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祖父「稲吉百歳」(ふたたび)03
祖父の事をブログに書いてから4年も経ってしまった。
バタバタとした日が続き、手をつけられないままでいた。
コロナのおかげ(?)で時間ができて、ふたたび調べ始める。
今まででわかったのは祖父の所属部隊(兵站部隊の所属で後方支援部隊か)まで。それをもとに
国立公文書館のアジア歴史資料センターのデジタルアーカイブを調べたり
靖國偕行文庫にて当時のビルマの日本軍の進軍ルートが分かるものの
祖父の亡くな
祖父「稲吉百歳」(調べはじめ)02
今日は71回目の終戦の日。
戦争で亡くなられた方々の魂やすらかなることを
心よりお祈り申し上げます。
祖父の消息をたどる手掛かりは
当初母の本籍地の戸籍謄本のみ。
祖父の父(曾祖父)までわかりますが、兄弟の消息までは
わかりませんでした(又従姉妹が私の親の世代!&しかも昭和32年で本戸籍消除)。
何か情報を掴めると思ったんですがね。
役所に問い合わせて知ったのですが、戸籍謄本を取れるのは直系の
祖父「稲吉百歳」(きっかけ) 01
母方の祖父「稲吉百歳」。
先の大戦でビルマ(ミャンマー)で戦病死しました。享年30歳。
親の願いが込められた「百歳(ももとし)」という名からすると、あまりにも短い一生でした。
亡くなったのは終戦直前の8月11日と戦没者調査票ではされていますが
定かではなく、陸軍兵籍簿では7月27日になっています。
亡くなった場所も「テンゼイク村東方1km地点」とされているだけで、遺骨も未だに戻ってきておりません