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写真を生業としています。料理・インテリア・建築・旅などライフスタイルに関わる分野を撮影しています。 写真家のHP http://briansawazaki.com 建築インテリアのHP https://www.sawazakiphotography.com

最近の記事

祖父「稲吉百歳」(ふたたび)03

祖父の事をブログに書いてから4年も経ってしまった。 バタバタとした日が続き、手をつけられないままでいた。 コロナのおかげ(?)で時間ができて、ふたたび調べ始める。 今まででわかったのは祖父の所属部隊(兵站部隊の所属で後方支援部隊か)まで。それをもとに 国立公文書館のアジア歴史資料センターのデジタルアーカイブを調べたり 靖國偕行文庫にて当時のビルマの日本軍の進軍ルートが分かるものの 祖父の亡くなった地点まではわからず、、。 現地で臨時召集されたのが昭和20年3月末。 終戦

    • 祖父「稲吉百歳」(調べはじめ)02

      今日は71回目の終戦の日。 戦争で亡くなられた方々の魂やすらかなることを 心よりお祈り申し上げます。 祖父の消息をたどる手掛かりは 当初母の本籍地の戸籍謄本のみ。 祖父の父(曾祖父)までわかりますが、兄弟の消息までは わかりませんでした(又従姉妹が私の親の世代!&しかも昭和32年で本戸籍消除)。 何か情報を掴めると思ったんですがね。 役所に問い合わせて知ったのですが、戸籍謄本を取れるのは直系のみなんですね。 ここでわかったのは出生地と生年月日、そして亡くなった日付と場所

      • 祖父「稲吉百歳」(きっかけ) 01

        母方の祖父「稲吉百歳」。 先の大戦でビルマ(ミャンマー)で戦病死しました。享年30歳。 親の願いが込められた「百歳(ももとし)」という名からすると、あまりにも短い一生でした。 亡くなったのは終戦直前の8月11日と戦没者調査票ではされていますが 定かではなく、陸軍兵籍簿では7月27日になっています。 亡くなった場所も「テンゼイク村東方1km地点」とされているだけで、遺骨も未だに戻ってきておりません。 母が長崎で生まれた時には祖父は既に長崎を離れていたようで、そのまま会うこと

      祖父「稲吉百歳」(ふたたび)03