるということ。限定された期間だけでなく、より長い時間いろんなことを考えるために、今年の春は、落ち着いてゆったりとした一人の時間を多めにとって生活している。


ソフトランディングを目指して

最近読んだ本で、気分の浮き沈みが激しくそれが病気と認定された人々の話があった。あえて病名は書かない。体調や気分の波というものは人間には必ずあるし、それの度合(波でいうと振幅)が小さい人もいれば、大きい人もいるだろう。それだけの話だ。当事者からすればそう簡単ではないだろうけど。それに、活動の量に波があり、揺らいでいるということ、それこそが生きているという現象の本質であるとも考えている。これは僕がここ数年追究しつづけていることのひとつであるので、いずれは形にして世に送り出したい。まとめるのにはもう数年かかりそうである。

話を戻すと、その本では気分の浮き沈みがある人々のことを、海中で浮上、沈降を繰り返すオウムガイになぞらえて”ノーチラスな人びと”と呼んでいた。言葉の力ってすごいなと改めて感じた表現である。本の後半では、ノーチラスな人びとが書いたエピソードや所感が載っていた。その中に、”自分は今、気分が上がっている状態である。それを把握している。ここからのソフトランディング(軟着陸)を目指す”というような記載があった(これは正確に引用したいのに記憶が曖昧で申し訳ない)。飛行機や宇宙船が好きで、さらに自身もノーチラス気質な僕に、この表現はとても刺さった。こんな表現ができるように日々精進したいものである。なおのこと、ほどよく健康な身体と、ほどよく冴えた頭を保って、文章を書き続けていきたい。

それでは、また。

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