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『タイパの悪いこと』(『ないおん』2023年3月号掲載)

 数年前、誕生日プレゼントでコーヒー豆をもらいました。それから、家にあった古いミルで豆を挽き、コーヒーを淹れるようになりました。

 ミルで豆を挽くと、豆を砕く感覚が手から伝わってきます。カリカリ、コリコリ。挽きたての豆にゆっくりとお湯を注ぐと、大きく膨らんで、呼吸をしているかのようになります。モコモコ、ポコポコ。
 お湯を沸かすところから始めて、コーヒーを口にするまで十分くらいかかります。手間と時間がかかるのですが、その「プロセス」に面白さや楽しさがありました。

 しかし、忙しい時はそのようにゆっくりとコーヒーを淹れる十分程度の時間すら惜しくなります。コーヒーを淹れる暇があれば、あの仕事を片付けたい、あの作業を済ませたい。そういう時には、インスタントやドリップバッグで、手早くコーヒーを飲むという「結果」だけを求めてしまいます。

 どうも「結果」だけを欲しようとするとそれまでの「プロセス」の面白さや、楽しさは見えなくなり、煩わしい、面倒なものとして立ち上がってきてしまうようです。

 最近は「タイパ」なる言葉があるそうです。費用対効果を「コスパ(コスト・パフォーマンス)」というように、時間帯効果・時間効率を指して「タイパ(タイム・パフォーマンス)」というそうです。いくつかの作業を同時に行なったり、手早く成果や結論が得られることを「タイパがいい」などというそうです。確かに、私たちは時間を節約し、ムダに見えることを省いていくことに満足感や幸せを感じることがあります。しかし、一方でそのムダに見えるようなもの、手間のかかるものの中にも楽しみや幸せを感じる力も必要なことであったのではないでしょうか。

 ふりかえってみると、子育てもそうだなぁと思うのです。うちにも今、幼児がいます。時間がない時、忙しさのなかにある時は、「早くご飯を食べてほしいなぁ」とか「早く着替えてほしいなぁ」という「結果」を求める心が起こってきてしまいます。(ごめんなさい)そういったときには、子どもの着替えるときの表情や、手足の動きの面白さ、食べ物を口にしたときの表情や、発する言葉のユニークさといったプロセスをついつい見逃がしてしまっていたのかもしれません。


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